ヒマラヤ。山奥深くにある修道院でひとりの僧侶が数ある小さなロウソクへ最後の火を灯した。傍らには頭巾を被った僧侶たちが並んでひざまずき、胸のあたりで手を合わせている。同じく頭巾で頭を覆った修道院長と思われる僧侶が彼らの方へよたよたと歩み寄った。小声で「Tashi delek(※チベット語で挨拶を意味する、英語のHelloのような言葉)」と呟きながら、並んでいる僧侶たち一人ひとりの頭へ素早く触れて、軽く拝むように両手を合わせる。列の最後にいる僧侶へ到達すると一瞬伸ばした手を止め、掌を返して人差し指でその僧侶が被っていた頭巾を持ち上げて後ろに脱がせた。現れたのは金髪の女性で、正体を明かされた女は修道院長をにらみつけた。

女: この野郎!

全員男性である他の僧侶たちも自分たちの頭巾を脱ぐと、驚きながら修道院長を見つめた。彼らに拝まれる修道院長の顔は依然として影に包まれていた。

 

 

ロンドン。Greg Lestradeと、現在は警察を辞しているAndersonが、パブの一角にあるテーブルへ向かい、並んで腰掛けていた。Gregはシャツにジャケット、顔に髭を蓄えたAndersonはオートミール色のセーターを着ている。Gregは今しがたAndersonの口にした言葉が信じられない様子で彼を見た。

GL: 仏教の僧兵の分派に金髪のヤクの売人が潜り込んでいただと?!そんなことあるわけないだろ!

Anderson: そ、その金髪のヤクの売人は修道院長の並外れた観察力と推理力によって正体がバラされたんですよ!

GL: 金髪の女が禿頭の坊さんたちの中に隠れてたって?そんなんじゃSherlock Holmesを欺けないな!

Anderson: ええ、たぶんそうなんです。

GL: あいつは死んだ。

Andersonは悲痛な顔をした。

GL: 悪かったよ。俺だってそう思いたくないさ、だがあいつは本当に死んじまったんだよ。

Andersonは視線を逸らした。

Anderson: ねえ、これをどう説明します?

そう言うと世界地図をテーブルの上に広げ、ニューデリーの上に描かれた赤い印を指差した。

Anderson: 発見例その2、ニューデリー事変。

Gregはぎょっとして彼を見た。

GL: タイトルなんかつけてんのか?

 

 

ニューデリー。部下たちを従えて記者会見の席に臨む警部の姿をカメラマンたちが写真に収めている。警部の前にはたくさんのマイクが備え付けられていた。観客達へ向かって満足気に笑みを浮かべる。

Prakesh警部: その後は単に殺人犯を探し出すだけの問題でね。そして犠牲者のアイスクリームコーンの中にチョコレートがどれだけ沈み込んだかを解き明かすことでそれを成し遂げたんだ。(※)

警部は満足気に笑い、カメラマンと記者たちはより近くへと歩み寄った。

 

しばらくして警部はもう一枚彼の写真を撮ろうとしているカメラマンたちを残して部屋を後にした。ドアを背後で閉じると前方の廊下を少し進んだあたりで誰かが待っているのが目に入った。

Prakesh警部: 友よ!

警部は背後のドアに設けられた丸窓から誰かが見ていないか肩越しに確認をし、前方に立つ人物へと振り返った。

Prakesh警部: 君の手柄にしなくっていいのか?これはみんな君のおかげなのに。

警部が語りかける人物は見覚えのある姿をしていた。巻き毛の頭に厚手のロングコートの男。顔は影になっていて見ることが出来ない。

 

 

現在、パブ。

GL: 賢い奴だ、Prakesh警部。

Anderson: ねえ、ちょっと…!警部なんかにあんな推理が出来たと思います?

GL: ああ、どうもな(!)

Anderson: Sherlockがあなたの事件を全部解決したときだって自分の手柄にはしなかったのを覚えているでしょう?

GL: (憤然として)全部あいつがやったわけじゃない!

