夜。JohnはCAM Global News社のある超高層ビルの入り口へ向かっていった。ロビーにあるTVスクリーンでは同社のニュース・チャンネルが放送されていて、その時は “MP JOHN GARVIE ARRESTED ON CHARGES OF CORRUPTION(John Garvie下院議員 収賄罪で逮捕)”という速報が流れていた。エピソード冒頭の委員会質疑で発言をしていた男性議員の写真が映し出されている。ニュースキャスターが速報を読み上げる。

ニュースキャスター(TVで): さて速報です。John Garvie下院議員が本日、収賄の罪で逮捕されました。今回の件はある取り調べの後…

回転扉を通った先にはセキュリティ・チェックが設けられていて、セキュリティ・カードを提示する必要がありそうだった。腕時計を確認しながら辺りを見回すとSherlockが背後からやって来た。

SH: Magnussenのオフィスは最上階、奴が個人で使っている部屋の真下…(上の階にあるエレベーターのドアを見上げ)…だが僕らと奴の間を14段階のセキュリティが阻んでいる…

心の眼で見る視界が素早く上の階にあるエレベーターへ移動する。エレベーターのドアのそばにはセキュリティ・カード・リーダーが設置されていた。

SH: …その内の二つはこの国において合法ではない。どうやって突破するか知りたいか?

JW: それが僕らのやろうとしていることか?

SH: もちろんそれが僕らのやろうとしていることだ。

そう言うと振り返って歩き出した。

 

その後、二人はそれぞれテイクアウトのコーヒーを手にして建物内のエスカレーターへ向かっていた。

SH: Magnussenの私用エレベーター。奴のペントハウスとオフィスに通じている。奴だけがそれを使う…(二人はエスカレーターに乗る)…奴のキー・カードだけがエレベーターを呼ぶことが出来る。他の人間が試そうとすれば、自動的にセキュリティが感知する。

エスカレーターを降りてエレベーターへ向かっていく。Sherlockは一枚のキー・カードを取り出した。

SH: (立ち止まって)建物で使用される通常のキー・カードだ。昨日くすねておいた。行けるのはせいぜい社員食堂までだ。

通路を進み、途中で立ち止まってエスカレーターを眺める。

SH: では行ってみようか。

カメラの視点は通路を戻っていく-SherlockとJohnが立っているのはまだエレベーターから数メートル離れたあたりだった。

SH: もし僕がこのカードをあのエレベーターで使用したら、何が起きるか?

そう言って手をエレベーターの方向へ掲げると、想像上の彼が現れてセキュリティ・カード・リーダーに持っているカードをタッチした。直ちに警報が鳴り始める-それはSherlockの想像している世界の中でだが-エレベーターに立っている仮想Sherlockのもとへ二人の仮想警備員が駆け寄っていった。

JW: (もちろんSherlockの想像している映像も音も感じ取っていない)えっと、警報が発動して警備員に連行されるんだろ。

エレベーターの向こうで仮想SherlockがJohnの言う通り、二人の仮想警備員に腕を掴まれている。

SH(実世界): その通り。

Sherlockの視界では仮想Sherlockが連行されていった。

JW: どっかの狭い部屋に連れていかれてぶち込まれる。

連行されていく仮想Sherlockは肩越しに実世界SherlockとJohnへ不服そうな眼差しを向けた。実世界SherlockはJohnへ顔を向ける。

SH: ほんとにそこまで真実味が必要か?

JW: 時間稼ぎだよ。

SherlockはJohnへ視線を投げ、持っていたコーヒーを渡した。Johnはそれを受け取りながら視線を返す。無視を決め込んだSherlockはコートのポケットから携帯電話を取り出した。

SH: だがこれを使えば…

セキュリティ・カードを携帯電話に押し当てる。

SH: キー・カードを長く携帯電話に接触させ過ぎると、磁気不良を引き起こすんだ。カードは機能しなくなる。それは周知の問題だ-キー・カードは携帯電話と一緒にしておいちゃいけない。

通路の先へ視線を向けると、エレベーターに戻ってきた仮想Sherlockがカードをリーダーに読み取らせていた。二人の仮想警備員が再び駆け寄ってきたが…徐々にスローモーションになり、走りの途中で動きを止めた。

SH: 今このカードを使うと何が起きる?

JW: やっぱり機能しないんだろ。

SH: それでも誤ったカードとして読み取られることはなくなるんだ。

新たにやって来た仮想警備員が仮想Sherlockへと駆け寄っていくが、やはり彼らもスローモーションになり、走っている途中で止まった。

SH: 磁気不良として処理される。だがもし磁気不良だとして、それがMagnussenではないとどうやって察知する?

JW: (本物の警備員がどこかにいないか探るように辺りを見回し)はあ。

SH: 奴を連行するリスクを冒すだろうか?

JW: それはたぶんない。

SH: ではどうするだろうか?どうしなければならないか?

JW: 奴かどうか確認する。

エレベーターのそばで動きを止められていた仮想警備員たちの身体が収縮してそれぞれ仮想ゴミ箱へ吸い込まれていき、姿を消した。仮想ゴミ箱も消えてなくなる。

SH: ドアの右側、目の高さにカメラが設置されている。

仮想Sherlockが再びエレベーターのドアへ歩み寄る。セキュリティ・カード・リーダーは上部にある赤いライトが点滅していた。カードを通すと建物内の別の場所に置かれているラップトップが繰り返し警告音を鳴らし、画面にメッセージを表示させた。

ALERT LOCKED

CORRUPTED CARD

CONNECT CAMERA

[警報 ロック済 / 磁気不良カード / カメラ接続]

SH: カード使用者のライブ映像がダイレクトに中継される、Magnussenのオフィスにいる私設スタッフ-IDの承認を任されている人物たちのもとへ。

-オフィスのテーブルに置かれているラップトップ。キーボードを押しに行く女性の手元だけが見える。

SH: …この時間は、奴のPA(※個人秘書)でほぼ間違いないはずだ。

仮想世界のオフィスにはセキュリティ・カメラに向かって笑みを浮かべる仮想Sherlockの映像が送られていた。

JW: そ-それが何の役に立つんだ?

