そのすぐ後で、リビングのTVにはドキュメンタリー番組が映し出されていた。Sherlockはドレスガウンを脱ぎ、ジャケットを来て椅子に座っている。JohnはSherlockのそばでテーブルの椅子に腰を掛けていた。Johnの椅子には依頼人の男が座っている。それはHenry Knightだった。(以下セリフ“HK”)TVのドキュメント番組はダートムア(※)を映していた。Sherlockはもう退屈そうにしている。

リポーター: ダートムア。常に神話と伝説の舞台です。しかしそこには別の何かが潜んでいます、とても現実的な。

『Keep Out(立入禁止)』の標識が映る。

リポーター: (細い道を歩きながら)なぜならダートムアは政府の極秘活動の拠点でもあるからです…

Sherlockは繰り返し目を画面からJohnの椅子に座っているHenryへ向けた。彼は大きな標識を見ている。『関係者以外立入禁止』『あなたは制限区域にいます』『バスカヴィル』。Sherlockは頬杖をついた手の小指をせわしなく動かしながら、TVではなく新しい訪問者を凝視していた。Henryはまだ不安気にドキュメンタリー番組を見ている。

リポーター: 化学およびバイオ兵器の調査機関で、ポートダウン(※イギリス軍の化学兵器の研究機関)よりも極秘だと言われています。第二次世界大戦後から、バスカヴィル実験の話題が絶えません。遺伝子突然変異、戦闘用動物の育成。この『複合物』を信じている人は大勢います。この古い荒地には想像を超える恐ろしいものが存在するのです。しかし現実の問題は「それらすべてはまだこの中にあるのか?」ということです。

場面は屋内に切り替わった-Henryがカメラの前に座り、映されていない誰かに話している。画面下部の説明に『Henry Knight、グリンペン在住(※)』とあった。

HK: 僕はほんの子供でした。そ、それは荒野にいたんです。

画面には赤い目をしてうなっている巨大な犬を描いた子供の絵の一部が映し出されていた。『Henryが描いた絵(九歳)』とある。

HK: 暗かった、でも何を見たかわかっています。父を殺したものを知ってます。

とうとうしびれを切らし、ため息をついたSherlockはリモコンを取ってTVを消すとHenryに直接問いかけた。 

SH: 何を見たんだ?

HK: ああ。(TVを示し)僕は…僕はそのことについて言いました。

SH: はい、TVのインタビューでね。僕は自分でまとめたいんだ。

HK: はい、すみません、そうですよね、申し訳ありません。

Henryはジャケットのポケットに手を伸ばし、紙ナプキンを取って鼻を拭った。

JW: ご自分のタイミングで。

SH: でも早めに。

Henryはナプキンを下ろし、話を始めた。

HK: ダートムアをご存知ですか、Holmesさん?

SH: いや。

HK: おもしろい場所です。他にあんなところはない。わびしいですが、美しいところ、なんです。

SH: んん、興味ないな。先に進んで。

JohnはじろりとSherlockを見た。

HK: 母が亡くなった後、父と僕はよく散歩へ行きました。毎晩荒野へ出掛けました。

SH: うん、わかった。父親が惨殺された夜まで話を飛ばしてくれ。それはどこで起こった?

JohnはSherlockの無神経な質問の仕方に呆れて視線を宙に投げたが、Henryはめげずに話を続けた。

HK: その場所は地元の中心地でDewer's Hollow(悪魔の穴※)と呼ばれるところでした。

Sherlockが『そして…?』と言いたそうに頭を傾けているのを見ながら言葉を繋ぐ。

HK: それは悪魔の古い呼び名なんです。

SH: (片眉を上げて)それで?

JW: その夜、悪魔を見たんですか?

よみがえる記憶の影響を受けて苦しげな表情をし、Henryはうなずいた。

HK: (ささやくように)はい。

-Henryの父親が何かに脚をもぎ取られる叫び声、幼いHenryは恐怖に包まれながらその様子を見ていた。

HK(声): 巨大で、炭のように黒い毛並みで、赤い目をしていました。

-Henryの父親はついに動かなくなってしまった。生き物は獰猛なうなり声を上げる。幼いHenryは逃げ出した。

HK: (涙ぐんで)父を捕まえ、バラバラに、引き裂いた。

Sherlockはじっと彼を見ていた。

HK: 他には何も思い出せません。翌朝荒野をさまよっているところを発見されました。父の遺体は見つかりませんでした。

JW: ふむ。(Sherlockの方を見て)赤い目、炭のように黒い毛並み、巨大、犬(dog)か、狼か?

