ベッドの上に座っているMaryがiPadでJohnのブログの投稿前と思われる原稿を見ながら声に出して読み上げていた。

MM: (芝居がかった調子で読み上げる)「彼の動きはとても静かだった。とても怪しげで、訓練された猟犬が匂いを嗅ぎ分ける姿を髣髴とさせた」

JW: (画面の外、少し離れた場所から)何してる?

MM: 「もし彼がその才能を法に背く形で利用すればどんなに見事な犯罪を犯すだろうかと思わずにはいられなかった」(※)

Johnは寝室に続いて設けれている洗面所から現れた。顔の鼻から下、唇の上がシェービング・クリームの泡で覆われている。

JW: それは読むな。

MM: (まだ画面を見たまま)有名なブログに、とうとう!

JW: なあ-それは…

MM: …過去の歴史、はい、知ってますよ。でもそうじゃない、そうでしょ、だって彼が…

MaryはiPadから顔を上げてJohnを見ると話を止めた。

MM: (笑みを浮かべ)何してるの?!

JW: 顔を洗ってる。

MM: (ニヤニヤしながら)剃っちゃうんだ。

JW: まあ、君は好きじゃないみたいだし。

MM: Sherlockは好きじゃないみたいだし。

JW: どうやらみんな好きじゃないみたいだな。

Maryはおもしろそうに笑う。

MM: また会いに行くんでしょう?

JW: いや-仕事に行く。

MM: あら。じゃあ仕事の後に、会いに行くのね?

Johnは目を回して洗面所へ戻る。

MM: あら、知らないわよ-半年間のわたしへの怒りっぽいキス、そして彼は「くちばし」を尖らせて…

JW: (鏡を見ながらシェービング・クリームの泡を更に塗り)Sherlock Holmesのために剃るんじゃない。

MM: あら!それをTシャツにした方がいいわね!

JW: 黙れ。

MM: (生意気そうに)さもなくば?

JW: 僕と結婚させる。

そう言ってMaryを見ると彼女はニヤニヤしていた。手をすすいでJohnは髭剃りを取り、鏡を覗き込むと溜め息をこぼす。そして口元へ髭剃りを近付けていった。

 

※「彼の動きはとても静かだった。とても怪しげで、訓練された猟犬が匂いを嗅ぎ分ける姿を髣髴とさせた」「もし彼がその才能を法に背く形で利用すればどんなに見事な犯罪を犯すだろうかと思わずにはいられなかった」

…Maryが読み上げるJohnのブログの内容は実際のブログには載っていないが、同様の文章が原作「四つの署名」にある。「彼の動作は訓練された猟犬が匂いを嗅ぎ分けるように迅速で怪しげだった。私は、もし彼がこの活力と機敏さを、それと対立する形で発揮していれば、どんな恐ろしい犯罪を犯していただろうかと考えずにはいられなかった」

 

 

SH(声): ロンドン。それはまるで巨大な巣窟、あらゆる類の犯罪、スパイや流れ者が否応なしに集まってくる汚水槽だ。(※)

221Bのリビング。赤いドレッシング・ガウンを服の上に纏ったSherlockがソファの後ろの壁を見つめていた。そしてソファの上に乗ると壁に地図やメモ書き、書類を貼り付け始める。

SH(声): 時折その問いかけは「誰が」ではなく、「誰が知っているか」という問いかけとなる。

ロンドンのどこかで20代もしくは30代らしき、頭を剃り上げたひとりの男が公園のベンチに座ってサンドイッチを食べている。

SH(声): もしこの男が記事を取り下げるのであれば…

近くのベンチである女性が-恐らくSherlockのホームレス・ネットワークのひとり-男の写真を電話で撮影する。

SH(声): …僕は知る必要がある。

油断しないように男へ視線を向けながら、女はSherlockへ写真を送信した、彼はその内の一枚を壁に貼り付ける。

他の場所では紐に繋いだ犬を連れたひとりの女性がストリートマーケットを通り過ぎていく。

SH(声): もしこの女性が犬を小屋に入れずにロンドンを離れるのであれば、僕は知る必要がある。

別のホームレス・ネットワークの女が犬の飼い主を写真に取ってSherlockへ送ると、その写真はやはり壁に貼り付けられた。彼は人々の写真を貼り続け、バツ印や他の印を写真やその下にある地図へ書き加えていく。

