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    BBC SHERLOCK

    日本語訳

    <非公式>

    サイト内は過去掲載分も含め、日々更新していますので

    こまめにリロード(再読み込み)をして最新の状態でご覧ください

    His Last Vow 1

    テーブルの上に細いフレームの眼鏡が広げたまま置かれている。

    Lady Smallwood: (画面外から、以下セリフ: LS)Magnussenさん、念のためお名前をフルネームでおっしゃってください。

    CAM: (強いデンマーク訛りで※)Charles Augustus Magnussen。

    Magnussenの視点でLady Smallwood(※)を見る。60代前半の女性、少し離れた別のテーブルにMagnussenと向き合って座っている。眼鏡を掛けていない視界はぼやけていた。

    LS: Magnussenさん、あなたが首相に対して持っている影響力とはどのようなものなのですか?

    CAM: 「英国の」首相ですか?

    LS: 英国首相のどなたかです、あなたがご存知の。

    部屋の様子が明らかになる。Magnussenはテーブルに向かってひとりで腰を下ろしている。左手にある壁は全面ガラス窓。前方にはU字型に置かれた三つのテーブル。席に着いている11名の前にはマイクスタンドがある。聴聞の様子は撮影され、Lady Smallwoodの背後にある壁に映し出されていた。委員長と思われる彼女は中央の席でMagnussenと向き合っている。“The Empty Hearse”の回でSherlockが生きているというニュースと共に報じられていた、委員会の参考人招致と思われる。部屋の後部にはガラスで隔たれている傍聴人席があり、多くは報道関係者と推測される傍聴人たちがヘッドホンをして腰を下ろし、経過を視聴していた。Magnussenはすべての質問に対して感情を出さずに抑揚のない声で答える。

    CAM: そのどなたかに対して、極わずかな影響力さえ私は持ち合わせたことがありません。何故私が?

    LS: (前に置いている報告書に目を通しながら)私が着目したのは…あなたは今年、ドーニング・ストリートで七回の会合を行っていますね。(顔を上げて)何故ですか?

    CAM: 呼ばれたからです。

    LS: 話し合われた内容を憶えてらっしゃいますか?

    CAM: 私が思っているよりも無思慮にならないわけではないというのが妥当なところです。

    Lady Smallwoodの右隣にいる男性が自分のマイクへ顔を寄せて発言する。

    Garvie: 新聞社を経営している民間人、それも外国人が、そんな風に首相と定期的に接触することをあなたは適切であるとお考えなんですか?

    発言を聞きながらMagnussenは眼鏡を手に取って掛けた。視界のGarvieに焦点が合うと白い文字で情報が表示される。

    JOHN GARVIE

    MP ROCKWELL SOUTH

    ADULTERER (SEE FILE)

    REFORMED ALCOHOLIC

    PORN PREFERENCE: NORMAL

    FINANCES: 41% DEBT (SEE FILE)

    STATUS UNIMPORTANT

    [JOHN GARVIE / 下院(※庶民院)議員 ロックウェル 南 / 不倫中(ファイル確認) / 更生済みアルコール中毒者 / 性的嗜好: 正常 / 資産: 41% 負債(ファイル確認) / ステータス: 重要ではない]

    一番下に赤文字で表示されている項目がしばしの間点滅する。

    PRESSURE POINT: >

    [急所]

    CAM: 個人が招待に応じることを不適切だとは思いません。

    項目の点滅が止まり、情報が追加された。

    PRESSURE POINT: >DISABLED DAUGHTER(SEE FILE)

    [急所: > 身体障碍者の娘(ファイル確認)]

    CAM: しかしながら私が外国人であるということについては心からお詫びを申し上げましょう。

    Garvie: そういう意味では。私はそういったことを…

    LS: (上から遮って)Magnussenさん、あなたの所見が政府もしくは首相の考えに何らかの影響を及ぼしたと考えられる契機は記憶にありますか?

    話を聞きながら視線をLady Smallwoodに切り替える。それに応じて彼女の情報が視界の中に表示された。

    LADY ELIZABETH SMALLWOOD

    MARRIED

    SOLVENT

    FORMER GYMNAST

    PORN PREFERENCE: NONE

    VICES: NONE

    [LADY ELIZABETH SMALLWOOD / 既婚 / 支払い能力あり / 元体操選手 / 性的嗜好: 無し / 汚点: 無し]

    そして、一番下の赤く点滅している項目。

    PRESSURE POINT: >SEARCHING

    [急所: > 検索中]

    しばらく点滅を続けている。Magnussenは眼鏡を外し、テーブルの上にある小さな眼鏡拭きの布へ手を伸ばした。

    CAM: いいえ。

    LS: 確かですか?

