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    BBC SHERLOCK

    日本語訳

    <非公式>

    サイト内は過去掲載分も含め、日々更新していますので

    こまめにリロード(再読み込み)をして最新の状態でご覧ください

    “Sherlock!”

    悲痛な叫び声が響き渡り、Sherlockの墓碑へ歩み寄るJohnの姿が映し出された。そして時は遡り、Bart's病院の屋上でSherlockとJimが対峙している。その後タクシーで病院へやって来たJohnへ屋上の縁に立っているSherlockが電話を掛けた。

    SH: トリックだよ。まやかしのトリックなんだよ。

    JW: いや、いいんだ、やめてくれ。

    Johnは病院へ近づこうとする。

    SH: だめだ、ちゃんとそこにいろ。

    Johnは元の位置に戻る。

    SH: 動くな。

    JW: わかった。

    二人はお互いへ向かって手を伸ばす。

    SH: 僕から目を離さないでくれ。なあ、頼みをきいてくれるか?

    JW: 何だ?

    SH: この電話は…これは…遺しておくものだ。

    そこで今まで目にしなかった光景が現れた。Sherlockの背後にはJimの身体を屋上の出入口へと引きずっていく二人の男がいたのだ。Sherlockは気にせずJohnとの会話に集中する。

    SH: みんなそうじゃないか?遺すだろう?

    JW: 遺すって何を?

    SH: さようなら、John。

    JW: いやだ、やめろ。

    男たちは病院の業務用エレベーターへJimの身体を運び込んで中の床に寝かせた。SherlockがJohnを見下ろしている間に男の一人が傍らに置いてあったケースを開く。中に入っていたのは完璧にSherlockの顔を再現したラテックス製のマスクだった。もう一人の男がエレベーターの扉を閉じ、先程の男はケースから小さなボトルを取るとピンセットでブルーのカラーコンタクトレンズを慎重につまみ出した。

    屋上では後ろに電話を投げ捨てたSherlockが鋭い眼差しで前方を見つめている。Johnが“Sherlock!”と叫ぶ。

    エレベーターに寝かされているJimの見開いた目はブラウンからブルーに変わっていた。男はケースからマスクを取り出してJimの顔に乗せると手に取った外科用メスをマスクの閉じられた目へと向ける。もう一人の男がJimの撫で付けられた頭へ巻き毛のカツラをあてがい始めた。

    屋上ではSherlockが腕を広げて下へ向かって飛び降りた。Johnが恐怖に包まれてその様子に見入っていると自転車に乗った男が背後からぶつかってきて彼を地面に倒した。地面へ落ちていくSherlock、しかし今、その身体にはバンジージャンプで使う紐が繋げられているのが明らかになった。地面に倒れたJohnがもがいている間、病院の中にいるMolly Hooperはバンジーコードで繋がれて窓の外を落ちていくSherlockの姿を見守っていた。彼の頭が地面へ到達しそうになったちょうどその時、バンジーコードは最大限まで伸びて止まった。Sherlockは音を立てて息を吐き出す…すると今度はバンジーコードが反動で収縮し始め、彼の身体は空へ向かって引っ張り上げられた。方向を調節するために手脚を振り回しながら飛び上がってくるSherlockが視界に入るとMollyは息を呑んだ。Sherlockは両腕で頭を保護するように抱えるとMollyが見ている窓を蹴破った。粉々に割れるガラスに怯んでMollyが後退りするとSherlockはそのまま床に着地してバンジーコードを腰から外した。コードは窓の外へ引っ張られてどこかへ行ってしまい、Sherlockはコートを整えると両手でかき乱すようにして髪を直しながらMollyへ歩み寄った。そして両手で彼女の顔を包むと数秒間、深くキスをした。Mollyも彼に向かって手を伸ばそうとしたが彼は顔を離し、最後に彼女をじっと見つめてから部屋を出ていってしまった。驚きと喜びの入り混じった少女のような表情を浮かべてMollyは彼を見送った。