SH: それか遺伝子の実験。

Sherlockは視線を外して、笑いを噛み殺した。

HK: 僕を笑っているんですか、Holmesさん。

SH: なぜ、冗談でも?

HK: 父はバスカヴィルで行われていたことをいつも吹聴していました、モンスターがそこで飼育されていたことなんかを。みんな笑いました。少なくともTVは僕をまじめに扱ってくれました。

SH: そして、デボンの不思議を観光して回ったんだよな。

JW: (不愉快に)ああ…

Sherlockの皮肉が止まらないので話題を変えようとJohnがHenryの方へ身体を乗り出すと、Sherlockは不満そうに顔を背けた。

JW: Henryさん、お父様に何が起こったにしろ、それは20年前のことです、なぜ今になって僕たちのところへいらしたんですか?

Henryはその質問に答えず前へ向かって座り直し、Sherlockを見た。

HK: あなたが僕の力になってくれる気がしない、Holmesさん。ばかにしているんでしょう。

そう言って立ち上がり椅子を通り抜け、ドアへ向かった。

SH: 昨日の夜に起こったことが理由。

JW: なんで、昨日の夜、何があったんだ?

Henryはそれを聞くと驚いて彼らの方を向いた。

HK: どうして…どうして知ってるんですか?

SH: 知らなかった、観察したんだ。

Johnは『ああまったく、また始まるぞ』という表情をした。

SH: (矢継ぎ早に)君はデボンから今朝の始発電車でやってきた。期待外れの朝食とブラックコーヒーを摂った。通路向かいの席の女の子が君を愉快にした。君は初めは乗り気だったけれども、気持ちを切り替えた。どういうわけか今日最初の煙草を案じている。座って、Knightさん。煙草をどうぞ。大歓迎だ。

Henryは彼を見つめ、視線を逸らしながらため息をつくJohnをちらりと見た。そしてためらいながら椅子に戻ってポケットを探りながら座った。

HK: みんな、観察したんですか?!

JW: それは重要なことじゃなくて…

しかしSherlockは無視して、話し出した。

SH: (Henryのコートのポケットに刺さっている白い紙の二つの穴を見て)チケットに穴が開けられた場所…

JW: 今はいい、Sherlock。

SH: おい、いいだろ。長い間ここに閉じ込められてたんだ。

JW: 誇示したいだけだろ。

SH: そうさ、僕は目立ちたがり屋だ。それが僕らのやっていることだろ。

SherlockはHenryに注意を戻した、彼はまだナプキンを手にしていた。

SH: その電車のナプキンはコーヒーをこぼしたのを拭くために使ったものだ。そのシミはミルクを入れなかったことを表している。ケチャップが口の周りと袖に。調理済みの朝食、もしくはそれに近いものが電車で振る舞われる。たぶんサンドイッチだ。

Henryは気負けして半泣きになった。

HK: どうしてそれが、期待外れだとわかったんです?

SH: 電車の朝食がそれ以外にあるか?女の子-女性の手書き文字は特徴がある。彼女はナプキンに電話番号を書いた。書かれた角度から通路を挟んで向かいに座っていたことが言える。その後-彼女が去った後、こぼしたコーヒーを拭くのにナプキンを使ったんだろう。うっかり番号を汚してしまった。別のペンで末尾四桁を上書きした、番号を保存したかった。にもかかわらず今はそのナプキンを鼻を拭うのに使っている。たぶんもう彼女には興味ない。それからニコチンのシミがある…震えてる指に。僕はその(禁断症状の)サインを知っている。

Sherlockはより激しく観察をし始めた。

SH: 電車では煙草を吸うタイミングがなかった、タクシーでここへ来るときも時間がなかった。

時計をちらっと見る。

SH: 9時15分過ぎ。君は追い詰められている。エクセター(※イングランド南西の都市)からロンドンへの最初の電車は午前5時46分発だ。可能な限り早い電車で来た、つまり昨日の夜に重大なことが起こったということだ。間違っているかな?