    Magnussenはしばし無言でレンズを拭き、作業を終えると再び眼鏡を掛けた。Lady Smallwoodへ視線を向けると情報が再度表示される。基本情報が消え、赤字の項目が点滅を止めた。

    PRESSURE POINT: >HUSBAND

    [急所: > 夫]

    CAM: (Lady Smallwoodと目を合わせ)私には優れた記憶力があるのです。

     

     

    夕暮れ時。広い私道に面する洒落たゲートが開き、『1 CAM』というナンバープレートを付けた黒い車が入っていく。小さな湖を横切る道を走っていくと大きな窓と曲面した壁で構築されている近未来的で美しい家が姿を現した。スーツ姿の男が出迎えてドアを開け、Magnussenは洗練された印象の玄関ホールへ入っていく。一部は灰色のレンガがむき出しになっている白い壁、淡い色の床、手すりにガラスの板が使われている階段。下の階へ行き、薄い茶色のタイルとステンレスで内装されたキッチンを通り過ぎる。その先にはガラスの壁に同じくガラスで出来たドアがある。書斎と思われるその部屋には机がひとつあり、細長い奇妙な見た目の装飾品が置かれていた。中へ入ると木製の両開き戸へ向かう。一瞬動きを止めてから扉を開く。明るい色の木材とガラス板で出来た螺旋階段を下りていく。進むにつれて階段の幅は狭くなり、材質は明るい鉛色の金属に変わっていた。下りた先にあるのは広い書庫、棚はどれもファイルや台帳でいっぱいになっている。目的のものをどこにしまったか思い出そうとしている様子で掲げた手の指を書架のあちこちに向けながら歩いていく。書庫の奥には見覚えのある場所があった。“The Empty Hearse”の最後の場面でSherlockがJohnを篝火の中から救出する映像を観ていたのはMagnussenだったことが明らかになる。そこは暗く不気味な雰囲気で、グロテスクな人形や動物の剥製、彫像などが飾られていた。Magnussenは回転式の名刺ホルダーの中から目的とするものを探し、そこから移動するとLady Smallwoodの写真がクリップで留められている書類を見始めた。わずかに笑みを浮かべる。彼女の写真の隣には同じ年頃の男性の写真もある。クリップの下にある別の写真をずらしてみると、そこには10代後半頃と思われるかわいらしい少女が写っていた。きれいに髪を整えて肩紐のついた白い服を身に付けた彼女はカメラに向かってポーズをとっている。間もなくMagnussenは大きな壁に向かって椅子に腰を下ろしていた。背後にあるプロジェクターが少女の写真を壁に投影させていた。元の写真を片手に持って眺めている。しばらくするとその写真を口元へ近付け、角をゆっくりと下唇へなぞらせた。

     

     

    いくつかの机と椅子が点在する部屋。Lady Smallwoodが机に向かって座り、書類に目を通していた。恐らくディオゲネスクラブのような場所と思われる。きちんとした身なりの案内係がドアのそばにいる男性へ声を掛けている。

    案内係: お車は外でお預かりしております。失礼致します。

    案内係は部屋を出ていった。Magnussenが机から少し離れた位置にある肘掛け椅子に腰を下ろしている。Lady Smallwoodは書類とペンを置き、立ち上がって歩み寄ってくるMagnussenへ顔を向けた。

    CAM: お邪魔しても?

    LS: 適切だとは思えません。

    CAM: いいえ、そんな。

    近くにあるキャスター付きの椅子へ向かい、それを彼女の机のそばへ移動させる。

    LS: Magnussenさん、審理以外の場所で接触は出来ません、お話出来ないんですよ。

    Magnussenは椅子に腰を下ろすと彼女の手をしっかりと握った。

    LS: そういうことはなさらないで。

    CAM: 1982年にあなたのご主人はHelen Catherine Driscollと手紙のやり取りをしていましたね。

    LS: 私が主人を知る前のことです。

    CAM: その手紙は生々しく愛が込められていた-赤裸々だと言う人もいるでしょう-それが現在、私の手元にあるんです。

    LS: 手をどけてくださらない?