通路の先を見て笑みを浮かべたSherlockはJohnへ顔を向けた。

SH: ヒューマンエラー。(コートの胸ポケットに手を当てて軽く叩く)買い物に行ってきた。

通路を歩いてエレベーターへ向かう。Johnは再び辺りを見回してから後についていった。Sherlockはエレベーターのドアの前に立ち、カードをリーダーへ掲げる。

SH: では行ってみようか。

リーダーへカードを押し当てる。リーダーの画面上にある円とその下にある『CAM GLOBAL NEWS』という文字がそれぞれ青から赤に色を変え、警告音が鳴った。

JW: (カメラの死角に立ちながら小声で)君がMagnussenに似ても似つかないのはわかってるよな。

SH: (自信を持ってカメラを見ながら、唇をほとんど動かさず小声で)それは、この場合、相当な利点になる。

建物の最上階にあるオフィスではラップトップが警告音を鳴らし、メッセージを表示させていた。歩み寄ってきた女性がキーボードを操作するとカメラに笑みを向けるSherlockのライブ映像が映し出された。その映像をよく確認しようと机に回り込んだ女性はJanineだった。驚きながら映像に見入っている。

Janine: (エレベーターにあるセキュリティ・カード・リーダーのインターコムを通じ、小声で)Sherlockったら、ほんとにおバカさんね!何してるの?!

Sherlockはカメラへ向けてより大きく笑みを浮かべて見せる。Johnは驚きながらそれを眺めている。

JW: 待てよ-それって…?それは…!

思わず歩み寄ろうとするJohnを手の平を掲げて制止し、Sherlockはカメラへ向かって話し掛けた。

SH: やあ、Janine。(コソコソと周りの様子を窺いながら)ねえ、中に入れてよ。

Janine: 無理よ!無理だってわかってるでしょ。バカなことしないで。

SH: (そっと)ここでやらせたりしないでくれよ。こんな…(言葉を止めて一旦振り返り、後ろを女性が通り過ぎるのを見てからカメラに向き直る)…みんなの見てる前で。

Janine: みんなの前で何をするの?

カメラに向かって話をしているSherlockのそばで、Johnは気まずい状況をごまかそうと通り過ぎる女性へ慇懃に笑いかけていた。Sherlockは視線を落として大きく息を吐き出すと小さな深紅色の箱を取り出し、中を開いてカメラの前に掲げて見せた。それは大きなダイヤモンドが光る婚約指輪だった。Janineは息を呑んで飛び上がり、口元へ手を当てた。下にいるJohnも衝撃を受けて指輪を見つめている。Janineが見つめるカメラの映像では、Sherlockが顔の前に掲げる指輪の箱の後ろから大きく潤んだ子犬のような瞳を見せて微笑んでいた。Janineは手を下ろし、静かに喜びの笑いをこぼす。すると下の階にあるカード・リーダーの表示が赤から青に変わり、エレベーターのドアが開いた。Sherlockはカメラに向かってにっこり笑う。そして指輪の箱を閉じると、呆然としながら友人を見つめるJohnの方を向いた。

SH: わかったか?そこに人がいる限り、常に弱点があるもんなんだ。

そう言ってエレベーターへ入っていくSherlockをJohnが引き止める。

JW: あれJanineだよな。

SH: そうだ、当然あれはJanineだ。MagnussenのPAなんだ。すべてそれが狙いだ。

JW: オフィスに押し入るために婚約したってことか?

SH: ああ。(エレベーターに入る)幸運だったな、君の結婚式で出会うとは。君にもいくらか手柄があるな。

JW: き-君って奴は!

手にしていたコーヒーを見下ろすと、それをエレベーターの外の床に投げ出してから中へ乗り込んだ。

JW: (Sherlockの近くへ寄って小声で)Sherlock、彼女は本気で君を。

SH: (前方を見つめながら、気に留めない様子で)そうだ。言っただろ-ヒューマンエラー。

ドアが閉まり、エレベーターは上昇し始めた。JohnはSherlockへ向き直る。

JW: どうするつもりなんだ?

SH: まあ、実際に彼女と結婚することはない、明らかに。(Johnの方を見て)限度ってものがある。

JW: じゃあ彼女に何て言うんだよ?

Sherlockは再度Johnを一瞥してから前方へ向き直った。

SH: まあ、僕らの関係はすべて君の上司のオフィスに押し入るための策略でしたって言うよ。その時点で僕のことなんて見たくもなくなるだろう…

エレベーターは27階を過ぎ、まだ上に上がっていく。Sherlockは再びJohnへ顔を向ける。

SH: …でも君なら女の扱いに慣れてる。

 

※オフィスに押し入る

…原作でのHolmesはMilvertonの邸宅へ押し入るために配管工に変装してメイドと親密になり、婚約までしてしまう。メイドからMilvertonの生活習慣や邸宅についての情報を得たHolmesはひとりで忍び込もうとするが、その作戦を聞いたWatsonが一緒に行くと言い張ったため二人でアップルドー・タワーズへ向かうことになる。

 

 

エレベーターは32階で止まり、ドアが開いた。Sherlockは再び愛らしい表情に切り替えるとエレベーターを降り、『君に婚約を申し込みに来たよ』という雰囲気を醸し出しながら楽しげな足取りで申し込み相手の姿を探し始めたが、少し経つと立ち止まってより入念に辺りを見回した。彼女の姿が見当たらないことに気付いて眉をひそめる。Johnを連れてオフィスに入っていくが、やはり彼女の姿は見えない。

JW: そんでどこに行っちゃった?

