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    BBC SHERLOCK

    日本語訳

    <非公式>

    サイト内は過去掲載分も含め、日々更新していますので

    こまめにリロード(再読み込み)をして最新の状態でご覧ください

    忌まわしき花嫁 4

    屋敷の前に走り寄りながらHolmesが叫ぶ。

    SH: Ricoletti夫人だろう?

    二人が玄関の前で立ち止まると、数メートル先にいる花嫁は挙げていた手をゆっくりと下げていく。依然として通路の上に浮かんだまま、その指を威嚇するように広げている。

    SH: この時期としては愉快な夜じゃないか?

    WatsonはHolmesを連れ戻そうとするように腕を引く。

    JW: こんなことあり得ない、Holmes、あり得ない!

    花嫁は二人を招くように両手を伸ばしながら、後ろにある扉に向かって吸い込まれていく。

    SH: ああ、あり得ない。

    花嫁の姿は薄れていく。すると屋敷の中から男性の叫び声が響き出した。HolmesとWatsonは声の方角へ振り返る。どこかで大きなガラスの割れる音がする。二人が再び花嫁のいた場所を見ると、その姿は消えていた。Holmesは扉へ駆け寄って開けようとする。

    JW: 締まってるのか?

    SH: (通路へ戻りながら)指示していた通りに。

    JW: あれは窓が割られた音だったよな?

    SH: 割られることを僕らが思案すべき窓はただひとつ。

    二人は玄関のそばにある窓へ走り寄る。Holmesが肘でガラスを割り、手袋をした手で残りを取り去って中へ入る。Watsonが続いて中へ入るとHolmesはランタンの灯りを点けるため、マッチを擦った。

    SH: ここにいろ、Watson。

    JW: はあ?やだよ!

    SH: 屋敷の扉と窓はすべて鍵を掛けてある。逃げ道はここだけだ。ここにいてほしい。

    ランタンを持って出掛けようとする。

    JW: だが音は近くからだったぞ、屋敷のこちら側からだったはずだ。

    SH: ここにいろ!

    Holmesは駆け出していった。Watsonは不安そうに背後の窓を見る。

     

     

    Holmesが階段へ向かうと、上の階で女性が叫び出した。階段を上がって、あたりを見渡しながらランタンで周囲の足元を照らす。二人のメイドが後から階段を上がって来ると、Holmesは先へ駆け出していく。角を曲がると寝巻き姿のCarmichael夫人を見つけた。足元の絨毯には血だまりがある。Holmesが顔を上げるとメイドたちが夫人に駆け寄る。夫人はHolmesを責めるように見返した。

    Carmichael夫人: 主人を守ると約束してくださいましたよね。約束したでしょう!

    メイドが夫人の腕を抑える。

    Carmichael夫人: あなた…

    Holmesはただ目を見開いて泣き始める夫人を見つめたが、耐えられずに顔を背けた。

    Carmichael夫人: 約束したじゃない!

    Holmesは血痕を追いながら階段への通路を進んでいく。

     

     

    下の階、Watsonがいる場所へ続く狭い廊下の先で、床のきしむ音がした。Watsonはリボルバーを取り出し、天井へ向けて持ちながら打ち金を起こす。再び床のきしむ音が聞こえた。リボルバーを持つ手を下げ、Watsonはガラスの散らばる床を進む。玄関ホールへ入って立ち止まった。

    JW: 君は人間だ。わかってる。そうなんだ。

    玄関ホールは暗闇だった。そばにあるテーブルにはろうそくとマッチがあったので、Watsonはリボルバーを置き、マッチを手に取った。

    JW: 役立たずだ、僕らはこんな暗闇にいて。

    マッチを擦り、火を点けようとろうそくを手に取る。

    JW: 結局、これは19世紀なんだ。

     

     

