ベイカーストリート。雨が激しく降っていた。Speedy's cafeの外でMycroftが煙草を吸いながら傘を差して立っている。腕の下には透明なプラスチックの書類入れを抱え、足元にはブリーフケースを置いていた。一方Johnは雨に濡れながら背中を丸めて家へと急いでいた。Mycroftが立っているのを見ると驚いて立ち止まり、歩み寄った。

JW: あなたは煙草を吸わないでしょう。

MH: カフェに行くこともあまりないね。

煙草を地面に落とし足で揉み消して傘を閉じ、ブリーフケースを手に取るとSpeedy's cafeに入っていったので、Johnもついていった。

 

 

それほど経たず、彼らはひとつのテーブルに向い合って座っていた。Johnはマグを手に取り、Mycroftが自分の前に置いたプラスチックの書類入れを眺めた。そこには「アクセス制限-機密事項」というステッカーが貼ってあった。あの電話が様々な書類の一番上に入っている。

JW: これはIrene Adlerのファイルですか?

MH: 永久的に非公開だ。出掛けて行って弟に知らせてやろうとしたところだ-もしくは良ければ君が-彼女はどういうわけかアメリカの秘密結社に身を置いた。新しい名前、新しい身分証で。生き残り-成功するだろう-だがあいつは彼女に二度と会うことはできない。

JW: なぜ気にすると?あいつは最終的に彼女を軽蔑した。名前にすら触れない-ただ「女」と。

MH: それは嫌悪か、もしくは称賛なのか?ある種の、重要な女。

JW: あいつはそんなのを好みませんよ。そんな風に物事を考えたりしない…僕はそうは思いませんね。

MH: 弟は科学者または哲学者の頭を持っている、今のところ探偵を選んでいるが。あいつの心を何と推測したものかな?

JW: わかりません。

MH: 私もだ…だが昔、あいつは海賊になりたがっていた。

MycroftはJohnに少し微笑んだ。そして彼の視線は遠くなり黙想的になっていった。

JW: この秘密結社についてはだいじょうぶでしょう、もう会ったりしませんよ。きっと良くなる。

MH: 同感だ。(息を鋭く吸い込んだ)だから話そうと決めたのだ。

JW: 他にも何か?

MH: 彼女は死んだ。二ヶ月前カラチ(※パキスタン南部の都市)のテロリスト支部に捕らえられ、首を切られた。

Johnは少しの間、沈黙してMycroftを見つめた。そして静かに咳払いした。

JW: それは確かに彼女なんですか?前にもこんなことをやった。

MH: 私は徹底した-今回はな。Sherlock Holmesは私をバカにするだろうが、あいつをすぐに使えたとは思えん、君はどうかね?

彼らは少し見つめ合った。Mycroftは書類入れをテーブルの上でJohnの方へ押し出し、肘をテーブルに置き、両手を握りしめ、その上に顎を載せた。

MH: それで…Sherlockに何と言うべきかな?

 

 

221B。Sherlockはキッチンのテーブルの前に座って顕微鏡を覗き込んでいた。階段を上がってくる足音が聞こえると、Johnが視界に入ってくる前に口を開いた。

SH: 明らかに新しい知らせを手に入れたな。

Johnは書類入れを手に持ち、ドアの入口に立ち止まった。Sherlockは顔を上げなかった。

SH: もしリーズ(※北イギリスにある町)の三重殺人についてなら、庭師だ。誰もイヤリングに注意を向けてなかった。

JW: やあ。ええ、いや、それは、うん…(キッチンに数歩入った)…Irene Adlerについてだよ。

Sherlockは顔を上げたが、表情から心境は読み取れない。

SH: ん?何かあったのか?戻ってきたか?

JW: いや、彼女は、あの…下でMycroftと鉢合わせしたんだ。でも電話がかかってきちゃってさ。

Sherlockは立ち上がってテーブルに沿ってJohnの方へ歩み寄った。

SH: ロンドンに帰ってきてるのか?

JW: いや。彼女は、あの…

Johnはテーブルをしばらく見つめると、鋭く息を吸い込んでSherlockに視線を向けた。彼は近くへ寄り、顔をしかめていた。

JW: アメリカにいるんだ。

SH: アメリカ?

JW: ん、うん。秘密結社にいるらしい。どうやって移ったのかはわからない、けど、あの、んん、わかるだろ。

SH: わかるって?

JW: んん、君は二度と彼女に会えないだろうってことさ。

SH: なぜ僕が彼女にまた会いたいと?

Johnが悲しそうに微笑むと、Sherlockは向きを変えてテーブルに戻っていった。

JW: そうとは言ってない。

SH: それは彼女の資料か?

JW: ああ。Mycroftへ返すつもりだった。

Sherlockに書類入れを差し出す。

JW: 要るか…?