SH: ちょっと失礼だな。プロポーズしてやったのに。

窓の方へ歩み寄ったJohnは、床にJanineが倒れているのを発見した。

JW: Sherlock…

彼女のそばに屈み込むJohnへSherlockも歩み寄る。

SH: 気絶でもしたか?ほんとにそんなことってあるのか?

彼女の頭部に触れたJohnの指には血が付着していた。

JW: 頭を強打されてる。(より近くに屈み込む)まだ息はあるな。Janine?

Janineは小さくうめき声を出した。Sherlockは室内を見渡すと、隣り合った部屋に何かを感じ取った。

SH: (隣室へ向かいながら)もうひとりいる。

Johnは顔を上げたが、患者のそばから離れなかった。隣室に行ったSherlockはスーツ姿の男が床に倒れているのを発見すると旋回して室内を見渡した。

SH: ボディガードだ。

JW: そいつも診なきゃならないか?

ボディガードのそばに屈み込んだSherlockは、イヤピースをしている男の左耳の後ろに『14』というタトゥーが入っているのを目にした。

SH: 前科者。

男の右手、親指と人差し指の繋がっている部分にもタトゥーがある。五つの小さな点-四角く形作るように置かれた四つの点、その四角の中央に五番目の点がある。

SH: 白人至上主義者だ、タトゥーからすると。どうでもいい。(振り返ってJohnがいる方向を指す)Janineのそばにいろ。

Johnはどんな人間であろうと意識を失った状態でいるのを放っておくことに気が咎める様子だったが、Janineへと向き直った。

JW: Janine、僕の声をよく聞いて。聞こえるか?

Sherlockは再び室内を見渡し、そばにあるガラス製の机へ歩み寄った。机に手を置いて姿勢を低くし、状態をよく確認する。引き続き慎重にすべてを観察しながら机の反対側へ向かう。添えられていた椅子の革でできた座席部分に手を乗せて、すぐに温度を感知する。

TEMPERATURE(温度): 35°C

最初の部屋で何かに思い至った様子のJohnは立ち上がって隣室にいるSherlockが見える位置まで歩み寄っていった。

JW: (Janineの方を指差しながら聞こえよがしの小声で)おい。奴らはまだここにいるぞ。

SH: (立ち上がって同じく大きめのささやき声で)ならMagnussenもだ。奴の座席がまだ温かい。食事に行っているはずだったがまだこの建物内にいる。

辺りを見渡してから視線を上に上げる。

SH: (大きめのささやき声で)上の階!

JW: (ポケットから電話を取り出しながら)警察を呼んだ方がいいな。

SH: (大きめのささやき声で)不法侵入してる時にか?!君はほんとこういうことには向いてないな!

Johnは溜め息をこぼして通報を諦めた。

SH: (大きめのささやき声で)いや、待て、シー!

Sherlockは椅子のそばに立ったまま目を閉じ、両手をそれぞれの方向に掲げて深く匂いを嗅いだ。JohnがJanineの方へ戻っていく間、更に二回嗅ぎ、最後にもう一度深く嗅ぐと、彼の周りに言葉が浮かんだ。(※)

VERSACE

No 5

[ベルサーチ / No 5(シャネル)]

SH: 香水-Janineのじゃない。

言葉は消えた。Sherlockは目を閉じたまま、更に記憶の中から他の選択肢を引き出そうとする様子で頭の周りで手を振る。

PRADA

Dior

[プラダ / ディオール]

それらを振り払った後で、適した名前が現れると目を開けて満足気に上を指した。

Claire-de-la-lune

名前を口に出すと顔をしかめながら振り返った。

SH: 何故知ってるんだろう?

Janineを診ていたJohnが顔を上げる。

JW: それMaryがつけてる。

SH: (振り返って大きめのささやき声で)いや、Maryじゃない。他の誰かだ。

そこで上の階から物音が聞こえると、顔を上げたSherlockの眼差しが鋭くなっていった。Johnはその目付きを察すると大きめの声でささやいた。

JW: Sherlock!

 

 

既にそこから駆け出していたSherlockは階段を急いで上がり、途中で先を見上げてから素早く駆け上がっていった。上の階にあるMagnussenのペントハウスへ辿り着いたSherlockはカーペットの敷かれた玄関ホールを忍び足で進んでいった。先にある部屋から、半泣きの状態で怯えながら話すMagnussenの声が聞こえる。

CAM(画面外): あ、あ、あんたの旦那はどう思うだろうね、ええ?

Sherlockはホールの先にある少し開いたままになっているドアへ慎重に近付く。

CAM(画面外): あんたの…すてきな旦那さん、実直で、立派な…

開いている隙間から部屋の中を覗くと、Magnussenはひざまずかされ、両手を頭の後ろに掲げてすくみ上がっていた。

CAM: …とても英国人らしい。い、今のあんたを見たら何て言うだろうね?

怯えるMagnussenの前には黒ずくめの格好をした人物が黒い手袋をした手にピストルを持って立っていた。ピストルの引き金を起こして再び狙いを定める。銃口を向けられたMagnussenは縮こまり、泣き声で発する言葉は一時的にデンマーク語になっていた。

CAM: Nej, nej! [やめろ、やめろ!]

Sherlockは慎重にドアを開ける。

CAM: (泣き声で震えながら)あ、あんたは旦那を真実から守りたいんだろう…だがこんな守られ方を望むかな?

Sherlockはゆっくりと、ピストルを持つ人物の数歩後ろに歩み寄った。暗殺者は黒いニット帽を被り、頭髪を隠している。

SH: 付け加えると、殺人を決行する際には香水を変えることをお勧めしますよ…

殺人を犯そうとしている人物はピストルの狙いをわずかに左へ変え、銃口を少し上に上げた。

SH: …Lady Smallwood。

Magnussenは大きく震えた息を吐き出しながら少しだけ起き上がった。

CAM: (わずかに威勢を取り戻して)失礼。誰だって?