    上の階、Holmesは階段を上がって廊下を進む。ランタンで左右を照らすと、横向きに倒れている男性の姿を発見した。胸のあたりに何かが突き刺さっている。Holmesは近付いて、苦痛な面持ちで男性へと屈み込む。そっと仰向けにさせてみると、それはEustace卿だった。装飾的な握りの短剣を胸に刺されたEustace卿の目は恐怖で見開かれていた。Holmesの背後で、彼と同じものを目にした女性が叫び声を上げる。

     

     

    下の階、Watsonが持つロウソクの火が風で消された。目を見開いて、荒い呼吸をしながらもう一度マッチを擦ってロウソクに火を点け直し、マッチを吹き消すとリボルバーを手にしてホールへ向ける。暗闇を見つめる彼の背後には、花嫁の姿があった。ゆっくり音もなく近付いてくる。

    花嫁: (歌うようにささやき声で)♪わたしを忘れないで…

    Watsonはさらに目を見開く。花嫁は彼からほんの少し離れた位置で停まる。

    花嫁: ♪わたしを忘れないで…

    恐怖に満ちた顔でWatsonは振り返る。すると花嫁は両腕を高く挙げ、血に染まった指先の、鉤爪のように長く尖った爪を見せた。Watsonはロウソクを落としてホールへ駆け込みながらも、身体を進行方向と逆へ向けて花嫁の姿を探そうとする。そこへ階段を駆け下りてきたHolmesがぶつかった。

    SH: Watson!

    JW: (廊下を指差して)そこにいる!すぐそこにいる!

    SH: 役目を放棄したなどと聞きたくない。

    JW: 何だって?Holmes、そこにいるんだ!(リボルバーで先を示す)見たんだって!

    Holmesはランタンを先へ向けながらホールへ走っていく。Watsonも後を追う。Holmesは割られた窓へ辿り着くと、苛立ちながらWatsonの方へ振り返った。

    SH: 何もない、おかげ様で!鳥は逃げてしまった。

    JW: 違う!違うんだ、Holmes、君の考えてることじゃない。僕は見たんだ-亡霊を。

    SH: (激昂して)亡霊などいない!

    Holmesは一瞬Watsonをにらみつけたが、すぐに気を落ち着けた。

    JW: どうしたんだ?Eustace卿は?

    SH: 死んだ。

     

     

    その後、警察が呼ばれた。Eustace卿はまだ胸に短剣が突き刺さったままの状態で発見場所に横たえられていて、鑑識係が写真を撮っていた。Holmes、WatsonとLestradeは近くにある階段を上がりきったところで集まっている。

    GL: あまり自分を責めないように。

    Holmesは鼻から長く息を吸い込む。

    SH: いや、君はなかなか正しい。

    JW: 君にも分別があるとは喜ばしい。

    SH: Watsonも同罪だ。僕ら二人がこの無様な結果を引き起こした。僕が命を守ると請け合った男が、胸に短剣を刺されて横たわっている。

    JW: (遺体へ歩み寄り、屈み込んで)実際は、殺人犯の調査をすると請け合ったんだよな。

    SH: (腹を立てて)その必要はないと確固たる自信があった。

    GL: 何か見解は、先生?

    JW: うーん、相当な力でもって刺されている。

    GL: では男だな。

    JW: 恐らく。

    GL: 非常に鋭利な刃物であれば、女の可能性もある。

    JW: (苛立ちながら立ち上がり、他の二人の方へ戻る)理論上はそうだ、だが我々には誰の仕業かわかっている。僕はあの女を見た。

    SH: Watson。

    JW: (声を荒げて)僕はこの目で亡霊を目撃した。

    SH: (憤慨して)何も見てやしない。見るだろうと予期したものを見た。

    JW: 君が言ったんだろう、僕には想像力などない、と。

    SH: では、そのお粗末な頭を使え。不可能を廃除するんだ-この件でいえば亡霊-そして残ったものを観察する-それがこの件での解答、目もくらむほど明らかだ、Lestradeにすら可能だろうに。

    GL: どうも(!)