Anderson: (考え込みながら遠くを見つめて)他の場所にいるんだ。身を潜めてる。でも首を突っ込むのを止められないんだ。

Andersonは含み笑いをした。

Anderson: 間違いなく彼ですって、サインを見分けられるんならね!

GL: Klein兄弟、タワー・ハウスの件、ケンジントンの通り魔-みんな俺が自分で解決した!

Anderson: まあ、タワー・ハウスはしくじったけど。

GL: そんなことない!

Anderson: いえ、そうでした。

すると地図を別の方角へ広げた。

Anderson: では、発見例その3…(ハンブルクを叩いて)…謎めいた陪審。

Gregはとうとう音を立てて額をテーブルに打ち付けた。

 

 

ハンブルク。陪審員室で男性の陪審長が疲れきった様子で頭を掻いてから残りの陪審たちへ話を始めた。

陪審長: Nun, wie wir alle wissen, wurde diese Jury unter höchst ungewöhnlichen Umständen zusammengerufen. Aber ich muss Sie jetzt auf ein Urteil drängen. Ist Herr Trephoff schuldig oder nicht schuldig am Mord seiner Frau? (ご存知の通りこの陪審団はまれに見る非常に圧迫された状況下にある、だが私はあなた方に判決を下すことを強く求めなくてはならない。Herr Trepoffは妻殺害の件で有罪か、無罪か?)

陪審員たちはひとりひとり答えていく。

女陪審員1: Nicht schuldig. (無罪)

一番端に座っているシャツと暗い色のコート姿の陪審員が、苛立たしげに指でテーブルを叩いている。

女陪審員2: Nicht schuldig. (無罪)

男陪審員1: Nicht schuldig. (無罪)

あの陪審員はまだ指でテーブルを叩いている…

男陪審員2: Nicht schuldig. (無罪)

テーブルの「ドラム」は続く…

女陪審員3: Nicht schuldig. (無罪)

男陪審員3: Nicht schuldig. (無罪)

男陪審員4: Nicht schuldig. (無罪)

「ドラム」は続く…

女陪審員4: Nicht schuldig. (無罪)

男陪審員5: Nicht schuldig. (無罪)

女陪審員5: Nicht schuldig. (無罪)

「ドラム」は続き、順番はとうとう最後の席へ回ってきた。陪審長はうんざりしたように溜め息をこぼして最後の陪審を見る。

陪審長: (腹立たしげな声で)Nun? (どうだ?)

最後の陪審の後ろ姿が見える。それはダーク・カラーの巻き毛で、襟を立てたダーク・カラーのロングコートを着ている男だった。

 

しばらく経ってひとりの男性が新聞スタンドのそばを通り過ぎていった。 ドイツの新聞には“TREPOFF SCHULDIG!” (Trepoff有罪!)と書かれ、横に置かれたGlobal Newsの一面トップには「Trepoff『有罪』騒動!」という文字が踊っていた。

 

 

現在、パブ。

Anderson: 彼のはずですって!他に可能な奴なんていないでしょ!わかりませんか?

GL: 俺にわかってるのは、お前が死んだ男が生き返るなんていう妄想をこじらせて立派な仕事を失ったってことだよ、どうしてそれを望むのかも知ってる。(顔をしかめて)だが起こりっこない。

Andersonは首を振る。

GL: さて…(グラスの中身を飲み干して)…昔の友人に会いに行くとするか。

コートを手に取りAndersonを眺める。

GL: 養生しろよ、な?

そう言うとGregは立ち上がり、そばの椅子に置いてあった箱を手に取ると、かつての同僚を同情の眼差しで眺めた。

GL: 一言言っておくよ-奴らが事件を再調査しないか確かめるんだな。

Anderson: でも地図を見てくださいよ。

架空の点線がニューデリーからハンブルク、そしてアムステルダム、それからブリュッセルへと引かれていった。

Anderson: 近付いてきてる。

Gregへ向かって顔を上げる。

Anderson: まるで戻ってきてるみたいだ。

Gregは少し考え込んでいたようだったが、やがて静かにAndersonへ頷くとパブを後にした。

 

 

John Watsonの家。Johnはリビングへ入っていき、書類入れのキャビネットの上に白い箱を置いた。振り返ってGregに笑みを向ける。

JW: 会えてうれしいよ、Greg。

GL: こちらこそ。

二人は握手を交わした。

JW: どうぞ座って。

GL: (肘掛け椅子に腰を下ろしながら)で、調子はどうだ?