Sherlockは暗殺者の背中を凝視する。彼へ向けられていたMagnussenの視線はピストルを握り直す暗殺者の顔へと移る。

CAM: それは…Lady Smallwood…ではないよ、Holmesくん。

Sherlockは眉をひそめた。すると黒ずくめの人物は振り返って彼にピストルの狙いを向けた。Sherlockが見つめる先に立っていたのはMary Elizabeth Watsonだった。息を呑むSherlockの頭の中にこれまで彼女と一緒に過ごしてきた思い出が駆け巡る-“The Empty Hearse”で彼女について推理した時に現れたたくさんの言葉が、それぞれの場面で思い起こされて彼女の周りで群れを成していた。そしてMagnussenの部屋にいる現実へ意識が戻ると言葉たちは消え、象徴的なひとつの言葉だけが増殖してピストルで狙いを定めている彼女の周りに繰り返し押し寄せた。

Liar

[嘘つき]

増殖した言葉は姿を消し、Sherlockは自分を見つめ返すMaryの顔を凝視する。ひとつの言葉が大きな文字で彼女の顔のそばに現れる。

Liar

[嘘つき]

Maryが沈黙を破ると言葉は回転して消えた。

MW: Johnも一緒なの?

SH: (声を震わせ)あいつは…

MW: (強い口調で)Johnもここに?

SH: あ、あいつは下に。

Maryはうなずいた。

CAM: (おずおずと)さて、どうするつもりだ?二人とも殺すか?

ピストルの狙いを前に定めたままMaryは肩越しにMagnussenへ不快そうな笑みを向け、視線をSherlockへ戻した。Sherlockが話し出すとMagnussenはゆっくりと下ろした手を床についた。

SH: Mary、そいつに何を握られているにしても、手助けさせてくれ。

片足に体重を掛けて彼女へ歩み寄ろうとする。

MW: (幾分怒りの籠もった声で)ねえ、Sherlock、もう一歩でも進んだらあなたを殺すと断言する。

SH: (小さな笑みを浮かべて首を振り)いいや、Watson夫人。

少し口を開いたままMaryは彼を見つめている。

SH: (優しく)君はそうしない。

Sherlockは足を床から上げようとした。その瞬間にMaryは引き金を引いた。銃弾は彼の胸の下あたり-ジャケットのボタンが合わさるVラインの、シャツのボタンからわずかに右の部分に命中した。Magnussenは再び起き上がる。Sherlockが焦点の定まらない目で、わずかにショックを露わにするとMaryは残念そうに溜め息をこぼした。Sherlockが身体を見下ろすと撃たれて開いた穴から血が溢れ出した。

MW: (わずかに涙声になりながら)ごめんなさい、Sherlock。本当に。

Sherlockは顔を上げて彼女を見る。

SH: Mary?

彼女は振り返ってピストルの狙いを定める。銃口を向けられたMagnussenは目を見開く…

…すると場面はそこで一時停止し、警告音がけたたましく鳴り始めた。室内は暗転し、ショックを受けたまま前方を見つめるSherlockの顔にスポットライトが当てられる。警告音が鳴り響く中、Sherlockは白い壁をした家の中で階段を駆け下りていた。誰も住んでいない様子のその家は朽ち果てていた-壁の塗装は剥がれ落ち、カーペットが敷かれずコンクリートがむき出しになった階段は崩れ、手すりの赤い塗装にヒビが入っている-「ピンク色の研究」で女性が倒れていた家の階段を彷彿とさせる。カメラは階段を上から映していて、Sherlockが下りていく先にはまだいくつか階があることがわかる。Sherlockは手すりを掴み、壁にもう片方の手をついて急いで階段を下りていく。

Magnussenの部屋に場面が戻ると白衣姿のMollyがSherlockを囲うように背後を歩いていた。

MoH: (微笑みながら)映画で見るのとは違う。盛大に血が噴き出したり、身体が後ろに吹っ飛んだりはしない。

Sherlockの前に進んだMollyの周辺は白く、明るくなる。歩き続ける彼女の表情は真剣味を帯びていった。

MoH: 衝撃が広範囲に及ぶことはないの。

彼女は今、白い背景の死体安置室にいた。部屋の中程にある台に横たえられている遺体へ歩み寄る。遺体は白いシートで覆われていて、片方の素足には識別タグが括りつけられていた。

MoH: 堅く集中している、だからエネルギー移動は僅か、もしくは皆無。

遺体に掛けられたシートをめくり始める。下に横たわっていたのはSherlockだった。裸で目を閉じている。

MoH: そこに留まったままの身体を…

シートが腰までめくられると胸の下にある銃創が見えた。

MoH: …銃弾が貫いていく。

銃創がアップで映される。横たわるSherlockは目を閉じたままだが、顔を覗き込むMollyの姿をぼんやりと感じ取っていた。

MoH: 死んでいこうとしてるみたいだから、しっかりしてもらわないと。

するとMollyは彼の顔を強く叩いた。Sherlockは激しく喘いで大きな息を吐き出し、目を見開いた顔は殴打の衝撃を受けて横へ倒れた。

Magnussenのオフィスでは、MaryもMagnussenも依然として動きを止められていた。Sherlockは少し目蓋を持ち上げる。

MoH: (画面外)言ったでしょ…

Sherlockの目の前にMollyが現れる。

MoH: …しっかりして。

そう言って再び平手打ちをする。Sherlockは衝撃に振り回され、気が付くとよろめきながら白く眩しい部屋に立っていた。混乱しながら辺りを見回すとMollyの姿が目に入った。二人がいるのは死体安置室で、彼の前にある台の上には腰から下にシートが掛けられた彼自身の遺体が横たわっていた。部屋の一端には遺体を収納するキャビネットが並んでいる。Mollyは遺体が横たわっている台に歩み寄ると両手を台の端に置いて寄り掛かり、台の向こう側に立っている生存Sherlockへ顔を向けた。

MoH: 精神の館を持つのは適切で賢明よ。でもそれを用いるために残されたのは三秒間の意識だけ。だから早く-死因となるものは何?