    SH: (苛立ちながらWatsonへ)幽霊などあの世へやってしまえ。(落ち着いて)ひとりだけ動機と機会を持つ容疑者が存在する。きっと書き置きを残したはずだ。

    GL: たしかに残していった。

    SH: (Watsonへ)そして他にも割られた窓があるという問題。

    GL: 他にも破られた窓が?

    SH: その通り。ひとつではない。この邸内で割られたのはWatsonと僕が入った窓のみだが、その前に確かに音が聞こえた-君は何と言った?

    GL: 何だ?

    SH: 書き置きのことだ。何と言った?

    GL: 犯人は書き置きを残したと言ったが。

    SH: そんなはずはない。

    GL: 短剣にくくりつけられていた。見たはずだ!

    SH: (遺体へ歩み寄りながら)メッセージなど無かった。

    GL: そうですか!

    SH: 僕が遺体を発見した時点では無かった。

    Holmesは立ち止まってEustace卿の遺体を見下ろす。短剣の柄には紐で荷札のようなものがくくりつけられていた。屈み込んで札を手に取り、裏返すと、目を見開いた。札を遺体の胸に戻し、呆然と遠くを見つめながら、ゆっくりと立ち上がる。

    JW: Holmes?

    Watsonが歩み寄るとHolmesはゆっくりと戻ってきて、そのまま振り返って階段へ向かっていった。

    JW: 内容は?

    返事をせずにHolmesは階段を下りていく。Watsonは遺体へ屈み込んで札を裏返して見てみた。大きな文字でメッセージが書いてある。

    MISS ME?

    [会いたかった?]

    Watsonは顔を上げて眉をひそめる。非常なショックを受けたHolmesは、当惑して前方を見つめながら階段を下りた。

     

     

    ディオゲネスクラブの応接室。

    MH: どうなんだ?

    少し離れた位置へ進んでいたHolmesは兄の方へ振り返る。

    SH: 何が?

    Mycroftは血のしみが付いている「MISS ME?」と書かれた札を掲げた。

    SH: なぜそれを持っている?(札を指差し)事件現場に残してきたのに。

    MH: (そばにあるサイドテーブルに札を置き、両手を大きな腹の上で組み合わせる)「事件現場」?お前はどこでこんな特別な言葉を手にするのだ?彼に会いたいかね?

    SH: Moriartyは死んだ。

    MH: 現時点では。

    Holmesは兄から顔を背ける。

    SH: 遺体は発見されなかった。

    MH: 数学教授(※)は滝の下へ突き落とされたのだから、当然そう考えられる。純粋な理由は、崖を舞台にしたメロドラマから。お前の人生とはそういうものだ。

    SH: (兄の方へ振り返る)「お前はどこでこんな特別な言葉を手にするのだ?」

    再び振り返った視線の先には、壁に掛けられた絵があった。Joseph Mallord William Turnerによる「ライヘンバッハの滝」。心の眼は、大きな音を立てて水が流れ落ちていく恐ろしい滝を見つめていた。ため息をこぼしたHolmesは、気を取り直すように鼻から息を吸い上げ、兄の方へ向き直る。

    SH: また太ったんじゃないか?

    MH: 昨日会ったばかりだろう。そんなことがあり得るか?

    SH: (兄を見ながら、ゆっくりと歩き進んでいく)いや。

    MH: (両手を広げ)この私は増大している。イングランドでもっとも優れた犯罪捜査人はそれをどう考える?

    SH: (不服そうに)「イングランドで」?

    MH: お前は深みに嵌っている、Sherlock。かつて意図していたよりも深く。リストは作っているかね?

    SH: 何の?