JW: (ソファに腰掛けながら)ええ、うん、元気ですよ。うん。だいぶいい。

Gregは頷いた。Johnは箱を指差す。

JW: ええと、それであの中には…?

GL: ああ、あれな、うん。あれは、ええと、俺のオフィスにあった物で-Sherlockの物なんだ、実は。捨てちまうべきだったかもしれないけど、わからなくてさ、もし…

そう言いながら気まずそうにJohnへ視線を向けた。

JW: いえ、いいんですよ、ええ。

Johnが微笑みかけると、Gregも笑みを浮かべて立ち上がり、箱へ歩み寄った。

GL: そう、こ、こ、この中にはあれがあるんだ。その、持っておくべきかどうかわからなくってさ。

Gregは蓋を開けた。中には恐らく「あの」ピンクのiPhoneが入っていて、他にはニコチンパッチの箱、何かが書いてあるメモ紙、模型の機関車(※)、黄色の仮面(※)、それから一枚のDVDがあった。DVDを箱から取り出す。

GL: お前さんの誕生日にあいつがメッセージビデオを撮ったの憶えてるか?

Johnは頷いた。

GL: ああ、実際俺があいつを脅さなきゃならなかったんだぜ。

Johnはわずかに笑った。

GL: これはノーカットバージョンだ。なかなかおもしろいよ。

微笑みながらJohnへDVDを渡す。

JW: ああ、そうですか。

Johnは受け取ってそれを眺めた。

GL: 持ってくるべきじゃなかったかもな。

JW: 気にしないで。だいじょうぶ。たぶん観ることはないでしょうけど。

二人は気まずそうに笑みを浮かべ、Johnは再びDVDを眺めた。

 

 

その後。Gregは帰っていた。Johnは肘掛け椅子に座ってグラスにウイスキーを注いでいる。瓶の蓋を閉めると立ち上がってそばにある棚へ戻し、再び椅子へ腰を下ろしてグラスを手に取り、一口飲んだ。前にあるテーブルに置かれたDVDをしばらく見つめていたが、やがてそれを手に取って考え込みながらTVの方を眺め、とうとう立ち上がってDVDプレイヤーへ歩み寄り、ディスクを入れた。読み込んでいる間にグラスの方へ戻る。TVの画面にはベイカーストリート221Bのよく見慣れたソファの様子がスマイルマークの描かれた背後の壁と共に映し出された。JohnはTVの向かいにあるソファに腰を下ろしてウイスキーを一口飲んだ。

Sherlockの声: そんなことになると思われてたのか?-暗くなるって?ああ、わかったよ。

画面ではSherlockがリビングのソファの前を歩きまわっていた。

SH: ああ、ええと、うーん。で、僕は何を、僕は何を、結局僕に何をさせたいんだ?

彼は立ち止まり、カメラの後ろにいると思われるGregの方を見た。

SH: それって、あれを…?笑ってウインクか。時々やるよ。何でか知らないけど。みんな好きみたいだからな-人間味溢れるってさ。

そう言うとカメラから目を背けてしまった。

GL: いいよ。何でも。

SH: (振り返って)何で僕はこんなことをしてるんだ、また?