Henryは魅了されて彼を見つめ、呼吸は不規則になっていた。

HK: いいえ。

Sherlockは自己満足して微笑んだ。Johnは「ちくしょう!」と気持ちが顔に現れるのを隠すため飲み物を口にした。

HK: (畏敬の念に打たれて)合ってます、完璧です。まったくその通りです。ああもう、あなたは理解が早いと僕は聞いてたのに。

SH: これが僕の仕事だ。

満足も束の間、Sherlockは席を前に向け、再びHenryに対してイライラした様子を見せ出した。

SH: さあ、黙って煙草を吸うんだ。

Johnは眉をひそめたが、Henryは煙草に火を点け、Johnは書いていたノートを確認した。

JW: ええと、Henryさん、あなたのご両親はどちらも亡くなっている、七歳のときに何が?

Henryは最初の煙草に気を取られていた。彼が肺から煙を吐き出すと、Sherlockは半ば立ち上がりながら近づいた。

HK: わかっています、それは…僕の…

彼はSherlockが煙草から立ち上る煙とHenryが口から吐き出した煙に身を乗り出しているので中断した。Sherlockは煙を吸い込んでまた座り、吐き出し、喜びで小さくうなった。

JW: (Sherlockを無視しようと努めながら)それは…トラウマかもしれないですね。話を作り上げていると考えたことがありますか、この…

Henryが別の煙を吐き出すと、またSherlockは騒々しく煙を吸い上げた。Johnは彼が席に着くまでじっと待った。

JW: …説明付けのために。

HenryはSherlockから目を離し、Johnとの話を続けた。

HK: それはMortimer先生も言ってます。

JW: どなたです?

SH: 彼のセラピスト。

HK: (ほぼ同時に)僕のセラピストです。

SH: 明らかに。(満足そうに微笑んだ)

HK: Louis Mortimerさん。僕がダートムアへ戻るきっかけとなった人です。悪魔と対面すべきだと彼女は考えているんです。

SH: 昨晩Dewer's Hollowへ戻ったときに何があったんだ、Henry?セラピストにアドバイスをもらいに行って、今は探偵に相談している。何を見たんだ、すべてを変えるような何かか?

HK: 奇妙な場所です、Hollowは。

彼の心に昨晩Hollowで立っていたときのことがよみがえった。

HK: 人の内側を冷たくする、恐ろしい。

SH: (目を回しながら)はいはい、詩人の気分になりたいときはJohnが彼女へ宛てたメールを読むよ。よっぽど楽しい。

Johnは同居人への殺意を抑えようと大きなため息をついた。Sherlockは気にせずHenryへの質問を続けた。

SH: 何を見たんだ?

HK: 足跡-ちょうど父が引き裂かれるのを見たところで。

イライラしてSherlockは椅子に寄りかかった。

JW: 男性の、女性の?

HK: どっちでもなかった…それは…

SH: (途中で)なかった?他には。足跡。それで全部?

HK: ええ。でもそれは…

SH: (途中で)いや、悪いがMortimer先生の勝ちだ。作り話で覆われた幼少のトラウマ。つまらん!さようならKnightさん。煙草を吸ってくれてありがとう。

HK: いえ、でも足跡は?

SH: ああ、たぶん動物の足跡だろ。どうにでもなる、なんでもない。

Sherlockは椅子に座り、Henryにドアへ向かうように手で払った。

SH: 君はデボンへ帰る、僕はミルクティーを。

そう言って立ち上がりジャケットのボタンを締めてキッチンへ行った。Henryは椅子から彼を見上げた。

HK: Holmesさん、足跡があったんです、巨大な犬(hound)の!

Sherlockは歩みを止め、ゆっくりと振り返りキッチンの入口まで戻ってきてHenryを見下ろした。

SH: もう一度言って。

HK: 足跡を見つけた、それは…

SH: 違う違う違う、正確な言葉だ。さっきの正確な言葉を繰り返して。ついさっき言ったことを。

Henryは一瞬考えて、Sherlockを見上げながらおずおずと、ゆっくりと復唱した。

HK: Holmesさん、足跡があったんです…巨大な犬(hound)の。

Sherlockは顔を上げた。

SH: 事件を扱おう。

JW: (驚いて)え、何だって?