    下の階では完璧にSherlockへと姿を変えられたJimの身体を男たちが外の通りへ向かって引きずっていた。そしてファーで縁取られたフードの上着を着た別の男がJohnへ近付いていく。道の上に置かれた遺体の頭の周りに男の一人が偽の血液を塗りつける。そして予め準備していた偽の医療スタッフと通行人たちが遺体へ駆け寄り、所定の位置につく。フード・ジャケットの男がJohnへ歩み寄る中、更に人が集まっていった。Johnがようやく立ち上がろうとしていると通行人たちが遺体に駆け寄り、上を指しながら見たものについて会話を交わしているのが目に入った。進もうとするJohnの前に男が立ちはだかる。

    男: John。

    その男はDerren Brown、あの有名な催眠術師だった(※)。Johnの肩に手を置いて語りかける。

    Derren: John。僕を見て。僕を見るんだ。

    Sherlockの飛び降り現場から視線を逸してDerrenを見るとJohnには相手の顔がとても近くにあってぼやけているように感じられた。DerrenはJohnの顔を手で覆う。

    Derren: そして眠れ!

    するとJohnは目を閉じて前に倒れ込んだ。Derrenは支えてやりながら地面へ優しく彼の身体を横たえた。

    Derren: 落ちていこう、深く落ちよう、ぐっすり眠ろう。そうだ。いいぞ-頭の真ん中に僕の声が、君の周りを囲っているよ。

    Johnへ語りかけながらDerrenはJohnの手首へ手を伸ばし、腕時計の針を動かして数分逆戻りさせた。作業を終えて立ち上がり、横たわるJohnを見下ろす。

    Derren: さあ数えたら起きようね、3、2、1…

    Johnは地面で動き始めた。

    Derren: …0。

    数え終わったDerrenはフードを被ると立ち去っていった。Johnは痛みに顔を歪ませながら地面を転がる。野次馬たちは引き続き遺体の周りに集まっていた。自転車にぶつかられてからどれくらい時間が経ったのか気付かないまま、Johnはやっとの思いで立ち上がると足を引きずりながら舗道へ向かっていった。病院の中にいるSherlockは二枚扉へ向かって歩いていく。Johnは急いで集団へ近付き、押し戻されながらも中へ割って入ろうとした。

    JW: (悲痛な声で)通してください、お願いです。僕の友達なんだ。

    Sherlockは歩きながら半ば振り返り、背後へ最後の視線を向ける。外では膝から崩れ落ちたJohnがそばにいる人々に身体を支えられていた。Johnの手からSherlockの手が離れ、力なく落ちていく。それからJohnは救急救命士たちがストレッチャーを運んできて遺体を乗せる様子を悲痛な面持ちで眺めていた。彼の前からストレッチャーが運ばれていく。そしてSherlockは扉を押して先へ進み、角を曲がると視界から消えた。

    GL: (画面外)そんなバカな!

    それまで我々が聞いていたドラマティックなアクション・ムービーの音楽は消え、出し抜けに場面はロンドンの別の場所へと変わった。Greg Lestrade警部と、あまり手入れがされず伸び放題の髭に頭髪もあまり清潔でない様子のAndersonが、屋外の移動式コーヒー・スタンドに立っていた。

    Anderson: いや、いや、いや、いや!間違いないですって!どうやったかって!間違いない!

    GL: Derren Brownだと?!もう止せ。Sherlockは死んだんだ。

    Anderson: 本当に?

    GL: 遺体があっただろ。あいつだった。あれは絶対にあいつだ。Molly Hooperが処置したんだ。

    Anderson: いや、彼女は嘘をついてる。あれはマスクを被せたJim Moriartyの死体だったんです!

    GL: マスク?!

    Andersonは躍起になって頷いた。

    GL: バンジーの紐、マスク、Derren Brown。二年が経って仮説はどんどんアホらしくなっていってる。今日は一体どれだけのものを聞かせてくれるんだい?