Sherlockは少し自分の遺体を見下ろしてから再び顔を上げた。

SH: 失血。

MoH: (静かに、しっかりと)その通り。

Sherlockは少し眉をひそめながら彼女を見ている。

MoH: そしたら、後はひとつだけになるわね。

台に手をついて寄り掛かっていたSherlockの身体が傾き始めた。けたたましい警告音が小さくなっていく。

MoH: 前方に、後方に?

Sherlockはうつむいて目を閉じた。

…すると彼はMagnussenの部屋に戻り、前方を見つめていた。

MoH: (画面外)あなたがどっちの方向に倒れるのか見極める必要があるの。

MaryとMagnussenは依然として固まっている。Sherlockの背後にAndersonが歩み寄って立ち止まる。手には医療用の白いゴム手袋をしていた。Mollyは部屋の中程からSherlockへ歩み寄ってきた。

Anderson: 穴はひとつ、それとも二つ?

SH: (眉をひそめて肩越しに後ろを振り返る)何だ?

Andersonは問いかける表情で眉を上げた。

MoH: 銃弾はまだ体内にあるのか…

前を向くとMollyが立っていた。

MoH: …それとも貫通した痕があるのか?

カメラの視点が変わるとMollyはSherlockの前から姿を消し、Andersonだけが背後に残った。

MoH(声): それはピストルに依る。

左に顔を向けたSherlockの目の前に様々なピストルのイラストが一覧となって現れる。その内のひとつに注目するとピストルを描いている線が青から黄色に変わり、『Cat-0208』というタグが表示された。

SH: あれだと思う。

一覧に目を通していくと、別のピストルのイラストが黄色く変わり、『Cat-077839』というタグが付けられた。他にも黄色く変わったピストルがあるが、タグの頭の部分は見えず番号は『173634』となっていた。

SH: もしくはあれだ。

確信を持てない様子で眉をひそめながら一覧の中を探し続ける。別のピストルが黄色く表示されたがタグはすぐに消えてしまった。Mycroftの声を聞いて彼の意識が離れたのだ。

MH(画面外): おい、いい加減にしろ、Sherlock。

右を向いたSherlockが目にしたのはディオゲネスクラブのオフィスで机に向かって腰掛けている兄の姿だった。

MH: 問題にすべきなのはピストルではない。バカな真似は止せ。

Sherlockは兄へ歩み寄っていく。Mycroftは机の上で両手を握り合わせて前に寄り掛かった。

MH: お前は本当にいつもバカだった。

前に歩み寄るSherlockは九歳くらいの子供に戻っていた(※)。暗い色のズボン、シャツの上に羽織ったダーク・グリーンのカーディガンはきちんとボタンが留めてある。ゆっくりと兄の前へと進んでいく。

MH: まったく期待はずれだ。

少年SH: (腹を立てて)僕はバカじゃない。

MH: (断固として)お前はすこぶるバカな子供だ。

立ち上がって机に沿って歩き出す。

MH: 母さんと父さんはカンカンだぞ。

前に出てきたMycroftは立ち止まって机に寄り掛かった。

MH: …問題なのはピストルではないからだ。

少年SH: (兄を見上げて顔をしかめる)どうしてだよ?

MH: 部屋に入った時に全体を見ただろう。殺された時にお前の真後ろにあったのは何だった?

少年SH: (すねた様子で)僕はまだ殺されてないぞ。

MH: (弟の方へ身体を傾けて)蓋然性の優位だ、弟よ。

Sherlock少年が言葉を失ってうつむくと警告音が再び騒々しく鳴り始めた。後ろを振り返る。Magnussenの部屋、後ろを振り返った大人のSherlockが目にしたのは壁に掛けられている鏡だった。少し離れた場所に立っているかのように、Mycroftの姿がぼんやりと鏡に映り込んでいる。Sherlockは鏡へと近寄っていく。

MH: (歩み寄ってきながら)銃弾がお前の身体を貫通したならば、どんな音が聞こえる?

SH: 鏡の割れる音。

MH: 聞こえなかった。従って…?

Sherlockは振り返ってゆっくりと兄を追い越しながら歩いていく。

SH: 銃弾はまだ体内にある。

そして元いた位置に戻る。

Anderson: (画面外)では、後ろに倒れてもらわなきゃならないな。

MoH: (再びSherlockの前に現れる)そうね。Sherlock…

SherlockはMollyに意識を向ける。

MoH: …あなたには後ろに倒れてもらう。

Anderson: (Sherlockの背後から彼の右側へ向かって歩き出す)今、銃弾は瓶の口を封じるコルクだ。

MoH: (Sherlockの左側へ歩み寄る。警告音は消えていく)銃弾自身によって血の噴出はほぼ抑えられてる。

Anderson: (Sherlockの前にやって来て立ち止まる)でも入り口に何かの圧力や衝撃が加わればそれが失われるかもしれない。

MoH: (Sherlockの背後に立つ)加えて、後ろへ引力が働いてくれてる。

部屋の色調が青く変わる。

MoH: (しっかりとした口調で)倒れなさい。

半ば目を閉じたSherlockは倒れ始めた。極度のスローモーションの中、後ろに身体が傾いていく。室内は通常の色調に戻った。部屋の右側にいる彼の身体が後ろへ倒れていくのに合わせて、部屋全体が左に傾き出す。手を掲げながらひざまずいているMagnussen、Sherlockにピストルを向けているMary-二人は傾いていく床の上で固まったまま動かない。ただし正面奥にある、大きな窓の下に置かれている観葉植物の植木鉢だけは傾きに合わせて床の上を左に滑っていった。(※)

完全に床に倒れる前に、Sherlockは白く眩しい死体安置室へと引き戻された。警告音が再び鳴り始める。後ろによろめいて部屋の一端に置かれた死体収納棚にぶつかると、そこにもたれかかって両手で耳を塞ぎながら鳴り響く警告音の中で叫ぶ。

SH: 一体何なんだ?何が起きてるんだ?