SH(声): ある特定の人々がいる-彼らは目印だ。もし彼らが動き始めれば、僕は何かが起ころうとしているのを知るだろう-沈みゆく船を逃げ出すネズミのように。

 

※犯罪の巣窟

…原作「緋色の研究」冒頭でWatsonが述べている。「ロンドン…そこは帝国の怠け者たちが否応なしに排出されていく巨大な汚水槽だ…」

 

 

髭を剃ったJohnは勤務している病院へ入っていった。

 

 

221Bのリビング。

MH: すべて興味深い、Sherlock、だがテロの警告は既に重大な局面まで持ち上がっている。

兄弟は火の点いていない暖炉の前で向い合って腰掛けていた。Sherlockはまだドレッシング・ガウンを纏っている。二人の間にはチェスが見える。Sherlockは自分の番を終えるとMycroftへ視線を固定したまま椅子に寄り掛かった。

SH: つまらん。そっちの番だぞ。

MH: 我々は確固たる情報を持っているんだ。攻撃は迫っている。

そう言いながらどう自分の駒を進めようかと顔をしかめた。

SH: 「確固たる情報」ね。秘密のテロ組織が攻撃を計画している-それこそ秘密のテロ組織がやることなんじゃないか?奴らからしたらゴルフみたいなもんだ。

MH: あるエージェントが命を懸けて我々に知らせてくれた。

SH: おや、まあ、そいつはそうするべきじゃなかったんだろうな。明らかに目立とうとしたんだろ。

Mycroftは溜め息をこぼさないように努めたようだった。

MH: お前が目印と呼ぶ人物たちは誰も疑わしい動きを見せていないんだろう?(顔をしかめて駒を動かす)お前の番だ。

SH: ああ、Mycroft、でも僕を信じてくれないと。答えを見つける。ネット上の奇妙な書き込み、または地方への予期しない旅、もしくは場違いのLonely Heartsの広告の中にきっと。

彼はほんのわずか視線を落としただけだったが、他の角度から見ると少しだけ自分の駒を動かしていた。

SH: そっちの番。

Mycroftはわずかに視線を落として、再びSherlockへと顔を上げた。

MH: 私は個人的に首相へ、お前が事件を取り扱うと保証したんだ。

SH: 取り扱ってるさ。二人とも「事」を扱ってる。僕らを見ろ。

すると二人の間にあったテーブルの上で騒々しい音が鳴り、赤い光が点滅した。

MH: ああ、しまった!

Mycroftは腹を立ててピンセットを投げ出した-二人は「Operation」(※)で遊んでいたのだった。最初に見えた部屋の様子からチェスをしているのかと思われたが、チェスのセットは実際はソファの前のコーヒー・テーブルに置かれているだけだったのだ。

SH: おおっと!

Mycroftは自分が獲得していた駒をボードに戻した。

SH: (Mycroftが取り損ねた駒を見ながら)“broken heart(傷ついた心臓)”を扱えなかったか-如何にも物語ってるな。

ニヤついた顔をして椅子に寄りかかり脚を組む。

MH: 賢くなろうとするな。

SH: それは昔を思い出させる。(子供の声を真似て)「賢くなろうとするな、Sherlock。賢いのは私だ」

MH: (弟をにらみつけ)賢いのは、私だ。

Sherlockは黙想的に傍らへ視線を外す。

SH: 僕は自分がバカなのかと思っていたよ。

MH: 私たちはどちらもお前をバカだと思っていた、Sherlock。他の子供に会うまでは他に手立てがなかったのだ。

SH: ああ、そうだな。それは誤りだった。

MH: ぞっとするな。彼らは何を考えていた?

SH: 恐らく、友達を作ろうとしていることとか。

MH: ああ、そうだな。友達。当然、お前も今ではそういった類のことに入れ込んでいるようだしな。

SH: (兄をじっと見て)あんたには無いのか?今まで?