    MH: すべての。リストが必要になる。

    息を吸い込んだHolmesはポケットから一枚の紙を取り出して掲げて見せた。

    MH: 良い子だ。

    手を差し出す兄の方へHolmesは歩み寄ったが、すぐにそれを遠ざけてしまい、巻き戻してポケットにしまった。

    SH: ダメだ。まだ未完成だ。

    MH: Moriartyは異議を申し立てるだろう。

    Holmesは鋭く息を吐き出した。

    SH: あいつは僕を混乱させようとしているんだ、脱線させるために。

    そう言ってHolmesは顎の下で両手を合わせた。

    MH: そうだ。彼は「レンズに入ったひび」、「軟膏の中の蠅」…「データに紛れ込んだウイルス」。

    手を下ろしたHolmesは鋭く兄を見据えた。

    SH: 完成させねばならない。

    MH: Moriartyがライヘンバッハの滝壺から生還したのであれば、お前のもとへやって来るだろう。

    SH: 望むところだ。

    Holmesはそう言い残すと部屋を出て、扉を閉めた。憂いを帯びた表情に変わったMycroftがつぶやく。

    MH: そう。(絵の方へ視線を向ける)私はそれが非常に恐ろしいのだ。

     

    ※数学教授

    …原作のMoriartyの職業は数学教授。

     

     

    221Bの居間。鮮やかな紫色のガウンを羽織ったHolmesは、部屋の真ん中で煖炉に向かって座禅を組んでいた。掌を上にして、人差指と親指の先をくっつけて輪のようにした両手を左右それぞれ膝の上に置き、目を閉じて瞑想に耽っている。周りの床には新聞が散らばっており、背後の椅子の上では香が焚かれていた。同じ状態で「精神の館」にいる彼が、そのままの姿勢で目を開くと、視線の先の中空に新聞の切り抜きが浮かんでいた。漂っている紙片に手を伸ばし、書かれている内容を手当たり次第に確認していく。

    『EUSTACE CARMICHAEL死亡」

    『御者の証言-あれはRICOLETTI夫人だった』

    『イズリントンで恐ろしい事件』

    『花嫁の新たな犯行』

    『HUMMERSKNOT子爵 死亡

     華々しい生涯の悲惨な終焉

     高名な貴族の被害者は硫酸を浴びせられた

     スコットランド・ヤードは困惑 …

     … 死因 …

     先週水曜日のHummersknot子爵の不審死は議会でも取り上げられた。スコットランド・ヤードのLestrade警部は貴族の死が悪名高き「花嫁」の犯行と関連があるかどうかについて明言を避けた』

    『次の被害者は?

     先週月曜日、Eliza Bartonさんは恐ろしい発見をすることとなった。イズリントンのユニオン教会で雑役婦をしているBartonさんは、最近まで海軍に所属していたLeo Masterson大尉が撃たれて死亡しているのを教会で発見した。Masterson大尉は頭部を撃ちぬかれたことが原因で命を失った。謎めいたことに遺体には米が撒かれていたが、最近その場所で結婚式が催されたのは…』

    現実世界で、居間の扉が開き、Hudson夫人とLestrade警部が中を覗き込んだ。Holmesは先程のように目を閉じて、両手をそれぞれ膝の上に置いたまま静かに座禅を組んでいる。二人はその様子を眺めながら小声で会話を始める。

    MrsH: 二日もあの状態ですの。

    GL: 食事は?

    MrsH: (首を振りながら)いいえ、一口も。

    GL: 新聞屋は大いに楽しんでやがる。記者どもはここにも来てますよ。

    MrsH: いつだって来てますわ。追い払うことが出来なくて。わたくし、お茶を出すのに走り回ってますの。

    GL: 何であいつらにお茶なんて?