    CAM: (手紙の文面を一部復唱して)『僕はね、ダーリン、もっと知りたいんだ、君の身体の…(わずかに止めてから先を続ける)…感触を。』

    LS: 手紙の内容は把握しています。

    CAM: その娘は15歳だった。

    LS: 大人びて見えたのよ。

    CAM: ええ、美味しそうでしたよ。写真もあるんです-彼女がご主人に送ったものがね。(食べる真似をして唇を動かす)『んん、うまい』。

    LS: 主人は年齢を知らなかった。手紙でやり取りする前に会ったのはたった一度きりで。真実を知ってすぐに止めました。それが事実です。

    CAM: 歴史の本向けの事実でしょう。私はニュースの世界に身を置いている。

    LS: あなたの手、汗かいてるわね。

    CAM: いつもですよ、恐れながら。病気なんです。

    LS: 不快ね。

    CAM: ああ、慣れっこです。(彼女の手の甲を指で撫でながら)私の感触では、世界はすべて濡れているんです。

    LS: 人を呼びます。あなたを離れさせるから。

    引き離そうとする手をMagnussenが握り締める。

    CAM: これは何かな?

    そっと彼女の手を持ち上げ、手の平を返させてから再び握り、手首を顔に近付けて匂いを嗅ぐ。

    CAM: Claire de la Lune?(彼女の顔を見て)ちょっと若作りじゃありませんかね?

    Lady Smallwoodは引き離した手を拒否するように彼へ向かって振り回したが、Magnussenは彼女の腕を掴んで捕らえた。

    CAM: 私を殴りたい?出来ますかね?お年を召したご婦人だ。人を呼ぶことにした方がいいでしょう。

    手を自由にすることを許されたLady Smallwoodは顔を背けた。

    CAM: さあ?どうぞ。

    彼女は視線を逸らしたままでいる。

    CAM: 出来ない?重大な影響力がありますからね。私はその手紙を所有している、従ってあなたは私の言いなりだ。

    LS: これは恐喝です。

    CAM: 当然ながら恐喝ではありません。これは…所有権です。

    Lady SmallwoodはMagnussenをにらみつける。

    LS: あなたが所有しているのは私ではありません。

    案内係が部屋にやって来て二人から少し離れたところで立ち止まった。Magnussenの視線はその足音を聞いているかのようにわずかに動いたが、注意を向けることはなかった。その代わりに少し身体を起こしてLady Smallwoodに顔を近づけると、突き出した舌先で彼女の頬を舐めた。彼女が縮み上がるのを見て身体を離す。

    CAM: Claire de la Lune。

    彼女の机にあるトレイからナプキンを取り、舌先を拭く。

    CAM: その香りのような味はしないもんですよね?

    Lady Smallwoodは呆然と前方を見つめていた。Magnussenはナプキンを置き、彼女を一瞥してから立ち上がって部屋を出ていく。

    CAM: (案内係に)Lady Smallwoodのお支払いは私に。頼むよ。

    案内係: かしこまりました、Magnussen様。

    Lady Smallwoodはうつむき、身震いしながらため息をこぼした。

     

     

    その後、Lady Smallwoodは帰途に就いていた。ロールスロイスの後部座席に座り、片手に持ったコンパクトの鏡を見ながらMagnussenに舐められた部分にハンカチを当てている。苛立たしげにため息を漏らす。

    LS: (小声で)ああ、もう。

    運転手がルームミラーで彼女の様子を窺う。

    運転手: だいじょうぶですか、奥様。

    LS: だいじょうぶよ、ええ。

    ハンカチを下ろして再びコンパクトの鏡を見る。

    LS: (そっと、怒りを込めて)Magnussen。

    腹立たしげにコンパクトを閉じる。

    LS: (声を荒げ、自分自身に)あいつには誰も逆らわない。誰もしようとはしない。やってみることさえ。

    ハンドバッグからClaire de la Luneの瓶を取り出して身体に吹き付ける。

    LS: イギリスにいるどんな人間でも、あの忌々しい奴を止められる能力など…

    そこで言葉を止め、窓の外を見つめる。

    運転手: 奥様?

    LS: 車を戻して。街へ戻ってちょうだい。戻るのよ。

    運転手は車をUターンさせ、来た道を戻る。

    運転手: どちらへ行かれますか、奥様?