MH: お前はそう鈍いのなら、Sherlock、実際の人々がどういったものか想像がつくか?私は金魚の世界で暮らしているのだ。

Sherlockは握り合わせた手の指を立てて兄を眺める。

SH: そうだな、でも僕は二年もいなかったから。

MH: それで?

SH: (肩をすくめ)さあ、知らないね。もしかしたらあんたは自分を見出すのかもしれないと思ってたよ…金魚にね。

MH: (顔色を変えて)対象を変えろ-すぐに!

そう言ってMycroftは立ち上がると暖炉へ歩み寄った。

SH: 安心しろ、Mycroft-あんたの地下組織が何をするにせよ、「秘密」は取るに足らない、もしくは妙な何かの中に現れるだろう。

そこへHudson夫人がお茶のトレイを持ち、いつもの「あらあら!」を言いながら部屋に入ってきた。

MH: どちらのことを…

Sherlockは笑みを浮かべる。

MrsH: (うれしそうにダイニングテーブルへトレイを置きながら)信じられない。ほんとに信じられないわ!彼が-また自分の椅子に座ってるなんて!

そう言いながらMycroftへ顔を向ける。

MrsH: ねえ、すてきじゃありません?Holmesさん。

MH: 私も抑えきれませんよ(!)

SH: おや、ほんとは出来るだろうに。

MrsH: そんな風に見えるけど実はあなたに会えて喜んでいるのよ、心の中で…(顔をしかめる)

MH: 失礼-どちらのことを?

MrsH: あなたたち両方よ。

そして夫人は部屋を出ていった。

SH: 違う遊びをしよう。

MH: (腹立たしげに溜め息をこぼし)何故ゲームをする?

SH: まあ、「ロンドンへのテロの警告は既に重大な局面まで持ち上がっている」からな。(テーブルの前で脚を振り回して立ち上がる)時間を潰しているだけだ。推理をしようじゃないか。(※)

するとダイニングテーブルへ歩み寄り、置いてあった毛糸の帽子を取る。かつて彼が別の帽子を「耳帽子だ!」と表現したようにその帽子の耳の部分には覆いがあり、そこから伸びた紐にボンボンが付いていた。

SH: 依頼人が僕のいない間に置いていったんだ。どう推理する?

帽子を兄へ投げて渡す。

MH: (帽子を受け取り)私は忙しい。

SH: おい、やれよ。久しぶりなんだから。

Mycroftは帽子を鼻に近付けて匂いを嗅ぎ、Sherlockへ顔を向けた。

MH: 私は常に勝つ。

SH: それが抗えない理由だろ。

MH: (矢継ぎ早に)抵抗出来ないものなどこの帽子に見出さない、旅慣れて心配性で感傷的で不健康な輩、ひどい口臭を持ち…

Sherlockの顔に広がる笑みに気付いて言葉を止める。

MH: くそ。

そう言って帽子をSherlockに投げて返した。

SH: そして孤立している、そう思わないか?

MH: 何故彼が孤立していると?

SH: 「彼」?

MH: 明らかに。

SH: 何故?サイズから?

MH: バカなことを。大きな頭をした女性だっている。

Mycroftから知性に対しての侮辱を受けたからか、Sherlockは一瞬怯んだ。

MH: いや-彼は最近散髪している。内側にある汗染みに短い毛が付着しているのが見えるだろう。

Sherlockは少し口を尖らせながら帽子を見下ろした。

SH: 髪の短い女性だっている。

MH: 蓋然性として優位だ。

SH: あんたが髪の短い女性と話をしたことがあるかどうか、じゃない-もしくは、そう、女性と。

MH: シミによって彼が体調を崩していることがわかる、そして感傷的、何故ならこの帽子を直している、三、四…

SH: 五回だ。(帽子を兄に投げて渡す)とても器用に。(矢継ぎ早に)修繕の手間は購入の手間を上回る、だから感傷的に愛着を持っている、だがこれはそれ以上だ。ひとつ、あるいは二つの継当てなら感傷性を表すだろう、だが五つ?五つなんていう過剰な行為。強迫性障害だ。

MH: それはどうだか。依頼人はこれを置いていった。どんな強迫性障害者がそんなことをする?