    Hudson夫人は警部の顔を見上げる。

    MrsH: さあ。なんとなく。

    二人は微動だにしないHolmesを見る。

    GL: 彼はひとり容疑者がいると言ったまま立ち去ったのに、説明しようとしない。

    MrsH: それは珍しいですわね、いつもなら好んでするのに。

    GL: 単純なことだ、ってね、私にも解決できるくらいに。

    MrsH: それはわざと大げさにおっしゃったのね。

    Lestradeは思わず夫人を見たが、不服そうに鼻にしわを寄せると再びHolmesへ視線を向けた。

    GL: 何をしているのだと思います?

    MrsH: 待っているとおっしゃるの。

    GL: 何を?

    MrsH: 悪魔を。

    警部は驚いて夫人を見つめた。

    MrsH: わたくしは驚きませんわ。ここでは何でもあり得えますもの。

    GL: ふむ。何かあったら知らせてください。

    MrsH: ええ。

    Lestradeは階段を下りていった。Hudson夫人はしばし下宿人を見つめ、悲しそうに扉を閉じた。

    その後、Holmesが床からひとつ新聞を手に取ると、その下には蓋の開いた小さなケースがあり、中に注射器が収められていた。手を伸ばし、そっと一本の指で注射器を撫でてから手に取る。しばしそれを見つめ、心を決めたかのように視線を上げた。

     

     

    時は経ち、夜になろうとしていた。Holmesは同じ場所で目を閉じて座っている。ひとりの人間の影が彼の姿に重なり、床のきしむ音が聞こえた。Holmesは微かに眉をひそめ、目を閉じたまま音のした方へわずかに首を向ける。再び床がきしむ音と、静かに近づいてくる足音が聞こえた。そして、その人物-Moriarty教授は、柔らかな声で話し始める。

    JM: 僕が言うべきことはもうすべて君の心を過ぎっただろう。

    SH: (動かず静かに)恐らく僕の答えも君の心を過ぎった。(※)

    JM: 弾丸のように。

    Holmesは目を開き、右手をポケットに入れながら、慎重に立ち上がった。振り返ってみると、Moriarty教授は部屋の右手にある窓の前に立っていた。

    JM: 危険な習慣だね、ガウンのポケットの中で、装填した銃器に指を掛けているなんて。それとも僕に会えて喜んでいるのかい?

    そう言って笑みを浮かべながら顎を動かし、右に首を傾げて音を鳴らす。

    SH: 用心したことを許してくれるだろう。

    JM: そうしなかったら腹を立てただろう。

    教授はジャケットのポケットを叩き、内側の胸ポケットから小さなピストルを取り出した。

    JM: もちろんお礼をさせてもらったよ。

    ピストルを見下ろしながら打ち金を起こし、引き金のある輪に指を通してしばらく回してみせた。それを止めて通常通りに持ちながら、ぼんやりと部屋の中をうろつき始める。

    JM: 君の部屋は良いね。とても…

    うまい表現を探しているかのように空いている手で空中を探り、いつもより低い声で続ける。

    JM: …男らしくて。

    Holmesの目の前に歩み寄って立ち止まる。

    SH: 君は以前からこの部屋のことをよく知っているんだろう。

    JM: うん、君はいつもストランドに載せる冒険のために出掛けてしまってるからね。ねえ、あの挿絵画家も同行するのかい?君はポーズを取らなくちゃならないの…

    話しながら、ピストルを持つ手を上げて、銃口と空いた手の指先を合わせて顎の下に置く。

    JM: …推理をする時に。

    手を下ろして煖炉へ歩いていく。Holmesは彼を視界から外さないように振り返る。

    SH: 留守の間に君がこの家に訪れた形跡の六つすべてを把握している。

    JM: 知ってるよ。

    埃の積もったマントルピースの表面を指でなぞり、汚れた指先を見つめる。

    JM: ところで、君のベッドって驚くほど寝心地が良いね。

    Holmesへ顔を向けて微笑んで見せてから、再び指先を眺める。

    JM: 埃の多くは人間の皮膚から作られるって知ってた?