耳を塞いでいた手を下ろして混乱しながら辺りを見回す。彼のそばにある棚の扉のひとつが開いてトレイが滑り出てきた。目を閉じた彼の遺体がその上に横たわっている。Sherlockは恐怖に陥りながら自分の遺体を見つめた。トレイの向こう側にMollyが現れる。

MoH: あなたはショックに陥る。

Sherlockは顔を上げ、目を見開いて彼女を見つめる。

MoH: それが次の死因となるもの。

SH: どうすればいい?

するとMollyのいた場所にMycroftが現れた。Sherlockは見開いたままの目を兄の視線に合わせる。

MH: ショックに陥らないことだ、明らかに。

警告音が鳴り響く室内を見渡す。

MH: この滑稽な「記憶の館」の中に何かあるはずだ、それがお前を落ち着かせる。

Mycroftは後ろを向き、言葉の最後の部分がこだまする。

MH(こだまする声): …落ち着かせる。

Sherlockは兄を見つめている。

MH: 見つけなさい。

苦しそうに目を閉じたSherlockは、スローモーションの中で再び階段を駆け下りていた。

MH: (安置室で)東風が来るぞ、Sherlock。(Sherlockを見つめながら眉を上げる-警告音は鳴り止む)お前を捕らえにやって来る。(※)

階段を下り続けるSherlockの頭の中で、兄の言葉が静かにこだまする。

SH(声): 「お前を捕らえにやって来る…」

自然に扉が開き、ウエディングドレスを着て白いベールを顔に掛けたMaryがピストルを彼の顔に向けていた。引き金が引かれるとSherlockは叫び声を上げ、スローモーションで後ろに倒れる。完全に床まで倒れる前に、彼は木製の扉が並ぶ長い廊下へ移っていた-「ピンク色の研究」で訪れた専門学校、JohnがSherlockを探して走っていた廊下に似ている。廊下を走って行くSherlockは兄の声を頭の中に感じていた。

MH(声): 見つけなさい。

ひとつの扉に駆け寄って開けてみる。白く眩しい光が溢れ、別の似たような廊下に彼は立っていた。少し離れたところに小型のアイリッシュ・セッターがいた-息を弾ませながら彼の方を見ている。

SH: おーい、Redbeard。こっちだよ。おいで!(※)

Sherlockは中腰になって両膝を手で繰り返し叩きながら、自分の犬に向かって微笑みかける。犬は立ち上がる。

SH: 僕のとこにおいで。いいよ。だいじょうぶだよ。

犬はとことこと彼の方へ歩いていく。するとSherlockは再び少年時代の彼へと姿を変えていた。膝を叩きながら犬に呼びかける。

少年SH: おいで!僕だよ!僕だよ、おいで!

犬は楽しそうに吠えながら彼の方へ走っていく。再び大人に戻ったSherlockが走り寄ってくる犬に向けてうれしそうな笑みを浮かべながら膝を叩いている。

SH: おいで!

少年SH: いいこだね!おりこうさんだ!

Sherlock少年は犬が駆け寄ってくるとひざまずき、うれしそうに笑いながら犬の頭を撫で始める。大人のSherlockも、駆け寄ってきて彼の顔を舐める犬の頭をうれしそうに撫でてやっている。

SH: なあ、Redbeard、あいつらまで意地悪してくるんだよ。おもしろくないよな?

後ろに座り込んだSherlockは朦朧としながら犬の名前を呼んだ。

SH: (弱々しく)Redbead…

犬は吠え、Sherlockは後ろに倒れる。Magnussenの部屋、スローモーションの中でSherlockは仰向けになって床に倒れていく。呆然と上を見つめたまま、とうとうカーペットの上に倒れ込んだ。

MoH(画面外): ショック無しでは、痛みを感じることになる。

Redbeardがいた廊下、Mollyは彼から少し離れた場所に立っている。Sherlockは目を見開き、歯を食いしばりながら床の上で悶えていた。Mollyは真剣な眼差しで彼を見ている。

MoH: あなたの身体をつんざく穴がある。大量の体内出血。

Sherlockは苦しみに顔を歪めながら悶えている。口を開けて叫び声を上げるが、その声を聞くことは出来ない。

MoH: 痛みをコントロールするのよ。

するとSherlockは再び階段を駆け下りていた。一番下に辿り着くと痛みに叫び声を上げながら駆け寄った先にあるドアを開ける。そこは直径6メートルほどの円形の小さな部屋-床はコンクリートで、壁に施されたクッション材は薄汚れている-精神病の患者が収容される部屋のようだった。身体を打ちつけて自らを傷つけないようにするため、クッション材が壁に取り付けられている。ドアの向こう側にある壁際にひとりの男がしゃがみこんでいた。うなだれたまま壁にもたれかかっている。背後でドアが閉じるとSherlockはそばにある壁に寄り掛かり、苦しみながら叫び声を上げた。見上げる目は赤く充血している。

SH: コントロール!コントロール!コントロール。

言葉を発する毎に声は弱くなっていった。部屋の反対側にいる男は薄汚れた白い拘束服を着ていて、首には頑丈な金属製の輪が嵌められ、鎖で壁と繋がれている。苦しそうに荒い呼吸をしながら男はゆっくりと顔をSherlockの方へ向けた。Sherlockは目を見開き、歯を食いしばりながら男を見つめている。

SH: (壁に寄り掛かって身体を起こしながら)お前は。

荒く呼吸をしながら少し前に進み出る。

SH: お前は痛みなんて感じなかったんだろ?何故痛みを感じなかった?