Mycroftは帽子を投げ戻し、Sherlockは苛ついて顔をしかめながらそれを受け取った。

MH: 先に施された継当ては広範囲に渡って色褪せている、従って海外で身に付けていた-ペルーで。

SH: ペルー?

MH: これは「チューヨ」-アンデスの伝統的な被り物。アルパカの毛で編まれている。

SH: (ニヤリとして)違う。

MH: 違う?

SH: アイスランド羊の毛だ。似通っている、だが非常に特徴的だ、もし何を求めているか知っているのならね。僕は天然繊維別の張力の変化についてブログを書いたよ。

MrsH: (ティーポットを持って部屋に戻ってきて)それは急いでやる必要があるわね。

Sherlockは一瞬動きを止め、再び兄へ向き直った。

SH: 心配性だと言ったな。

MH: 左のボンボンがひどく噛まれている、それは神経質な男であることを示すが…

SH: (被さって)…だが癖の産物でもある、右側のボンボンは噛んでいないからだ。

MH: その通りだ。

Sherlockは帽子の匂いを嗅ぎ、顔をしかめて鼻から離した。

SH: 不快なボンボンをわずかに嗅ぐことで彼の呼吸の状態について必要なことをすべて知ることが出来る。(身体の向きを変え、皮肉を込めて)すばらしい(!)

MH: 初歩だ。(※)

SH: でもあんたは孤立してることを見落とした。

MH: 見受けられない。

SH: 極めて明白。

MH: どこから?

SH: そこに見えるものすべて。

MH: 言いなさい。

SH: 顔にある鼻のように…

MH: 言いなさい。

SH: (背を向けて)まあ、帽子を被るようなバカな奴に他の人間と連んだりする習慣はないんじゃないかな?

MH: ちっとも。他と違うことを気に掛けないだけなのかもしれない。必ずしも孤立している必要はない。

SH: その通りだな。

そう言うとSherlockは帽子を再び見下ろした。Mycroftは困惑したようで、数回瞬きをした。

MH: 何と?

SH: (兄を見て)彼は変わってる-だから何だ?どうして気にする?あんたはなかなか正しいよ。

するとSherlockは帽子を自分の頭に乗せ、鋭い眼差しで兄を見た。

SH: 何故気にしなければならない?

Mycroftは口を開いたが、一瞬それを言葉に出すのを躊躇したようだった。

MH: …私は孤独ではない、Sherlock。

Sherlockは首をかしげてじっと兄を見ると、真剣な顔をして歩み寄った。

SH: どうしてわかる?

そして帽子を取り、顔を背けた。台所にいたHudson夫人が部屋の入り口へやってきて笑みを浮かべる。

MH: そうだな。もう良ければ仕事に戻る。ごきげんよう。

今しがた交わした会話の結果に戸惑って少し目を見開いたまま、Mycroftは部屋を出ていった。その背後でSherlockは楽しそうに笑うHudson夫人へウインクをして見せた。

SH: (ソファの後ろの壁に貼られた情報へ顔を向け)そうだな。仕事に戻ろう。

 

※Operation

…アメリカやイギリスの子供向けボードゲーム。ボードの上には"Cavity Sam(空洞のSam)"というニックネームの男が横たわっている姿のイラストがあり、彼の身体は様々な病に冒されていて、それぞれAdam's Apple、Broken Heartなどの名前がつけられている。ボードとワイヤーで繋がったピンセットでボード上の身体にある特定の場所を操作する。プレイヤーは医者となり「手術(Operation)」をしてより多くの病気を取り除くという争いをする。もしピンセットが誤った場所に触れると音がなり、Samの鼻が赤く光る。

 