    SH: ああ。

    するとMoriartyは口を開いて埃に汚れた指先を舌で舐めた。ポケットに手を突っ込んだままのHolmesは微かに驚いた。

    JM: 味は同じじゃないけどね。君も肌を保っておきたいだろう…(良い表現を探るように、指先を舐めた手を空中で振る)…みずみずしく。

    Holmesはため息をついて、Watsonの椅子を示す。

    SH: 掛けないのか?

    JM: 本当に人ってそうだよな、撒かれるのを待つ埃だよ。そしてあらゆる場所に…(舌を出して、付着した埃を落とそうと振って見せる)…吸い込む息の中に、日光の中に舞っていたり。みんな「元・人間」だ。

    SH: (片眉を上げて)まったく興味深いな。

    Holmesは再びWatsonの椅子を示す。

    SH: 掛けたら…

    JM: (最後まで聞かず、銃口を見つめながら)人、人、人。何も輝いたままに出来ない。

    銃口に三回の息を吹きかけ、それを目の前に向けて確かめるように凝視する。

    JM: これを撃ってもいいかな、清めるために。

    Moriartyに銃を向けられると、Holmesは直ちにポケットから銃を取り出して相手に狙いを定めた。銃口をほぼ突き合わせるようにして、二人はしばらく立っていた。わずかにHolmesの方が早かったが、二人は同時に銃口を相手から離して上に向けた。Moriartyはゆっくりと振るようにして身体の脇にピストルを持つ手を下ろし、Holmesはそばにあるテーブルへ銃を投げ捨てた。

    JM: そうだ。遊びはやめよう。僕らが殺し合うのにおもちゃは要らない。それのどこに親密さを感じる?

    Holmesは彼に歩み寄る。

    SH: 掛けたまえ。

    JM: なぜ?何がしたいんだ?

    SH: (歩み寄りながら)ここに来ることを選んだんだろう。

    JM: そうじゃない。そうじゃないと知っているんだろう。

    Holmesは一歩離れたあたりで立ち止まる。二人は目を合わせて見つめ合う。

    JM: 何が知りたいんだ、Sherlock?

    SH: 真実。

    Moriartyはうなずく。

    JM: それか。

    Holmesの向こうへ歩こうとしたが、振り返って顔を近くに寄せる。

    JM: 真実など退屈だ。

    そう言い捨てて、ゆっくりと部屋の中を歩き出す。Holmesは振り返ってその姿を眺める。

    JM: 事件現場で僕のしるしを見つけるとは予期していなかっただろう?哀れなEustace卿。あいつは来たるものを得た。

    SH: 君に殺せたはずがない。

    JM: (彼の方へ振り返って)おや、それが?だから何だ?やめろ。こんなこと。君はEustace卿のことなど気にかけていない、花嫁だって、何もかも、だ。君がこの仕事全体で興味を惹かれたのはただひとつだけ。

    SH: (聞こえよがしに小声で)君が何をしているかわかっている。

    すると、地震が起きたように部屋が揺れ始めた。デキャンタとグラスが震え出す。Holmesが目を閉じて首を振ると、揺れは収まった。

    JM: (銃口を上に向けてピストルを顎に近づける)銃をくわえて脳天を撃ち抜いた花嫁が、その後よみがえった。(肩をすくめて、顔からピストルを離す)あり得ない。

    Holmesは再び目を開く。

    JM: でも行われた。そして君は知りたがっている、どうやって…?

    部屋は再び揺れ始める。

    SH: (厳しく)僕を混乱させようとしている…

    鼻から深く息を吸い込み、目を閉じて首を振り、再び目を開く。

    SH: …脱線させようとしている。

    部屋は鎮まった。

    JM: だって他の事件を髣髴とさせるだろう?

    Holmesは再び目を閉じる。

    JM: これは前にもあったことじゃないか?太陽の下では新たなことなど存在しない。(※)

    目を閉じたままHolmesは顔をしかめる。

    JM: 何だった?何だった?何の事件だった?なあ?憶えているか?