    Anderson: そう、あの現場周辺の舗装ブロックですがね-彼が落ちた地点のものでさえ-ほら、あれはみんな…

    GL: (遮って)罪悪感。(Andersonを鋭い眼差しで見て)みんなそれが元なんだろ。お前が俺たちにSherlockは詐欺師だと思わせるきっかけを作った、お前とDonovanが。

    Andersonは悲しそうにうつむいた。

    GL: お前はそうした、それがあいつを死に追いやった、そして死んだままだ。お前は本当に、満足するだけのバカげた仮説を立てればいつかそれが実際に起こったことに変わるとでも信じてるのか?

    Gregは自分のカップを取るとその場を離れ始めた。

    Anderson: 俺はSherlock Holmesを信じてるんです。

    Gregは振り返る。

    GL: ああ、だがそれであいつが戻ってくるわけじゃない。

    歩いていく先には数台のカメラがいてリポーターたちを撮影していた。

    リポーター1: (カメラへ向かって)…警察による広範囲な捜査の結果、Richard Brookは実際はなんとJames Moriartyが創り上げた存在だということが判明し…

    リポーター2: (別のカメラへ)…前代未聞の事態の中、法廷ではSherlock Holmesの身の潔白が証明され、すべての嫌疑が晴れるという騒動があり…

    リポーター3: …ですが残念ながら、あの出来事から二年を迎える探偵にとってすべては遅すぎたのです…

    リポーター1: …今、問いかけられている疑問はなぜ警察は今頃になって問題を取り上げたのかということです。

    GregとAndersonはそれぞれコーヒーのカップを手に持ちながら並んで立ち、リポーターたちを眺めている。

    リポーター2: Sherlock HolmesはロンドンのBart's病院の屋上から身を投じました。遺書は遺されていませんでしたが、友人らはあり得ないと語っています、彼が対応…

    GregはAndersonへ顔を向けた。

    GL: それじゃ。(カップを掲げて)ここにいない友のために。Sherlock。

    Anderson: (悲しそうにカップを掲げ)Sherlock。

    二人はカップで乾杯をする。

    GL: 安らかに眠り給え。

    そう言ってコーヒーを飲んだ。

     

    ※Derren Brown

    …イギリスで人気のマジシャン、イリュージョニスト。催眠術を取り入れたパフォーマンスを得意とする。Wikipedia「Darren Brown」英語 / 日本語 

     

     

    Sherlockの墓。Johnは喪失感を宿した目で墓碑を見下ろしている。あれから彼は鼻の下に立派な髭を蓄えていた。墓の周りにはいくつかの花束が添えられていたが、その内のいくらかは時間が経ってしなびていた。するとひとりの女性がJohnのそばへ歩み寄って彼の手を取った。Johnは彼女の手を強く握った。

     

     

    セルビア。夜。ボサボサの長い髪をした男が森の中を駆け抜けていく。その上空ではヘリコプターがサーチライトで木々を照らしながら飛んでいて、乗組員が赤外線カメラを見ながら無線を使って陸地にいる仲間へセルビア語で指示を送っている。それからしばし逃走と怒鳴り声が続いた後、とうとう男はライフルを構える追走者たちに囲まれてしまった。疲れ果てた男は地面へ倒れ込んだ。

    しばらく時が経ち、地下の倉庫もしくは取調室の入り口をひとりの兵士が見張っていた。イヤホンをして騒がしい音楽を聴いている。背後の閉じられたドアの向こうでは捕らえられた男がもう何度目かわからない程に殴られて叫び声を上げていた。兵士が片方のイヤホンを取ると再び捕虜は打たれてうめき声を出した。兵士はイヤホンを耳に戻して顔を背ける。部屋の中では拷問者が捕虜に向かって繰り返し叫んでいた。上半身をむき出しにされた捕虜は、起きたままでいさせるために左右の壁それぞれに鎖で腕を繋げられていた。しかし繰り返される拷問に疲弊しきった身体は可能な限り前方に倒れ掛かっている。部屋の別の一角にある暗がりで、防寒のために厚く着込んで頭にファーの帽子を被った別の軍人が、椅子に座って足を小さなテーブルに乗せた状態で、拷問者が歩き回る様子を眺めていた。拷問者はセルビア語で言葉を発する。

    拷問者: (セルビア語)理由があってここに侵入したんだろ。

    拷問者は大きな鉄パイプを手に取り再び捕虜へ歩み寄る。うなだれている捕虜の顔はボサボサの長い髪が垂れ下がっているために見ることが出来ない。

    拷問者: (セルビア語)理由を言えば眠らせてやる。眠り方を覚えてるか?