Sherlockは祈るような仕草をしながら、ゆっくりとリビングまで歩を進めた。

SH: 僕の元へ持ってきてくれてありがとう。これはとても有望だ。

JW: ちょ、ちょ、ちょっと。なんだって?さっきは足跡はつまらないと言って、今は有望だと?

SH: (止まって)足跡じゃない、相変わらず、John、聞いてなかったな。バスカヴィル、耳にしたことないか?

JW: 漠然と。秘密にされてる。

SH: 始めるには良い場所に聞こえるね。

HK: ああ!それじゃ来てくれるんですね?

SH: だめだ、わずかでもロンドンを離れることはできない。忙しくてね。心配するな、最適な人物に任せるから。

すると彼はJohnの方へ歩み寄り、微笑みながら肩を叩いた。

SH: 関係ある情報を僕に送るにあたっては、いつでもJohnを頼るといい、自分では内容を理解しないから。

JW: 何を言ってるんだ。忙しい?事件はないじゃないか!さっきは文句を言ってた…

SH: (途中で)ブルーベルだ、John!ブルーベルを捕まえる!失踪事件、闇にはびこるうさぎ!(Henryを見て小声で)NATOも騒いでる。

HK: ああ、すみません。それじゃ、あなたは来られないんですね?

わざとらしく残念そうに、Sherlockは首を振った。Johnはうめいた。

JW: わかったよ。(Sherlockが満足して微笑むと彼は立ち上がった)わかりましたよ。

Johnは混乱しているHenryをよそにマントルピースに歩み寄るとドクロを取り上げて下から煙草の包みを取り出し、ドクロを戻してから包みをSherlockへ投げた。ところがSherlockは受け取ってすぐに余裕の笑みを浮かべて肩の後ろへ放り投げた。

SH: もう要らない。ダートムアに行く。

彼はリビングから出ていった。

SH: 先に行ってくれ、Henry。僕らは後から追う。

HK: (混乱して立ち上がりながら)ええ、すみません、あなたは来るんですか?

Sherlockは振り返って部屋へ戻ってきて、うれしそうに言った。

SH: 20年失踪していた、怪物のような犬(hound)?どんなことがあっても逃さないぞ!

 

※ダートムア、グリンペン

…ダートムアはイングランド、デボン州の高原で国立公園となっている。グリンペンはConan Doyleが造った架空の地名で、グリムズポンドをモデルにしていると言われている。

 

※Dewer's Hollow

…ダートムアにはDewerstoneというヨーロッパの鉄器時代に作られたヒルフォート(敵や動物からの避難場所もしくは防御された居留地として崖や丘に作られた要塞の一種)がある。Dewerは古代のケルト語で悪魔を意味する。ダートムアには巨大な黒い馬に乗る悪魔の伝承があり、夜毎に黒い魔犬の群れを引き連れて荒野を馬で駆け回り、人々が死ぬまでDewerstoneへ追いかけていくという。他にも羊飼いが家に帰る途中で巨大な黒い魔犬に食われる不幸な男を目撃したなどの言い伝えもある。-参考: Wikipedia「Dewerstone」(英語版)

また、Conan Doyleはダートムア出身の友人から魔犬伝説を聞き、原作The Hound of the Baskervilles(バスカヴィル家の犬)の着想を得た。

 

 

その後、Johnは二人の荷物を外へ運び出していた。玄関のドアを閉めるとタクシーのドアを押さえているSherlockの方へ歩み寄った。隣のSpeedy'sからHudson夫人がこちらからは見えないChatterjee氏に向かって怒鳴っている声が聞こえる。

MrsH: …一緒に旅行。そんなつもりはなかったのね…

夫人はドアに何かを投げた。それはガラスに当たり、激しく跳ね返った。Johnは後退りした。

JW: うわ!Hudsonさんはついにドンカスターの奥さんを見つけたようだな。

SH: むむ。イスラマバードのも見つけるまで待とう。

Johnはくすくす笑ってタクシーに乗り込む。Sherlockも彼に続いて乗り込み、運転手に行き先を告げた。

SH: パディントン駅(※ロンドン市内ウエストミンスター南西部)まで頼む。

バスカヴィルの犬 2