男: (ゆっくりと顔を向けて)君はいつも感じている、Sherlock。

男はJim Moriartyだった。殺意を滲ませた顔を向けてSherlockを見ている-湧き上がる怒りで薄汚れた顔が赤らんでいた。Sherlockは言葉を失ってJimを見つめる。部屋の照明がわずかに明滅する中、Jimは不意にうなり声を上げながらSherlockに飛び掛かっていった。Sherlockは怯んで後退りする。Jimは繋がれている鎖の届く範囲いっぱいまで必死に飛び出しながら、半狂乱でSherlockの顔に向かって叫んだ。

JM: だが恐れる必要はない!

苦痛に悶えながら叫ぶSherlockは真っ直ぐに立っていられなくなってきた。ゆっくりと膝をついて床に倒れていく。Jimは目を見開き、躁状態で彼を凝視している。

JM: 苦痛。傷心。喪失。

床に倒れたSherlockは脇を向き、堅く閉じた目から涙を流しながら必死に苦痛を堪えていた。

JM: (熱情的なささやき声で)死。大いに結構。

Sherlockはうめき声を上げなから悶えている。

JM: (Sherlockのそばにひざまずく)大いに結構。

苦痛に悶えるSherlockは仰向けになりながら天井を見つめた。

JW(声): Sherlock?

Magnussenの部屋で、SherlockのそばにひざまずきながらJohnは彼の顔を軽く叩いている。

JW: Sherlock?

屈み込んで息があるか確かめるためにSherlockの口に耳を近づける。

JW: 聞こえるか?

顔を上げてMagnussenを見ると、脇を向いて横たわっていたMagnussenは顔を上げた。Maryは部屋から姿を消していた。

JW: 何があった?

CAM: (弱々しく)撃たれた。

JW: (そっと)何だと。

Sherlockのコートを開いてみると撃たれた部分の周囲に大量の血液が付着していた。

JW: Sherlock!どうして…

Magnussenは床に落ちていた眼鏡を拾う。Johnは膝で起き上がり、ジーンズのポケットを探りながらMagnussenに鋭い眼差しを向ける。

JW: 誰に撃たれた?

Magnussenは起き上がって眼鏡を掛けながら意味深長な顔でJohnの方を見るが、何も答えない。Johnは電話を耳に当てた。オペレーターが話し出す。

オペレーター(電話): 緊急救命です。どのサービスをご用命ですか?

収容室-照明は薄暗い青みがかった色に変わっていた。Sherlockは目を見開きながら床の上でもがき苦しんでいる。そばに立っているJimがそっと歌い始めた。

JM: ♪雨降り、どしゃ降り、Sherlockはうんざり…

Sherlockは徐々に身体の力が抜けてきたようだった。悶え方が緩やかになっていく。Jimは彼の頭のそばにしゃがみ込む。

現実世界-ビルの外で救急車のサイレンが鳴り響き、救急救命士がSherlockをストレッチャーに乗せて救急車へ運んでいく。Johnがそばについている。

JM: (収容室で、そっと、ゆっくりと)♪僕は笑ってる、僕は泣いてる…

JimはSherlockのそばにひざまずく。Sherlockは痙攣を時折する他は苦しそうにしていなかった。呆然と上を見つめていた目が閉じていく。

JM: (そっと、ゆっくりと)♪…Sherlockは死んでる。

救急車が道路を走っていく。中では救急救命士が傷口を見るためにSherlockのシャツを引き裂いていた。彼の顔には酸素マスクが取り付けられている。目は閉じたままだった。

JW: Sherlock。

Johnは救急救命士の後ろでSherlockの様子を心配そうに窺っている。

JW: がんばってくれ。Sherlock?

Sherlockの目はほんのわずかに開く。

収容室-鎖が届く範囲の限界まで前に屈み込んだJimがSherlockの顔に向けて荒く息を吐き出す。

JM: (そっと)おいで、Sherlock。

少し顔を上げ、唾を飛ばしながら話し続ける。

JM: (そっと)死ねばいい、どうして出来ないの?

Sherlockのそばに横たわり、顔を近づける。

JM: あと一押しで君は落ちる。

起き上がって天井を仰ぐ。

病院の手術室-心電図モニターに走る水平な線と途切れることのない単音。手術台を囲む医師のひとりがSherlockに心臓マッサージを施す。やがて蘇生に取り組んでいた医師たちは希望を失って手術台に背を向けた。上からSherlockを見下ろすと、腰から上がむき出しにされ、喉には酸素チューブが繋がれた状態で目を閉じていた。心臓停止を示す単音が鳴り続ける。室内の照明は暗くなり、ひとつの明かりだけが彼の身体を照らしていた。

収容室にいるJimが膝から起き上がって、心臓停止の途切れない単音が続く中、Sherlockに話し掛けている。

JM: 君も死んでいるのが好きになる、Sherlock。

じっと動かないSherlockを見下ろす。

JM: 誰も君の邪魔をしないよ。

手術室のカメラの視点はSherlockへと近寄っていく。

JM: (わずかに目を見開き、躁状態で)Hudsonさんは泣くだろう、母さんや父さんも泣くだろう…

不意に立ち上がり、鎖で動けなくなるまでその場でぐるぐる回ると、また逆方向に回転した。

JM: …「あの女」も泣くだろう、そしてJohnはわんわん泣くだろう。いちばん心配なのはあいつだ。あの妻が!