    LS: ベイカーストリート。

     

    ※Charles Augustus Magnussen

    …Magnussenを演じるLars Mikkelsenはデンマーク出身。

     

    ※Lady

    …Ladyは女侯爵(他、女伯爵など)や侯爵(他、伯爵など)夫人の略式の敬称。

     

    ※イギリス、貴族院

    …「庶民院(House of Commons) と共にイギリス議会を構成している(両院制)」「イギリスの貴族院は今日でも全議員が何らかの形で爵位を持つ貴族 (lords) で構成されており、無爵でも多額納税者や勅撰議員が少なからず名を連ねていた日本のかつての貴族院とは様相が異なる」「議会制の長い歴史をもつ英国では、古くウィリアム1世の時代から、国王の諮問機関として、大貴族によって構成される大会議(キュリア・レジス)が存在していた。そして次第に小貴族、市民代表が参加するようになり、後に世襲制の貴族階級によって構成される貴族院と、市民代表からなる庶民院の二院制が成立した」-Wikipedia「貴族院(イギリス)」より

    また、貴族院のことを上院、庶民院のことを下院ともいう。

     

    ※Claire de la Lune

    …「月の光に (Au Clair de la Lune)」というフランス民謡がある。「この歌は現在子守唄に分類されるが、全体を通してダブル・ミーニングとなっており、その意味は最後になって明らかにされる」-Wikipedia「月の光に」より

     

     

    ----------オープニング----------

     

     

    ベッドで眠っているJohnとMary、ふとんの上に置かれているJohnの手にMaryの手が重ねられている。Johnの手がぴくりと動くー彼の夢にはアフガニスタンにいた頃の光景が再び甦っていた。飛び交う銃声や爆撃の凄まじい音が鳴り響き、周りでは仲間が倒れて痛みに顔を歪めている。眠ったままJohnが首を振ると、今度はベイカーストリートでSherlockと初めて一緒に過ごした日へと場面が変わった。

    SH(夢の中で): 多くのけが人を目にした、そしてひどい死に様も。

    JW(夢の中で): 僕の人生にはもう十分だ。

    Watson夫妻が眠る寝室のそばで、誰かが玄関のドアを強く叩いている音が聞こえる。

    SH(夢の中で): もっと見たいと思うかい?

    JW(夢の中で): ああ、いいね。行くよ。

    ノックの音が続き、Johnは飛び起きる。まだ意識の半分は夢の中で、Sherlockがじっと彼を見つめていた。

    SH(夢の中で): ゲームが始まる。(微笑む)

    Johnはようやく目を覚まし、ふとんから出ようとする。寝間着の上にドレッシング・ガウンを羽織ったJohnはノックの音が続く玄関へ向かった。ドアを開けると明らかにしばらく泣き続けていたと思われる女性が立っていた。

    女性: (涙ながらに)こんな早い時間に。(泣き出す)ほんとうにごめんなさい。

    Johnがまだぼんやりとした状態で女性を見ていると、Maryもドレッシング・ガウンを羽織いながら玄関へやって来た。

    MW: Kateじゃないの。

    JW: あ。ああ。Kateだ。

    Kateはティッシュを鼻にあててすすり泣いている。

    MW: 入るように言った?

    JW: ああ、ごめん、そうだね。良かったらどうぞ、Kate?

    Johnが道を空けるとKateは泣きながら家の中へ入り、Maryへ歩み寄った。

    MW: (同情しながら)まあ…

     

     

    その後、MaryとKateは並んでソファに腰掛けていた。Maryは泣き続けるKateの腕を撫でてやっている。

    MW: だいじょうぶよ。

    Johnがマグを二つ持ってきてコーヒーテーブルの上に置く。

    JW: どうぞ。

    MW: (Johnに)Isaacのことで。

    JW: (Kateに)ああ、ご主人の。

    MW: 息子さん。

    JW: 息子さん、ああ。

    Kate: あの子またいなくなったの。昨日の夜帰ってこなくって。

    Maryは同情しながらため息をつき、Johnを見た。

    MW: 常習なの。

    JW: 『薬中(薬物中毒者)』ってこと?

    Johnは部屋の中を歩き回っている。Kateは再び泣き崩れた。

    MW: まあ、そう、さすがね、John。

    JW: それはさ、Sherlock Holmesを必要としてるってことなのかな?もう随分あいつには会ってないもんだから。

    MW: せいぜい一ヶ月じゃない。

    歩き回るJohnの左手はピクピクと痙攣している。

    Kate: Sherlock Holmesって誰?

    MW: (Johnに視線を向け)ほらね?こういうことだってあるの。

    Kate: あの子たちの-たまり場になってるところがあるの、あの子と…友達の。

    -誰かがドラッグをスプーンに乗せ、下からライターで炙って仕込みをしている。そばにいる他の誰かが弱々しく手に頭を乗せる。

    Kate(声): その子たちみんな…やりたい放題で…

    -仕込みをしていた男がライターを閉じる。

    Kate: …「(注射を)打つ」とかそういうこと。

    JW: どこにいる?