    Holmesは両手で顔を覆う。

    JM: (ささやき声で)喉まで出かかっている。

    Moriartyが彼の口を指差すと、部屋は再び揺れ始める。今度はHolmesを指差してささやく。

    JM: 喉まで出かかっている。(手を下ろしてつぶやく)喉まで出かかっている。

    Holmesが目を開くと部屋の揺れが収まる。

    JM: (ささやき声で)喉まで…

    ピストルを持ち上げ、口を開いて舌を突き出すと、その上に銃口を乗せる。それを保ったままゆっくりと、ソファの前に置かれたコーヒーテーブルの上へと腰を下ろしていく。

    JM: (ささやき声で)…出かかっている。

    部屋が揺れ始める。Holmesが鼻から息を吸い込むと、揺れが鎮まる。

    SH: Hudson夫人の壁紙のために忠告しておくが、指の動きを誤れば君は死ぬぞ。

    Moriartyは舌に銃口を乗せたまま、不明瞭に何かを言った。

    JM: イヌアエウシイ。

    SH: (目を閉じて、開き)何て?

    Moriartyは口から銃を離して、上に掲げたまま言い直す。

    JM: 死とは……もはやセクシーだ。

    Holmesが驚いて彼を見た途端、部屋はこれまでよりも激しく揺れ始めた。Moriartyはすばやく口を開いて銃口をくわえ、引き金を引く。彼は後ろに倒れ、宙に血が舞った。

    そして部屋の揺れが収まるとMoriartyはすぐに立ち上がり、意識をはっきりさせるかのように首を振った。顔にはいくらか血が付着している。

    JM: えっと、教えてあげるよ、蜘蛛の巣が取り払えるよ、って。

    Holmesは目を見開いて彼を見つめる。

    SH: (小声で鋭く)なぜ生きていられる?

    JM: どうかな?

    振り返って撃ち抜かれた後頭部を見せる。

    JM: なあ?

    Holmesは呆然と立ち尽くす。Moriartyはくるりと振り返って向き直る。

    JM: (少し不安げに)正直に言ってくれ。これって目につくかな?

    Holmesに後頭部の傷をよく見せようとするかのように頭の角度を調節する。

    SH: (小声で鋭く)君は頭を撃ち抜いた。なぜ生きていられる?

    JM: (髪に手をやり)うーん、逆毛を立てればいいかな。

    SH: 死ぬのを見た。(目を細め)なぜ死んでいないんだ?

    JM: (歩み寄りながら)命を奪う転落ではないからだ、Sherlock。(ささやき声で)君だけはそれを知っていなくちゃ。転落じゃない。転落などではない。

    部屋を囲むガラスが音を立て始め、粉砕した。Moriartyは両手を大きく広げ、狂ったようにHolmesを凝視する。

    JM: (鋭く)それは着地だ。

    部屋の揺れがそれまでよりも激しさを増し、角にある棚の上に置かれていた小さな象の模型が床に落ちた。Holmesはバランスを失って煖炉の方へ倒れ、身体が椅子へと投げ出される…

    …目を閉じたSherlockが身を任せているのは、着地しようとしているプライベート・ジェット機の一席だった。外ではJohnとMaryが車の前に立ち、飛行機の着陸を見守っていた。

     

    ※「僕が言うべきことはもうすべて君の心を過ぎっただろう」「恐らく僕の答えも君の心を過ぎった」

    …原作「最後の事件」。Moriarty教授が突然Holmesのもとを訪れ、二人は同様の言葉を交わす。(Holmesがガウンのポケットの中で銃を構えていたことをMoriarty教授が見破ることについても同様)

    ※太陽の下では新たなことなど存在しない

    …原作「緋色の研究」でのHolmesの発言。『太陽の下に新しいものは何も無い。これまでもいつもそうだった』

     

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    original transcripts by Ariane DeVere