    拷問者は鉄パイプを肩の上に持ち上げて殴る体勢に入ったが、捕虜は静かに何かをささやいた。拷問者は動きを止めて鉄パイプを下ろし、捕虜に向かって屈み込む。

    拷問者: (セルビア語)何だ?

    拷問者は手を伸ばして捕虜の髪を掴んで顔を引き上げ、耳を近づけてささやきを聞いた。それを見ていた軍人が声を掛ける…その声はどこか聞き覚えがあるような気がするが、セルビア語のために定かではない。

    軍人: (セルビア語)どうした?何て言ったんだ?

    起き上がって捕虜の頭を放した拷問者は困惑しながら捕虜を見下ろした。

    拷問者: (セルビア語)こいつは私がかつて海軍に所属し不幸な恋愛をしたと言いました。

    軍人: (セルビア語)何だと?

    ささやき続ける捕虜の言葉を拷問者が軍人に伝える。

    拷問者: (セルビア語)…それから私の浴室の照明が壊れていると、そして私の妻が隣の奴と寝ていると!

    拷問者は再び捕虜の頭を掴んで引き上げ、何か一言質問をする。捕虜が短くそれに答えると拷問者は頭を放した。

    拷問者: (セルビア語)棺桶職人が!

    もう一度拷問者は捕虜へ屈み込んで更に質問をする。捕虜は返答をささやく。

    拷問者: (セルビア語)それから?

    捕虜はささやき続け、拷問者は頭を放して軍人に言葉を伝えた。

    拷問者: (セルビア語)もし今家に帰れば、奴らの現場を取り押さえることが出来る!わかってた!何かあるって俺にはわかってたんだ!

    すると拷問者は捕虜を残して部屋を飛び出していった。

    軍人: (セルビア語)さて、友よ。今は私とお前だけだ。

    テーブルから足を下ろして立ち上がる。

    軍人: (セルビア語)お前を見つけるのにどれだけ苦労したか見当もつくまい。

    捕虜の背中には打たれて出血した傷が一面に広がっていた。軍人は歩み寄って捕虜の髪を掴み、顔を少し上に引き上げる。耳元に顔を寄せて英語で話し出す軍人の声には聞き覚えがある。それは他でもないMycroft Holmesだった。

    MH: さあ聞きなさい。ロンドンで活動するテロリストの地下組織があり、大規模な爆破テロが差し迫っている。すまないが休暇は終わりだ、弟よ。

    捕虜の頭を放して起き上がる。

    MH: ベイカーストリートに戻り給え、Sherlock Holmes。

    垂れ下がった長い髪に顔を隠したまま、Sherlockは笑みを浮かべた。

     

     

    ----------オープニング----------

     

     

    ある地下鉄の駅、車両の扉が閉じられて列車は走り出す。Johnがその中に座っていた。

    地上には通りを走っていく一台の黒い車、後部座席の窓ガラスは中が見えないようになっている。

    二つの移動が続く中、Mycroftは窓のない暗い色の壁をしたオフィス(天窓から日光がわずかに差し込んでいるかもしれない)で座り、書類に目を通している。黒い車はディオゲネスクラブに到着した。オフィスはこの中にあると思われる。

    Johnを乗せた列車は線路を走り、いくつかの駅を通り過ぎて進んでいく。

     

     

    ベイカーストリート。Johnは221へ向かって道を歩いていた。二人の少年が角を曲がってやって来る。ひとりは手押し車を押していて、中にはマジックで顔を描かれたガイ・フォークス人形が頭にオレンジの風船をつけて乗っている。もうひとりの少年が通り過ぎる人にお決まりの文句を投げかける。(※)

    少年: ガイ人形の為に1ペニーを!