    Kate: 家があって。荒れ果てた。その、廃墟同然っていうか。

    JW: いや、住所を。

    Maryは顔を上げて夫を見た。

    JW: どこなんだ?正確には。

     

     

    しばらくして服を着替えたJohnは家の外に出て、前に駐めてある車へ向かった。まだパジャマとガウン姿のMaryが後をついてくる。

    MW: 本気なの?

    JW: (振り返って)何でだよ?あの人は警察に行かないんだろ。誰かが行ってやらないと。

    MW: (歩き続けるJohnを見ながら門のところで立ち止まる)どうしてあなたが?

    JW: 隣人愛が芽生えた。

    MW: いつから?

    JW: (少し含み笑いをして)たった今。今この瞬間。

    MW: どうしてあなたはそんなに…?

    Maryは身振りで伝えようとする。

    JW: (車の運転席のそばで立ち止まって振り返る)何だよ?

    MW: 知らない。あなたどうしちゃったの?

    JW: (大声で叫び)僕はどうもしてなんかない。(勢いを失って早口に)叫ばずに言ったと思ってくれ。

    MW: やってみる。

    Maryはキビキビと助手席のドアへ進んでいく。

    JW: ダメだ、君は来れない。妊婦なんだから。

    MW: あなたは行けない。わたしは妊婦なんだから。(※)

    そう言ってMaryは助手席に乗り込み、ドアを閉めてしまった。Johnはしばし視線を逸らして考えてから車に乗り込んだ。

     

    ※妊婦

    …「妊娠している」のpregnantには『創意工夫に富む』『説得力がある』という意味もある。

     

     

    そして二人はKateに教えられた住所にある荒れたコンクリートの空き地へ車を駐めていた。Johnは車のトランクを開けて何かを取り出してから助手席へ歩み寄った。Maryは彼がジーンズのウエストに押し込んでいる物を指差して笑う。

    MW: なあにそれ?!

    JW: タイヤレバー。

    MW: 何で?

    JW: (家の方を顎で示し)だってあそこにラリった野郎がいっぱいいたとしてさ、タイヤのことで助けが必要な奴もいるかもしれないだろ。困ることがあるなら、やるだけ。だいじょうぶ。

    そう言ってJohnは家に向かおうとしたが、Maryが車から出てきた。

    MW: えっと、John、John、John、John。

    立ち止まってMaryへ振り返る。

    MW: ほんのちょっとだけセクシー。

    JW: (何食わぬ顔で)まあね、知ってる。

     

     

    家の玄関へ辿り着いたJohnは“PRIVATE PROPERTY. KEEP OUT(私有地 立入禁止)”と書かれた大きな看板があるドアを騒々しく叩いた。

    JW: 誰かいるか。

    すると上着のフードを被った若い男がドアを開けた。薄汚くみすぼらしい風体をしている。

    Bill: 何の用?

    JW: 失礼する。

    Johnは男を押し退けて中に入った。Billはしばし外を眺め、Johnの方へ振り返る。

    Bill: おい、おい、入っちゃダメだってば!

    JW: (奥へ進みながら部屋の様子を眺め)知人を探してる。

    構わずに通路の先を見ながら進んでいく。

    JW: ある特定の知人を-適当に見てるわけじゃない。

    最後の部屋に着いてしまい、中の様子を確かめてから来た方へ戻る。

    Bill: 出て行けよ。入っちゃいけないとこなんだ。

    JW: (Billから少し離れたところで立ち止まり、咳払いをして)Isaac Whitney。見かけたか?

    するとBillはポケットから折りたたみ式のナイフを取り出して刃を出し、Johnへ向けた。

    JW: Isaac Whitneyを見たかって訊いてるのに、お前はナイフを見せるのか。ヒントか何かか?

    Billはナイフを向けたままで後ろのドアを開けた。

    JW: パントマイムでもしてるのか?