※「初歩だ」

…"Elementary"。 原作「背中の曲がった男」で当時別に生活していたWatsonのもとを久しぶりに訪れたHolmesが最近の彼の様子を推理してみせ、それに感嘆したWatsonに対して言った言葉。しばしば「初歩だよ、親愛なるWatson ("Elementary, my dear Watson")」と引用されることもあるが、若干違っている。 

また、その前の「蓋然性の優位(the balance of probability)」という言葉もHolmesが推理を語るときによく用いている。

 

※帽子で推理

…原作「青い紅玉」でHolmesはある現場から持ち込まれた帽子の状態で持ち主がどんな人物か推理してみせる。原作「黄色い顔」では、依頼人が置き忘れたパイプに修繕が施してあることからそれが大事なものだと推察したり、その他の状態から持ち主は歯が丈夫で不注意な性格だと推理する。また、「ギリシャ語通訳」でWatsonと共にディオゲネスクラブを訪れたHolmesは窓の外に見える人物を題材にしてMycroftと推理の腕を披露し合う。

 

 

Johnの診察室。Maryがドアをノックして中を覗き込む。

MM: Summersonさん。

JW: わかった。

MM: 停留睾丸。

JW: …そうか。

Maryは出ていった。時刻は10時10分。

 

 

221B。Sherlockは携帯電話で最近送られてきた「目印」のひとりの写真を眺めている。Hudson夫人がリビングの入り口にやって来て、壁に貼られた男の写真にバツ印を書いているSherlockを眺めた。

MrsH: Sherlock。

SH: (ぼんやりと)うん?

MrsH: Johnに話をしなさいよ。

SH: 話そうとした。あいつは自分の見解をかなり明らかにしてくれたよ。

 

 

Johnは顔の前で中指を立てている。診察室にいる彼はもう片方の手で医療用のゴム手袋を嵌めていたのだった。Summerson氏は彼の前で腰から下を脱いで気まずそうに立っている。

JW: リラックスしてくださいね、Summersonさん。

そう言ってJohnは患者に歩み寄った。

 

 

MrsH: 何て言われたの?

SH: F…

 

 

JW: (咳き込み※)。

Johnは手袋をした手でSummerson氏の睾丸の位置を調整していた。

 

 

MrsH: もう、あなたったら!

Hudson夫人は顔を背けて出ていった。

 

※「F」「咳き込み」

…「F…」「Cough」=Fuck Off=失せろ

 

 

その後、Johnは診察室で腰を掛けてコンピューターの画面を眺めていた。内線が鳴ったので応答する。

JW: はい。

MM: (電話の向こうで)えっと、Reevesさん。カンジダ。

Johnはしばしうなだれた。

JW: わかった。

時刻は午後1時4分。

 

 

221B、Sherlockは窓際に佇んでいる。Mollyがその背後で部屋に入ってきた。

MoH: わたしに会いたいって?

SH: (顔を向けて)ああ。

Mollyに歩み寄り始める。

SH: Molly?

MoH: はい?

SH: もし…

立ち止まり、いったんうつむいてからゆっくりと彼女に歩み寄る。

SH: もし良ければ…

MoH: …食事でも?

SH: (同時に)…事件の捜査を。

MoH: (気まずそうに)ああ。

 

 

Johnは腰を掛ける女性患者に話しかけながら処方箋を書いている。

JW: まったく恥じることはないんですよ、Reevesさん。非常によくあることで…(処方箋を手渡し)…ですが注意していただきたいのは…

 

 

SH: …猿の血清。(※)

彼は壁を眺めていて、MollyはSherlockの肘掛け椅子のそばでダイニングチェアに座っていた。彼女が笑顔を抑えようとしている中、Sherlockは部屋を訪れていた二人の依頼人へ顔を向けた。女性がかつてのJohnの椅子へ腰を掛け、男性がそのそばに立っている。

SH: だがPresbury教授(※)についてはもう十分だ。あなたの件についてもっと話を聞かせてくれ、Harcourtさん。

Mollyは横を通り過ぎるSherlockへ小声で話しかけた。

MoH: ほんとにこれでいいの?

SH: もちろんだ。

MoH: 書き留めておいた方がいい?