    通行人の女性は首を振って去っていき、少年は玄関の前に到着したJohnへ話しかけた。

    少年: ねえ、おじさん!ガイ人形に1ペニー!

    Johnは目を回す。

    もうひとりの少年: ガイ人形に1ペニーは、おじさん?

    最初の少年: ガイ人形に1ペニー!

    Johnは通り過ぎるすべての人々に嘆願する少年たちを訝しげに眺めた。そして玄関の扉を開けて中に入る。玄関ホールの途中で立ち止まりHudson夫人の部屋のドアを見つめて不安気に溜め息をこぼした。頭の中でIreneへの哀悼歌を弾くSherlockのバイオリンの音が聞こえ出し、不意に顔を上げて階段を見上げたJohnの心の中に、古い会話が過った。

    JW: 今までしてきた中でいちばんバカげたことだったよ。

    SH: アフガニスタンに侵攻したっていうのに。

    Johnが悲しげな顔をして目を瞬くと、頭の中のバイオリンの音は小さくなって消えた。そのときドアを開けて出てきたHudson夫人が驚きながらJohnを見つめた。階段へ最後の一瞥を投げかけると咳払いをしながら挨拶のために手を掲げ、Johnは夫人に歩み寄った。

     

    ※ガイ・フォークス

    …「ガイ・フォークス(Guy Fawkes)は、1605年にイングランドで発覚した火薬陰謀事件の実行責任者として知られる人物である」「ガイ・フォークスとその一味のカトリック教徒が、時の国王ジェームズ1世と議員たちを殺すために、上院議場の下まで坑道を掘り、開会式の行われる11月5日(グレゴリオ暦11月15日)に爆破しようとしたが、寸前で発覚し、主謀者はロンドン塔に送られ、翌年1月31日(2月10日)に処刑された」「火薬陰謀事件に因み、イギリスでは毎年11月5日に「ガイ・フォークス・ナイト」、別名「ガイ・フォークスの日」、「ボンファイアー・ナイト」、「プロット・ナイト(Plot Night)」と呼ばれる行事が北アイルランドを除く各地で開催される。「ガイ(Guy)」と呼ばれる、ガイ・フォークスを表す人形を児童らが曳き回し、最後には篝火に投げ入れられて燃やされる」「伝統的に、11月5日が近付くと児童らが自作のガイ人形を持って近所を回り、「A penny for the Guy!(ガイ人形の為に1ペニーを!)」と言って祭りに備える為のお金を募ったが、現在ではその風習は廃れ、今日では僅かに一部の地域でのみ見られるに到った。現在では、主に篝火と打ち上げ花火を楽しむ行事となっている」「なお、「男、奴」を意味する英語「ガイ(guy)」は、彼の名に由来する」-Wikipedia「ガイ・フォークス」「ガイ・フォークス・ナイト」

     

     

    Mycroftのオフィス。誰かが新聞を読んでいる。表面にあるヘッドラインには“SKELETON MYSTERY”(骸骨の謎)とある。記事本文は始めの部分しか見えない。「壁の中から発見された遺体は…」その人物が新聞を畳むと少し離れたところにある机に向かって書類に目を通しているMycroftの姿が見えた。

    MH: 忙しくしていたようじゃないか?

    新聞を読んでいたのはSherlockだった。平らにされているリクライニングチェアに仰向けに寝そべっていて、傍らに立つ男性が西洋カミソリで彼の顔を剃っている。既に以前の長さに切られた髪はまだ濡れていて後ろに撫で付けられていた。新聞をそばにあるワゴンの上に投げ捨てる。

    MH: なかなか『偉い小さな蜂さん(※)』だな(クスクス笑う)。

    SH: Moriartyの組織を-壊滅させるのに二年掛かったんだ。

    MH: それを終えたと確信を?

    SH: セルビアの徒党がパズルの最後のピースだったんだ。

    MH: ああ。そこで随分仲良くなったようじゃないか…(報告書を確認し)…Maupertuis男爵(※)と。「なかなかの」陰謀だな。

    SH: 「壮大な」。

    MH: (書類のファイルを閉じて)とにかく、お前はもう安全だ。

    SH: ふん。

    MH: 一言くらい礼を言ってくれてもいいだろう。

    SH: 何に対して?