SH: いや。

Sherlockは椅子に座ると、また顕微鏡を覗き込んだ。

JW: うん。

Johnはしばらく友人を眺めていた、どういう選択をすれば良いのかよく考えながら。やがて彼は前に進むことにした。

JW: あのさ。実は…

SH: ああ、でも電話は持っていよう、やっぱり。

SherlockはJohnの方へ手を伸ばした。だが作業からは目を離さないままだった。

JW: もうこの中には何もないよ。取り除かれた。

SH: 知ってる、でも…

彼は言葉を続けるまえにしばらく止まった。

SH: …持ってる。

JW: これはMycroftに返すつもりなんだ。君は保管しておけないよ。

それでもSherlockは手を伸ばしたまま、顕微鏡を覗き込んでいた。

JW: Sherlock、これはMycroftに返さなきゃいけない。今は政府のものだ。僕があげることはできないよ…

SH: 頼む。

Sherlockは少し先に手を伸ばした。Johnは彼を見てどうすべきかしばし悩んだが、結局は書類入れを探って電話を取り出し、彼の手に優しく、そっと置いた。Sherlockはゆっくりとそれを指で包み込んでからズボンのポケットにしまい、顕微鏡の前に手を戻した。

SH: ありがとう。

JW: (書類入れを掲げて)これは返したほうがいいよな。

SH: ああ。

Johnは向きを変えて踊り場へ出ようとしたが立ち止まって、今思い浮かんだ質問を尋ねるべきか考えた。数秒後、彼は振り返ってキッチンへ戻った。Sherlockはまだ顕微鏡から目を離していなかった。

JW: 彼女はあれからまたメールしてきたの?あの…済んだ後にさ。

SH: 一度、数ヶ月前に。

JW: 何て言ってた?

SH: 「さようなら、Holmesさん」

Johnは考えこんで、じっと彼を眺め、そっとため息をついた。

JW: はあ。

Johnはしばらくキッチンのドアの前を歩き回っていた、何かもっと言えることはないか考えながら。そしてとうとう向きを変え、階段を降りていった。

 

 

Johnが視界からいなくなると、Sherlockは顔を上げて部屋をしばらく見つめた、そしてテーブルの上に置いてあった自分の電話を取り、保存したメッセージを呼び出した。リビングへ歩きながら、彼は保存してあった「The Woman(女)」からのメッセージをスクロールした。彼らは長い間やり取りしていた。

「お腹空いてないけど、食事をしましょう」

「ホテルで退屈してるの。来て。食事をしましょう」

「Johnのブログっておもしろい。彼ってあなたが思ってるよりもあなたのことが好きなんだと思う。食事をしましょう」

「タワーブリッジが見える、それに部屋から月も。わたしがいるところに来て一緒にいて」

「道で今日あなたを見かけた。あなたはわたしを見ていなかった」

「実はあの帽子が自分に似合ってるって知ってるんじゃないの?」

「ああ、お願い。食事をしましょう」

「わたしあなたのおかしな帽子好きよ」

「エジプトにいてバカな奴と話してるの。飛行機に乗って、食事をしましょう」

「『Crimewatch』のあなたってセクシーね。食事をしましょう」

「もう食事をしてたとしても。食事をしましょう」

「BBC1を見て。きっと笑う」

「クリスマスプレゼントをあなたにあげようかと考えているの」 

「マントルピース」 

「わたしは死んでない。食事をしましょう」

そして彼が彼女に送った返信。 

「Happy New Year」

リストの最後は、彼女から彼への最後のメッセージ。

「さようなら、Holmesさん」

リビングの窓にたどり着くと、彼は長い間最後のメッセージを眺め、そして顔を上げると雨が降っている窓の外を見つめた。

 

 

フラッシュバック(恐らく)二ヶ月前のカラチ。そこは夜で、外国語で叫んでいる男の声が背後に聞こえる。揺れるカメラ映像はやがて鮮明になり、軍用車の前の地面でひざまずいているIrene Adlerを映しだした。中東の女性のような装い-黒い布を全身に纏っていて、髪は黒いハンカチで覆われている。彼女は片手で電話に入力していた。右手に立っている男は片方の手にライフルを握り、もう片方の手で繰り返し彼女の電話へ手を出した。Ireneは彼を拒否して、メッセージを終えるまでそれを渡すのを拒んだ。 

「さようなら、Holmesさん」

彼女は送信ボタンを押し、男へ電話を渡した。彼女の左にいる二人目の男が歩み寄り、彼女の頭へ鉈を振り上げた。ゆっくりと彼女の首の後ろへ下ろし、狙いが命中するか確認した。Ireneは上を見つめた、泣かないようこらえながら。そして彼女がゆっくり目を閉じると画面は暗くなった。

 

 

数秒の後、色っぽい女性の吐息が宙に響いた。Ireneは目を開き、希望を見出して死刑執行人の方を見た。彼の顔は目を除いて布で覆われていたが、とても見覚えのある、青く灰色の目が彼女と視線を合わせ、密かに言葉を発した。

SH: 逃げるんだ、逃げろ!

彼女は再び前を向き、Sherlockは鉈を後ろへ引いた-彼が死の打撃を与えようとしているかのように。だが彼は向きを変え、Ireneではなく近くの民兵を攻撃し始めた。Ireneは前を見つめた-生きようとしていることが信じられずに目を見開き、ゆっくりと微笑んだ。

 

 

現在のロンドン。Sherlockは少しの間微笑んで、ひとりでくすくす笑いながらIreneの電話をポケットから取り出すと空中へ投げてまた受け取り、しばらく眺めた。

SH: The Woman。

近くのキャビネットの一番上の引き出しを開けて電話をその中に置く。完全に離れる前に手を止め、指をまた電話の上に置いてじっと眺めた。

SH: The Woman。

彼は顔を上げてしばらく雨が降る街を見つめていた。そしてまた部屋へ戻っていった。

ベルグレビアの醜聞 10