    Bill: 出てけ。でなきゃ刺すぞ。

    JW: あー、そこからじゃダメだ。手伝ってやろうか。

    するとJohnはBillに歩み寄ってナイフが届く位置に立った。Billは目を見開いてJohnを見つめている。

    JW: (兵士の態度に変わり)さあ、しっかりしろ。(はっきり、ゆっくりと)Isaac Whitney。

    Bill: よし、お前が言ったんだからな。

    Billが動こうと意識をする前にJohnは素早く左手を出してBillの右腕を掴み、右手でその腕を打ち据えた。痛がって叫ぶBillの首を右手で掴んで壁に叩きつけ、右足でBillの両足を払う。Billが床に崩れ落ちるとJohnは一歩引いた。Billは息を詰まらせながら痛みにうめいている。Johnは屈んで床に落ちたナイフを拾い上げた。

    JW: よし。

    Billのそばにしゃがむ。

    JW: しっかりしたか?

    Bill: 腕を折ったな!

    JW: いいや、捻挫させただけだ。

    Johnは近くに他の人間がいないか周りを見て確かめる。

    Bill: ぐしゃぐしゃだよ!ぐしゃぐしゃになってるだろ?

    右腕をJohnに掲げる。

    Bill: 見ろって!

    Johnはその腕を捻った。Billはうめく。

    JW: ああ、捻挫だな。僕は医者なんだ-どうやって捻挫させるのか知ってる。

    腕を放してやる。Billはうめいている。

    JW: さて、Isaac Whitneyはどこだ?

    Bill: 知らねえよ!

    Johnは彼を見つめる。

    Bill: たぶん上にいる。

    JW: ごくろうさん。(Billの脚を叩く)簡単だっただろ?

    立ち上がって階段へ向かう。

    Bill: (意地悪く)いいや。すげえ痛えし。あんた病んでる、絶対。

    JW: (進みながらポケットにナイフをしまう)いいや。もっと高度な犯罪の授業を受けてきたんでね。

    Johnは階段を上り、上の階にある大きな部屋へ入っていった。何人かが部屋の端にあるマットレスに寝転がったり座り込んだりしている。全員が薬に相当やられてしまっていて、現実世界で何が起こっているか認識出来ない様子だった。眉をひそめながらJohnは部屋の奥へ進む。

    JW: Isaac?Isaac Whitney?

    二人の男が端と端に横たわっているマットレスへ歩み寄る。

    JW: (そっと)Isaac?

    ひとりが疲れた様子で手を掲げた。若い男が傍へやって来るJohnへ弱々しく視線を向けている。Johnはその隣にひざまずいた。

    JW: どうもこんにちは。

    励ますように背中へ手を当ててやる。

    JW: 起きてくれるか?起きるんだ。

    手伝いながら座らせ、片方の目蓋を持ち上げて状態を確認する。青年の眼球は落ち着きなく動き、Johnを見ようとしていた。

    Isaac: Watson先生?

    JW: (もう片方の目蓋を確認する)そうだ。

    Isaac: 俺どこにいる?

    JW: 人間のクズ共と一緒にこの世のケツの穴だよ。僕を見て。

    Isaac: (弱々しく)俺のために来てくれたの?

    JW: こんなところに他にも知り合いがいると思うか?!

    Isaacはぼんやりと笑った。

    JW: なあ、だいじょうぶか?

    Isaacがいるマットレスの右側、Johnの背後に置かれているマットレスの上に、スウェットのズボンをはいて上着のフードを被った男が頬杖を突いて寝転がっていた。その男がJohnの方へ顔を向けて声を掛ける。

    SH: ああ、やあ、John。

    Johnは目を見開いて顔を上げた。

    SH: ここで会うとはな。

    Johnが振り向くとSherlockは被っていたフードを後ろへ下げた。目を凝らしながらJohnを見ている。

    SH: 来たのは僕のためでもあるのかな?

    Sherlockを見ていたJohnはやり切れない思いで目を細めた。

     

     

    少し経って外に出てきたIsaacはよろよろと車に歩み寄っていった。Maryは運転席に移動している。

    MW: どうも、Isaac。

    Isaac: (ぼんやりと)Watsonさん、乗せて-乗せてもらってもいいですか?

    MW: (親指を後部座席へ向かって掲げ)ええ、もちろん、乗って。Johnはどこ?

    Isaac: (後部座席のドアを開けながら)ケンカしてるみたい。

    MW: 誰と?

    家の外に設置されている非常階段、その二階の踊り場。釘で留められていた仮設扉を腹立ちまぎれに押し破ってSherlockが家の中から出てくる。扉は完全に外れて階段へ押しやられた。

    SH: (腹を立てながら)いい加減にしろ、John!事件なんだ!