GL: お前さん来ないつもりなんだろ。

SH: 当然行くつもりなんかない。みんないるんだろ。

再びカメラへ背を向け、また振り返る。

SH: 何でまたJohnは誕生日会なんかやるんだ?友人はみんなあいつを嫌ってるぞ。

Johnはわずかに微笑んだ。

SH: そいつらの顔を見るだけでいいんだ。僕はあいつと親しくしている友人らみんながひた隠しにしている憎悪についてエッセイを書いたぞ。

Johnはまた笑った。Sherlockは考え込みながら視線を外す。

SH: 翻ってみるとそれはプレゼントの選択としてはあまり適していなかったみたいだな。

Sherlockは気を静めて少しの間カメラを見つめるとGregの方へ歩み寄っていった。

SH: 何でこんなことさせられてるんだっけ?

GL: 伝えることがあるって言ってただろ。

SH: ああ、そうか、そう!それだよ。伝える。

GL: 推敲したいのかな。

SH: いや、いや、いや。手の込んでるのは嘘ばっかりだ。

Johnは目を閉じ、わずかに首を振る。Sherlockは数秒間、鋭くカメラを凝視した。

SH: そうか、僕は…ちょっと待ってくれ、その、どうするか考えるから。

そう言うと窓の方へ歩み寄った。Johnはグラスを見下ろす。

JW: どうすればいいか僕が教えてやるよ。死ぬのはもう止せ(グラスを持ち上げて一口飲む)。

すると画面の中のSherlockがカメラを真っ直ぐに見つめて言った。

SH: OK。

Johnは驚いて画面を見たが、Sherlockはカメラの前から離れていってしまった。

SH: いいよ、準備出来た。

肘掛け椅子に腰を下ろし、そこに落ち着くとカメラへ顔を向けた。

SH: やあ、John。(笑みを向けて)今そこにいてやれなくてごめんな。すごく忙しくてね。それでも、君の幸せを祈ってる(many happy returns)。

画面を見つめるJohnの顔から、彼がどういう気持ちでいるのかを読み取るのは難しかった。

SH: ああ、心配しなくていい。また君のところへ行くから、すぐにね。

そこでJohnの部屋のドアベルが鳴った。Johnは玄関へ顔を向けるとグラスをテーブルに置き、リモコンの一時停止ボタンを押した。画面をじっと見つめるSherlockの姿で映像は止まっている。Johnは立ち上がって部屋を出ていった。

 

 

Anderson: 彼は戻ってくる。

パブの中で彼は顔を上げ、ひとりで笑みを浮かべると静かに笑い、うれしそうに含み笑いをしながら地図を見下ろした。

 

 

Gregは携帯電話をチラチラ見ながら道を歩いていたが、立ち止まってそばに立っていた白い髭の男へ視線を向けた。男はDaily Expressを読んでいて、表の面がGregの方へ向けられていた。そこにはサッカーをしている三人の選手の写真、そして“THE GAME IS BACK ON!”(ゲームが再び始まる!)と題されていた。Gregはしばしその文字を見つめ、少し皮肉そうに笑みを浮かべると近くの店へ入っていった。

 

 

Johnのリビング。止まっていた映像がプレイヤーの機能により自動で再生を始める。Sherlockはカメラに向かって満面の笑みを見せながらウインクをした。

 

※Many Happy Returns

…元はMany [I wish you many] happy returns (of the day)! という表現。「幾久しく幸多かれと祈ります」という意味で誕生日などの祝詞。

 

※アイスクリームコーンの中にチョコレートがどれだけ沈み込んだかを解き明かすことでそれを成し遂げた

…原作「六つのナポレオン」にあるHolmesの言葉。「Watson、アバネッティー家の恐ろしい事件が初めて僕の注目を引いたのは、暑い日にパセリがバターの中に沈む深さだったという事を憶えているだろう」

 

※模型の機関車

…イギリスの鉄道模型メーカー・ブランドであるHornby製の「Hornby Railways OO Gauge 3 x Tank Locomotive: R770 0-4-0 LMS 16032 Saddle Tank, black」。モデルとなった蒸気機関車「Class 264 Caledonian Pug 0-4-0ST」はHolmesたちが活躍した1895年前後に設計・製造された。

 

※黄色の面

…原作にThe Yellow Face(黄色い顔)というエピソードがある。

Many Happy Returns