SH: その方がいいと思うなら。

MoH: Johnはそれが彼のすることだって言ってるの、もしわたしもJohnのように…

SH: (自分の椅子へ腰を下ろしながら)君はJohnになるんじゃない-君は君でいればいい。

Mollyは誇らしげな笑みを浮かべた。

Harcourt氏: その、私自身とHelenの他に銀行口座を空に出来たはずがないんですよ。

Sherlockはじっと男性と見て、着ている上着、髪の生え際、額へ注目する。そして立ち上がって歩み寄った。

SH: 何故妻がそうしたと思わなかったんだ?

Harcourt氏: 常に妻を信用しているからです。

SH: いや-空にしたのはあなただからだ。(先程注目した三つのポイントを示して矢継ぎ早に)体重の減少、髪を染めている、ボトックス。浮気だろ。(ひったくるように一枚の名刺を取ってHarcourt夫人に手渡し)弁護士だ。次!

 

※猿の血清 / Presbury教授

…猿の血清と訳した元の言葉はmonkey glands。monkey glandsは「睾丸」という意味がある。原作「這う男」から。Presbury教授の助手が、最近若い女性と婚約した教授が奇行を繰り返すようになったとHolmesに相談をする。事件を捜査したHolmesとWatsonは教授の保管していた箱からある物質の入った薬瓶を発見する。

 

 

Maryは次の患者を診察室に案内し、Johnに紹介した。

MM: こちらBlakeさん。(小声で)痔ね。

Johnは大人しく頷いた。時刻は午後3時半。Johnは患者へ微笑みかけた。

JW: Blakeさん、どうも。

 

 

Sherlockはソファの近くに置いたスツールに座り、ソファには女性が腰掛けていた。女性の手を取り、慰めるようにそっと叩いてやりながら優しく話しかける。

SH: そして文通相手からのemailが来なくなってしまったんですね?

女性はむせび泣きながら頷く。Mollyは女性の様子を窺いながら、ダイニングテーブルでメモを取っていた。年長の男性が女性の傍らに座っている。

SH: (優しく)そしてその男性こそ、と心から思っていたんですね?運命の人だと?

女性が眼鏡を取り、より激しく泣き出すとSherlockは顔を上げてしばしMollyを見て、立ち上がって彼女へ歩み寄った。依頼人たちへ背を向けて小声で話しかける。

SH: 継父がネット上のボーイフレンドを演じている。

MoH: (ショックを受けて)え?!

SH: 傷つけるためだ、彼女の心を。そうすれば恋愛をしないと誓って家に残る-あいつはやはり彼女の収入を当てにしている。

すると男性へと振り返り、鋭い口調で話しかけた。

SH: Windibankさん(※)、あなたはまったく完全なる…

 

 

JW: …おしっこですね(※)。

Johnは尿のサンプルを採取するためのプラスチックで出来た小さなカップを手にしていた。それを前に座る患者へ手渡す。

JW: ご心配要りません。尿道ブジーでちょっと感染症を起こしたんでしょう。ええと、あなたのGPはVerner先生でしたよね?(※)

患者の男性、Szikora氏はキツい訛りのしゃがれた声で話す。(※)

Szikora氏: あい、あい、あい、あい。

Johnはうろたえた。男性は60代くらい、白くなった髪と髭を長く伸ばし、真っ黒のサングラスをして黒いニット帽を被っている。

Szikora氏: 世話をしてくれたよ、ガキの頃から。

Johnを手招きしてコソコソと話をし始める。

Szikora氏: 俺はちょっとした店やってんだ、チャーチ通りの角で。

JW: ああ、そうですか。

Szikora氏: (床に置いていたビニール袋を取り)ええとな、雑誌に、DVD。あんたが気に入りそうなかわいこちゃんたちを持ってきてやったよ。

袋からDVDを取り出してJohnに見せる。

Szikora氏: “Tree Worshippers(木の崇拝者)”、ああ、たまらんよ。すんごくいやらしいの。

当惑しつつ頷いていたJohnは、何かを疑い始めて男性をじっと見つめた。Szikora氏は雑誌を取り出してJohnに見せる。

Szikora氏: “British Birds(イギリスのかわいこちゃん)”、同じようなやつね。

雑誌の表紙は肌を露わにしたグラマラスな女性二人の写真で、“We’re a real handful(わたしたち手に負えないわよ)”  “Hot British Birds! XXX(イギリスのホットなかわいこちゃん)” “Knocker Glory(見事なおっぱい)”などの文字が周りを囲んでいた。