    MH: 熱心な仕事振りに。

    Sherlockは片手を上げて髭剃りを一旦中止させた。男は少し後ろに下がる。

    MH: 忘れてしまったのかもしれないが、野外活動は私の本分ではないのだ。

    痛みにうめきながらSherlockは身体を起こして腹立たしげに兄を見た。

    SH: 「熱心な仕事振り」?あんたは座って僕がボロボロに殴られるのを見てただけだろ。

    MH: (不服そうに顔をしかめ)私が解放してやったんだぞ。

    SH: いいや-僕は自分の力で解放された。どうしてもっと早く介入しなかった?

    MH: うむ、自分の身を危険に晒すリスクを取れるわけがないだろう?すべてが台無しになってしまっただろうからな。

    SH: 楽しんでた。

    MH: バカなことを。

    SH: 絶対楽しんでた。

    MH: (前に屈み込み)聞きなさい。これがどういうことだったのかお前には見当がつくか?Sherlock、「潜入捜査」を、奴らの階級に潜り込んで行うのがどういうことだったか。言葉、人物関係。

    Mycroftは椅子に寄り掛かった。Sherlockも痛みを堪えながらリクライニングチェアに身体を預ける。男は作業を再開した。

    SH: セルビア語を話せるとは知らなかった。

    MH: 話せなかった。だがスラブ語系の言語でトルコやドイツの借用語もよく使われる。(肩をすくめ)1、2時間は掛かってしまったな。

    SH: ふん-衰えたもんだな。

    MH: (キツい笑みを浮かべ)中年だ、弟よ。こちらへ来なさい。

    そう言うとドアが開き、そこにはAnthea-もしくはNot-Anthea、「ピンク色の研究」に登場した女性がSherlockへ向けてハンガーに掛けたダークカラーのスーツと白いシャツを持って見せながら立っていた。

     

    ※偉い小さな蜂さん

    …the busy little bee。イギリス讃美歌の父と呼ばれるIssac Wattsの詩に“How Doth the Little Busy Bee”がある。また、原作のHolmesは晩年、探偵業を引退して養蜂の研究に勤しむ。

     

    ※Maupertuis男爵

    …原作「ライゲートの大地主」の冒頭で言及がある。Maupertuis男爵の陰謀を阻止するために激務をこなしたHolmesは過労で倒れ、静養のためにWatsonと共にライゲートを訪れるが、そこで奇妙な事件に遭遇する。

     

     

    ベイカーストリート221A。JohnはHudson夫人のキッチンにあるテーブルに向かって腰掛けていた。Hudson夫人は音を立てて荒々しくJohnの前にティーカップセットとミルク・ジャーの乗ったトレイを置くとビスケットの皿を取りに行き、それも同様に激しく音を立ててテーブルに置いた。Johnは黙って更に砂糖入れが荒々しく置かれるのを見ていた。すると夫人は我に返ってためらいながら砂糖入れを指差した。

    MrsH: あらいやだ-あなたは砂糖を入れないのよね?