    JW: (後をついて非常階段を下りる)一ヶ月-たったそれだけで。ひと月で。

    階段を半ばまで下りるとSherlockは横にあった家を囲む壁を飛び越えた。

    SH: 捜査中なんだ。

    壁のそばに置かれていたホイール付きのゴミ箱へ飛び降り、もうひとつ横たわって置かれていたゴミ箱へ飛び移ってから地面へ下りた。Johnも後をついていく。

    JW: Sherlock Holmesが薬中のたまり場に!どう見られるだろうね?

    SH: 潜入捜査をしている。(※)

    JW: いいや、違うね!

    SH: (苛立ちながら手を振り下ろし)ああ、「今」は違うよ!

    Maryは素早く彼らの方へ車を走らせていた。激しくブレーキの音を立ててそばへ車を停める。

    MW: (厳しく)乗って。二人共、早く。

    Johnは助手席へ向かい、Sherlockはその後ろの席へ向かう。すると腕を抱えながらBillが車へ駆け寄ってきた。Maryは車に乗り込むJohnとSherlockへ腹立たしげにため息をこぼしていたが、振り返ると前にある窓の向こうに別の人間が立っているのに気付いた。

    Bill: 頼むよ。俺もいいかな?腕が折れちまってるみたいなんだ。

    MW: ダメ。あっち行って。

    JW: いや、乗せてやれ。

    MW: どうして?

    JW: (開いていた車の窓から顔を出してBillに後部座席を示しながら)いいよ、乗れって。それは捻挫だからな。

    Billは後部座席に走り寄る。

    MW: 他にもいるの?ねえ、みんな家まで送っていってあげるんでしょ?

    Sherlockはため息をこぼしながらBillのために後部座席の真ん中へ移動した。Billは車に乗り込んで彼を見る。

    Bill: だいじょぶ?Shezza。

    JW: (耳を疑って)“Shezza”?

    SH: (舌打ちしながら)潜入捜査をしてたんだ。

    MW: だけど-“Shezza”って、ほんと?!

    Sherlockは苛立たしげにため息をこぼす。

    JW: 家には行かないよ。Bart'sに行ってくれ。Mollyに連絡する。

    Sherlockはハンカチで顔の汚れを拭っている。

    MW: どうして?

    JW: (電話を耳に当てながら肩越しに後ろにいる友人を見てMaryに)Sherlock Holmesは容器に小便をする必要があるから。

    Sherlockはハンカチを下ろして腹立たしげにため息をつく。Maryは車を発進させた。

     

     

    その後、Bart'sの研究室。MollyはSherlockの尿検査を終えたところだった。Sherlockはそばでベンチに寄り掛かりながらいじけた様子で立っている。研究室の別の一角でベンチに腰を下ろしているBillの腕にMaryが包帯を巻いてやっていた。Isaacはそのそばに座っている。Mollyは荒々しくゴム手袋を外した。

    JW: どう?潔白?

    MoH: 潔白?

    Mollyは振り返り、歩み寄ってSherlockに向き合うと右手で彼の顔を平手打ちした。BillとIsaacはそれを見て驚いている。Mollyはもう一度強烈に叩き、さらに左手でもう一度叩いた。Sherlockは目を瞬いて顔をしかめる。

    MoH: 生まれ持った素晴らしい授かり物をどうして粗末に扱うのよ?(※)

    Johnの方を一瞥し、再びSherlockに顔を向ける。

    MoH: それにどうして友達の思い遣りに背くようなことするの?謝りなさいよ。

    SH: (顔に手を当てて)婚約が解消になったのは気の毒だな-でもまあ指輪が無かったのは僕にとって幸いだ。

    MoH: やめて。(怒って)やめてよ。

    Johnが厳しい顔付きでSherlockへ向かっていく。感情を抑えながら話す声は低かった。

    JW: こういうことをまたしたくなるような状態だったんなら、連絡くれればいいだろ、僕に言ってくれれば良かったのに。

    SH: 落ち着いてくれ。これはみんな事件のためなんだ。

    Billの腕に包帯を巻きながらMaryは首を振った。

    JW: じけ…どんな事件のためにこんなことしなきゃならないんだ?

    SH: なら僕も、どうして君が自転車通勤を始めたのか聞かせてもらおうか。

    JW: (首を振り)いいや。そんなゲームで遊んだりしない。

    Johnは顔を背けて離れていった。

    SH: かなり最近のことだろう。強く決心したみたいじゃないか。

    JW: 興味ないね。

    Bill: 俺ある。

    SherlockはBillへ顔を向けた。BillはMaryを見る。

    Bill: (痛がって)おう。

    MW: ああ、ごめん。動くからよ。でもこれはただの捻挫。

    Bill: そう。誰かさんにやられた。

    MW: へえ?