顔をしかめて騒々しく息を吐き出す。

JM: あいつを失望させてしまってるぞ、Sherlock。John Watsonは極めて危険な状態だ。

収容室の床で仰向けに倒れていたSherlockはその言葉を聞いた途端に目を開けた。そのまま上を見つめている彼にJimはゆっくりと顔を向ける。Jimの目が見開かれると室内の照明が点滅し始めた。Sherlockは悶えながら目を瞬き、苦しそうに息を吐き出した。顔をしかめながら懸命に起き上がろうとする。

手術室にある心電図モニターには依然として水平の線が走り、途切れない単音が鳴り続けている。

Sherlockはうめき声を出しながら収容室の床に手をつき、片方の肘で身体を支えようとしていた。もう片方の腕を出来る限り伸ばしてコンクリートの床を叩く。そばでひざまずいているJimは彼を苛ついた表情で見下ろしている。

JM: (イライラしながら)おい、息を吹き返すつもりじゃないよな?

懸命に立ち上がったSherlockはよろめきながら壁にもたれかかった。

JM: 僕はそんなこと言ったか、なあ?

Jimはわずかにニヤついた顔をしたが、Sherlockが汗びっしょりの顔で息を切らしながらにらみ返すとその笑みは消えた。再びうなり声を上げながらSherlockは壁から離れ、振り返ってドアを開ける。

SH: (半狂乱で)John!

パニックに陥ったJimは目を見開き、後ろから彼に向かって叫ぶ。

JM: Sherlock!

ドアが閉まり、ひとり部屋に取り残されたJimは最初にいた壁のそばで膝から崩れ落ちた。

手術室のカメラは台に静かに横たわるSherlockへ近づいていく。

精神の館にいるSherlockは階段の一番下で手すりを掴んだ。

手術室のカメラは下り続け、心電図モニターには水平の線が表示されている。

顔をしかめて悶えながらSherlockは何とか階段を上ろうとしている。

手術室の心電図モニターが新たに短い単音を鳴らし、Sherlockの左手の人差し指が極わずかに動いた。

Sherlockは手すりに寄り掛かり、壁にもたれ掛かり、叫び声を上げながら痛みを堪え、懸命に階段を上っていく。

心電図モニターが短い単音を鳴らすと水平だった線が波立った。

それと共鳴するように、画面外から階段にいるSherlockがJohnの名を必死に叫ぶ声が聞こえる。

手術室にいる医師のひとりがゆっくりと心電図モニターに顔を向ける。暗くなっていた室内の照明が再び明るくなった。

苦しみに顔を歪めながらSherlockは手すりに寄り掛かって階段を上る-彼の名を呼ぶJohnの声を聞いているかのように。

手術台に横たわっているSherlockの、シートの上に置かれていた手-左手の人差し指が持ち上がる。医師は目を見開き、他のスタッフたちもあわてて手術台に戻っていった。

階段を上がるSherlockは右手で手すりを掴み、左手で壁に寄りかかっている。左手の指は瞬間的に221Bのリビングの壁を撫でた。ほとんど這うようにして手すりに掴まりながら身体を持ち上げる。

手術台にいる医師のひとりが目の前で起こっていることが信じられない様子で他の医師に顔を向けた。

Sherlockは苦悶で顔を歪めながら叫び声を上げ、階段を上り続ける。

心電図モニターは新たな単音を発して、波形を描く。医師がSherlockを見下ろす。

半狂乱の気配を帯びた必死の形相でSherlockは手すりのより上の部分に掴まって身体を持ち上げる。

心電図モニターが音を発して波形を描く。

Sherlockの心の中では短い映像が過ぎっていった-221Bのリビングでジャケットの内ポケットから書類の端を見せるMagnussen、Sherlockがその正体を知る前にMagnussenにピストルを向けているMary、そして221の玄関。心の中の映像はドアに固定して止まった。

手術室-Sherlockの目蓋が上がり始め、心電図モニターの音と波形はより正常な状態となっていった。医師が彼を見下ろす……

そしてSherlock Holmesは目を開いた。しっかりした目付きになり始め、チューブをくわえた口が言葉を発しようとして動いた。場面が次に変わっていく中でその言葉がささやきとなって聞こえる。

SH: Mary…

 

※香水を嗅ぎ分ける

…原作「バスカヴィル家の犬」でHolmesは手紙から香水の匂いを嗅ぎとる。「香水には大きく分けて75種類あるが、犯罪の専門家がそれぞれを嗅ぎ分けることが出来るのは、非常に重要な能力だ。僕が経験した範囲でも、一度ならず、事件の解決が、素早く匂いを識別することにかかっていたことがある」

 

※少年時代のSherlock

…演じているのは脚本・製作指揮を務めるSteven Moffatの息子、Louis Moffat。

 

※床を滑っていく観葉植物

…何故この植木鉢だけが傾きに合わせて床を滑っていくのか?ファンの質問に対し、撮影監督のNeville Kiddは“the laws of gravity are defined by Sherlock...(引力の法則はSherlockによって定義付けられている)”と答えている。(Sherlockの心の眼を通してみた世界では必ずしも現実と同じことが起きているわけではない)

 

※東風

…原作His Last Bow(最後の挨拶)でHolmesが事件を解決した後にWatsonに語る言葉-「東風になるぞ、ワトソン」。

日本では東風(こち)といえば春をもたらす温かい風だが、イギリスでは北から吹く冷たく厳しい風となる。

その事件を解決させた日は8月2日-冒頭では「世界の歴史で最も恐ろしい8月」と語られているが、これは第一次世界大戦にイギリスが参戦した1914年の8月を意味する。(1914年8月4日にイギリスはドイツに宣戦布告する)

この事件は既に探偵業を引退し、養蜂に勤しんでいたHolmesが首相と外務大臣から依頼されてドイツ人スパイの仕事を阻止するというもの。時系列としてはHolmesが手がけた最後の事件。この作品が発表されたのは1917年9月。

 

※Redbeard

…アイリッシュセッターは赤毛の犬。「ベルグレビアの醜聞」でMycroftが「Sherlockは子供の頃、海賊になりたがっていた」と語っている。犬の名前は世界的に有名な海賊、「黒髭(Blackbeard)」からとったのかもしれない。Wikipedia「黒髭

His Last Vow 3