    JW: ええ。

    MrsH: あなたはそういうちょっとしたことを忘れてるのよ。

    JW: はい。

    MrsH: (キツい口調で)ちょっとしたことを「たくさん」忘れてるのよ、きっと。

    JW: ああ、はあ。

    Hudson夫人はJohnの顔を見ながらあてつけがましく自分の顔の鼻の下へ指を走らせた。

    MrsH: それはどうなの。

    Johnは自分の鼻の下に蓄えた髭に触れた。

    MrsH: 老けて見えるわよ。

    JW: 試してみてるんです。

    MrsH: そうね、でも老けて見える。

    Johnは気まずそうに夫人の顔を窺う。

    JW: あのね…

    MrsH: わたしはあなたの母親じゃありませんからね。こんなこと言えた義理じゃないけど…

    JW: いえ…

    MrsH: …でも一度くらい電話してくれても、John。

    夫人の怒った態度は消え、狼狽しているように見えた。

    MrsH: たった一度でも電話をくれれば良かったのに。

    JW: そうですね。

    Johnはうつむく。

    MrsH: だって一緒に乗り越えたんじゃないの。

    JW: (夫人の目を見つめながら)ええ。申し訳なかったです。

    MrsH: (テーブルに向かって座りながら)ねえ、わかるわよ、あなたがどんなに大変だったか、あの…あの…

    夫人は言葉を続けられず悲しそうに首を振った。

    JW: 後回しにしてたんです、Hudsonさん。すべて成り行きに任せて。そしたらどうしてだかどんどん電話が掛けづらくなってしまったんです。

    溜め息をこぼしながら少し視線を外し、再び夫人の目を見つめた。

    JW: わかってもらえますか?

    一瞬の間を置いてHudson夫人は溜め息をこぼしながらJohnの腕に手を伸ばした。Johnはすぐに彼女の手の上に自分の手を重ねた。

     

     

    Mycroftのオフィス。Sherlockは立ち上がっていて、乾いた髪は以前のような巻き毛に戻り、ほとんど着替えを終えていた。前にある壁に掛けられた大きな鏡を見ながらスーツのズボンにシャツをたくし込んでいる。MycroftとNot-Antheaがそばに立っていた。

    MH: この件にはお前の最大限の注意を払ってもらいたい、Sherlock。確約出来るか?

    SH: このシャツどう思う?

    MH: (腹を立てて)Sherlock!

    SH: 地下組織の支部を見つけてやるよ、Mycroft。

    兄の方を一瞥する。

    SH: ロンドンに戻してくれればいい。必要なのはあの場所を再び知ること、自分の中に取り込むんだ-あらゆる鼓動を感じ取って。

    Not-Anthea: わたしたちのところの男がひとり、この情報を手に入れて命を落としたの。すべての噂、すべての情報の流れが、ロンドンがテロの被害に見舞われるという意見で一致しているの-大きなテロに。

    SH: (スーツのジャケットを着ながら)それでJohn Watsonはどうしてる?

    Not-Antheaは苛立たしげな視線をMycroftに向けた。

    MH: John?

    SH: うん。あいつに会ったか?

    MH: ああ、そうだな-毎週金曜日に会ってフィッシュアンドチップスを食べる仲だ!

    そう言ってNot-Antheaに合図し、ファイルをSherlockに渡させた。

    MH: 耐えず注意の目を向けていたよ、もちろん。

    Sherlockはファイルを開く。中には監視されているJohnの二枚のモノクロの写真と報告書が挟まれていた。

    MH: まったく連絡していなかったんだろう、心構え出来るようなことは。

    SH: (取り乱した様子で)ああ。

    ファイルに挟まっていたJohnの写真を見ると、鼻の下に髭が蓄えられていた。

    SH: そうだな、僕らはこれを取り除いてしまわないと。

    MH: 「僕ら」?

    SH: 老人みたいだ。年老いた男とうろついているのを見られるなんて僕は御免だね。

    そう言うとファイルを閉じてそばの机に投げ捨ててしまった。

     

     

    221B。Johnは上の階に上がり、リビングのドアを開けた。部屋の入り口に立って中を見渡している。カーテンが閉まっているので薄暗いが、わずかに差し込む光が大量に舞う埃を映し出していた。Johnはそこに立ったまま暖炉のそばにあるSherlockの肘掛け椅子へ視線を向ける。Hudson夫人もやって来て部屋の照明を点けた。

    MrsH: 掃除をさせてもらえなくって。

    夫人はそう言いながら部屋の右手にある窓へ歩み寄ってカーテンを開くと、漂う埃に咳き込んだ。

    MrsH: あの人、わたしにさせるの嫌がってたでしょ。

    JW: (キッチンの方へ振り返って)いや、わかります。

    夫人は他のカーテンも開けていく。

    MrsH: それで、何で今になって?どうして気が変わったの?