    BillはJohnへ顔を向けた。

    Bill: あー、あいつなんだけど。

    JW: ああ、たぶん「注射が必要な中毒者」なんだろ。

    SH: (鋭い眼差しでJohnを見据えて)そうだ。思うに、ある意味そうだと言える。

    Johnはしばし視線を受け止めたが、やがて目を逸らした。

    Bill: それあいつのシャツ?

    SH: (Billへ顔を向けて)何だ?

    Bill: その、畳んでた跡があるなって。

    そう言いながらJohnへ視線を向けている。Sherlockも同様にJohnへ視線を向けて、着ているシャツの折り目にズームさせていった。

    Bill: 前に二本折り目がある。最近まで畳まれてたけど新品じゃない。

    Sherlockはわずかに笑みを浮かべる。

    Bill: 今朝慌てて着替えたはずだ…

    -寝室にいるJohnがベッドの上でシャツを畳んでいる。

    Bill: …だからあいつのシャツはみんなそういう風にしまってあるんだ。

    Johnは困惑しながら彼を見つめる。

    Bill: でもどうして?たぶん毎朝自転車で通勤して、着いたらそこでシャワーを浴びて、そんで持っていった服に着替えるんだ。

    Sherlockは明らかに感心した様子で彼を見ていた。

    Bill: (Johnを眺めながら)シャツを畳んでしまっておく…

    -寝室にいるJohnが畳んだシャツを小さなバックパックに詰めている。

    Bill: …持ち運べるように。

    SH: 悪くないな。

    Bill: (まだJohnを見ている)そんでもっと推理してみると…

    Sherlockは呆れたように眉を上げ、Johnと視線を交わした。

    Bill: …つい最近始めたばっかりだ、だってちょっとイライラしてるもんな。

    Johnは自分の身体を見下ろした。

    SH: 違う-こいつはいつだってこういう歩き方なんだ。教えてくれ-お前の名前は何だったかな?

    Bill: The Wigって呼ばれてる。

    SH: いや、そうではない。

    Bill: (気まずそうに)その、み-みんなWiggyって言ってる。

    SH: いいや。

    Bill: (躊躇いながらうつむいて)Bill。Bill Wiggins。(※)

    SH: 見事な観察力だな、“Billy”。

    するとSherlockの電話がメッセージの受信を知らせた。ポケットから取り出して内容を確認する。

    SH: ああ!やっとだ。

    MoH: 「やっと」何なの?

    Bill: いい知らせ?

    SH: ああ、素晴らしい知らせだ-最高の。

    そして電話をいじりながら出入口のドアへ向かっていく。

    SH: 大いにあり得るな、僕のドラッグ癖が新聞を賑わすかもしれない。「ゲームが始まる」。

    ドアへ進みながら電話を耳に当て、最後に少しだけみんなへ顔を向ける。

    SH: ちょっと失礼する。

    そして外へ出ていってしまった。

     

    ※潜入捜査

    …原作「唇のねじれた男」から。知人のKateがWatsonとMaryの家にやって来て、夫のIsa Whitneyが帰ってこないと泣きついた。Isaは阿片中毒者で、きっと阿片窟にいるはずだと聞いたWatsonは彼を連れ戻しに向かう。阿片窟でIsaを見つけたWatsonに奇妙な老人がこっそり声を掛けてきた。それはある事件のために潜入捜査をしていたHolmesだった。

    また、その後Sherlockが「今は違う!」と大げさな身振りをしながら叫んでいる後ろでJohn(Martin Freeman)がわずかに笑みを浮かべているのは、Sherlock(Benedict Cumberbatch)がリハーサルよりも『オーバーに』演技をしたため。

     

    ※Holmesへの叱責

    …原作「四つの署名」の冒頭、事件がない退屈さを紛らわすためにコカイン注射をするHolmesを責めるWatsonの言葉。「なぜ君は単に快楽を貪るために、自分に授けられた凄い能力を失う危険を冒すのか。いいか、僕は一人の同僚として言っているだけではなく、医者として、その健康に一定の責任がある人間に対して言っているんだ」

     

    ※Wiggins

    …原作「緋色の研究」や「四つの署名」などにBaker Street Irregulars(ベイカー街遊撃隊、ベイカー街非正規部隊-Holmesの捜査を手伝うホームレスの少年たち)の隊長としてWigginsという少年が登場する。

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    original transcripts by Ariane DeVere