JW: 結構です、どうも。

Szikora氏: (別のDVDを取り出して、外国語のタイトルを訳す)“The Holy War(聖戦)”。ちょっと堅苦しいよな、でも服にこんな穴ばっかりの尼さんが出てくるんだぜ。

JW: 何だよ。Sherlock…

Szikora氏: はあ?

JW: …何の用だ?

Szikora氏: はあ?

JW: 嫌がらせに来たのか?

Szikora氏: 何のことだよ?

JW: (声色を真似て)「何のことだよ」…(立ち上がって歩み寄る)何を、僕がこんな髭なんかに騙されると思うか?

するとパニックになってじたばたするSzikora氏の髭を強く引っ張った。

Szikora氏: あんたイカれてるのか?!

Johnは少し起き上がってSzikora氏のように手を振り回しながら「やめて、やめて!」と声色を真似て見せると、顔を近付けて言った。

JW: フランス訛りほど上手くないな。あのフランス訛りほどじゃない。上手い変装とは言えないぞ、Sherlock!

そしてSzikora氏の帽子とサングラスを奪い取ってしまった。Szikora氏は怯えながらJohnを見上げている。

JW: どこでそれを手に入れた?そんなつまらない冗談を…み、店で…?

Johnは恐ろしいことに気がついてSzikora氏を見ると、手を伸ばしてその頭に触れた。Szikora氏の頭頂部にはまったく毛が無かったのだ。

JW: ああ、なんてこと。

怯えるSzikora氏の顔にJohnはそっとサングラスを戻した。

JW: ほんとにすみません。なんてことを。

騒音を聞きつけたのか、Maryが診察室を覗き込んだ。JohnはSzikora氏に帽子を被せてあげている。

JW: どうか…(Maryの方を見て、すこし悲しげに)だいじょうぶ。

咳払いをしてJohnは再び椅子に腰を下ろす。Maryは診察室を出てドアを閉めた。

 

※Windibank

…原作「花婿失踪事件」から。結婚式の朝に花婿が失踪してしまったという女性が相談に訪れる。

 

※おしっこ

…元のセリフは“piss pot”。pissは小便。piss around バカなことをする piss off うんざりさせる

 

※GP、Verner

…General Practitioner。イギリスなどではGeneral Practitioner、もしくはHome DoctorやPrimary Physycianなどと呼ばれる総合診療科の資格を持つ医師の存在があり、何か不調を感じた際にはまず彼らに診察をしてもらう。一般内科、外科だけでなく耳鼻科や皮膚科、産婦人科や精神科なども含んだ診療を行い、より専門的な内容となった場合のみ専門医に相談する。また、原作「ノーウッドの建築業者」で、Holmesが死んだ(と思われた)後にWatsonがベイカーストリートを去って開いていた診療所はVernerという若い医師に買い取られた、と語られている。法外な金額で買い取ったというVernerは実はHolmesの遠い親戚で、資金はHolmesが用意したものだった。そしてWatsonはベイカーストリートに戻って再びHolmesと一緒に暮らし始める。

 

※Szikora氏

…原作「空き家の冒険」。Holmesがいなくなってから三年後、ある事件に興味を持って見物に出掛けたWatsonは本を抱えた老人とぶつかってしまう。持っていた本の中には「木の崇拝の起源」というものがあった。その後Watsonのもとを訪れた老人はチャーチ街で本屋をしていると語り、本棚にある「イギリスの鳥」「聖戦」といった本を指摘して気を逸している間にHolmesへと姿を変えてWatsonを驚かせる。Watsonはあまりの衝撃に失神してしまう。

 

The Empty Hearse 3