    Johnは深呼吸をして、夫人へ顔を向けた。

    JW: その、お知らせしたいことがありまして。

    Hudson夫人は怯えた顔をして彼の方へ振り返った。

    MrsH: あら、まあ。深刻なの?

    JW: え?いえーいえ、病気じゃありません。僕は、えっと、その、動いていくことにして。

    MrsH: (悲しそうに)他のところへ行っちゃうの。

    JW: いいや。えっと、いいえ-僕は、その…ある人と出会ってですね。

    するとHudson夫人は喜んで笑い出した。手を叩いてうれしそうに笑みを浮かべながらJohnに歩み寄る。

    MrsH: まあ、すてき!

    JW: (微笑んで)ええ。結婚するんです…まあ、そうするつもりで、とにかく。

    MrsH: (疑うような顔をして)Sherlockの後すぐに?

    JW: まあ、そうです。

    夫人は少し考えこんで視線を外し、再びJohnへ微笑みかけた。

    MrsH: 彼はなんていう方なの?

    JW: (大きな怒りの籠もった溜め息をこぼし)女性です。

    MrsH: 女の人?!

    JW: ええ、もちろん女性ですよ。

    Hudson夫人は驚いて笑い出した。

    MrsH: ほんとにその人に気持ちが動いたのよね?

    JW: Hudsonさん!何度言えば…?Sherlockは僕の恋人じゃなかったんです。

    MrsH: (慈愛を込めて微笑みながら)自分は自分、他人は他人-それがわたしのモットーよ。

    JW: (徐々に声を荒らげて)聞いてくださいよ、僕はゲイじゃない!

     

     

    Mycroftのオフィス。

    SH: Johnを驚かせるぞ。きっと喜ぶだろうな!

    MH: (皮肉そうな笑みを浮かべ)そう思うか?

    SH: ふん。ベイカーストリートに突然現れる。ひょっとすると-ケーキの中から飛び出したりして。(※)

    MH: (顔をしかめ)ベイカーストリート?もうあそこにはいないよ。

    Sherlockは驚いた。

    MH: 何故そうするかね?二年も経ってるんだぞ。彼も人生を歩んでるよ。

    SH: 何が人生だ?僕がいなくなったのに。

    Mycroftは実際にはしなかったものの、心の中で呆れて大いに目を回した。

    SH: あいつは今夜どこにいる?

    MH: どうして私が知ってると?

    SH: いつも知ってるだろ。

    MH: 彼はメリールボーン通りでディナーの予約をしている。なかなか良いところだ。サン=テミリオン(※フランス、ボルドー近郊の有名なワイン産地)の2000年が何本かあってね…私は2001年の方が好きだが。

    SH: 僕はたぶんそこに立ち寄ってやる。

    MH: わかるだろう、歓迎されない可能性だってある。

    SH: そんなことない。さて、どこにある?

    MH: どこって、何が?

    SH: 知ってるくせに。

    Not-Antheaは心得ていて直ちにSherlockのコートを持って現れた。Sherlockはうれしそうに笑みを浮かべ、Not-Antheaが持つコートに袖に腕を通した。彼女はちゃんとコートの襟を立てておいてくれた。

    Not-Anthea: おかえりなさい、Holmesさん。

    SH: (コートの襟を調度良い位置に直しながら)ありがとう…

    そして兄の方へ振り返る。

    SH: (皮肉を込めて)…“兄貴”(※)。

     

     

    その後、Sherlockはどこか高いビルの上の屋上かバルコニーに佇み、大好きな街を眺めていた。

     

    ※ケーキの中から現れる

    …かつて欧米で(特に男性のみが集まるパーティーで)会場に用意された大きなケーキの中から美女が現れるという趣向が流行った。

     

    ※兄貴

    …元のセリフでは“blud”。「よう、相棒」「よう、兄弟」という調子で、実際に血の繋がった兄弟というより、親しい友人を呼ぶ時に使うスラング。元々はジャマイカの bludclotという罵り言葉から来ているらしいが、イギリスでは悪い意味はなく単に親しみを込めた呼び方としてMateと同じように使われている。

    The Empty Hearse 1

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    original transcripts by Ariane DeVere