Janusレンタカー。SherlockとJohnはレンタカー会社のオーナー室に来ている。Johnはオーナーの机に向かい合って座り、Sherlockがオーナー室の窓から外のオフィスを眺める間、メモをとっていた。

Ewert: どういう用件なんだかわかりかねますが。

JW: Monkfordという人物が昨日あなたのところから車を借りてますね。

Ewert: ああ。いい車だよ。マツダのRX-8。自分にも一台欲しいくらいだね!

Sherlockは窓から離れて机へ歩み寄るとEwertのそばに立ち、背後の壁に飾られている車の写真のひとつを指差した。

SH: あれがそうか?

Ewertが壁の方へ顔を向けた隙にSherlockは素早く彼の首の側面を観察した。

Ewert: いや、そこにあるのは全部ジャガーだよ。あんたはあまり車に詳しくないんだな。

EwertがJohnへ笑顔を向けるとSherlockは姿勢を正した。

SH: でも、その、君なら手に入れられるんだろう-マツダ、だよな?

Ewert: ああ、公平にはね。でもわかるだろ、お菓子を売ってるようなもんでさ。種類が多いリコリスの飴、あれにひとつ手を出したらキリがないだろ?

そう言いながらEwertは右手で左の上腕部を掻き始めた。Sherlockはその様子を目にすると机の向こう側へ進み出した。

JW: ではMonkfordさんについてはご存知なかった?

Ewert: ああ、ただの客だよ。ここに来てうちの車を借りていった。どうしてこんなことに。気の毒だね。

机の反対側へ着くとそこでSherlockは立ち止まった。

SH: 良い休暇を、Ewertさん?

Ewert: ええ?

SH: 休暇を取ってたんじゃないかな?

Ewert: ああ、そ、その…

Ewertは日焼けした顔に手をやった。

Ewert: いや、これは、その、日焼けサロンで。どうもね。忙し過ぎて休暇なんか。嫁さんは行きたがるだろうけど-日光浴に。

SH: 煙草の自販機を使いたい、小銭はあるかい?

Ewert: え?

SH: ああ、来る途中に一台見つけたんだが小銭を持ってなくて。

そう言って紙幣を差し出した。

SH: 我慢できない。

Ewert: そう、だな…

Ewertはスボンのポケットから財布を取り出した。

Ewert: うーん。

財布を開けて中を見る。

Ewert: 悪いけど、あいにく。

SH: ああ、そう。貴重なお時間をどうも、Ewertさん。

そう言うとドアへ向かっていった。

SH: 非常に役に立ったよ。行こう、John。

二人はオフィスを出て、建物の前の広場へ進んでいった。

JW: な、なあ、小銭が要るんなら僕が持ってるからさ…

SH: (左の上腕部を叩きながら)ニコチンパッチ、忘れたのか?ちゃんとやってるよ。

JW: じゃああれは一体何だったんだ?

SH: 財布の中を見る必要があった。

JW: どうして?

SH: Ewertは嘘をついている。

 

 

ST BART病院の研究室。Sherlockは大きな血液の一滴を乗せたガラスの浅い皿を手にしている。台にそれを置き、道具入れのバッグを取ると、ひとつの瓶を開けてスポイトで中の液体を少し吸い出した。皿に屈み込んでスポイトから液体を血液に落とすと、合わさった部分が反応して発泡を始めた。皿から顔を上げるとピンクのiPhoneが鳴り出した。発信者は非通知。電話を取って応答する。

SH: もしもし?

男: (涙ながらにメッセージを読み上げる)「手がかりは名前にあるよ。Janus(※)。」

SH: なぜ手がかりを教える?

男: 「なぜそんなことをするのかって?退屈だからだよ。僕らはお互いのために作られたんだ、Sherlock。」

SH: (小声で)なら自分自身の声で話せ。

男: (涙ながらに)「辛抱しろ。」

そこで通話は切れた。Sherlockは電話を下ろし、物思いに耽りながらしばらく遠くを眺めている。やがて視線を落とすと皿を手に取った。液体の発泡する様子を間近に確認した彼の顔に笑みが浮かんだ。

 

※Janus

…「ヤーヌス(ヤヌス Janus)は、ローマ神話の出入り口と扉の神。前後2つの顔を持つのが特徴である。表現上、左右に別々の顔を持つように描く場合もある。一年の終わりと始まりの境界に位置し、1月を司る神である。入り口の神でもあるため、物事の始まりの神でもあった。1月の守護神であるのは、1月が入り口であり、年の始まりでもあったためである。それから来て、過去と未来の間に立つという説明もする。その役割は、日本の年神によく似ているが、直接の関連性はない。他の著名な神と異なりギリシア神話にはヤーヌスに相当する神はいない。英語で1月をいうJanuaryの語源(ヤーヌスの月)でもある」-Wikipedia「ヤーヌス」より

 

 

残り三時間。

 

 

警察の地下駐車場。Sherlock、JohnそしてLestradeがMonkfordの車の周囲に佇んでいた。

SH: シートに残されていた血液、その量は?

GL: 量?1パイン卜(※約0.568リットル)くらいか?

SH: 「くらい」じゃない。きっかり1パイントだ。それが最初のミス。血液は確かにIan Monkfordの、だが冷凍保存されていたものだ。

GL: 冷凍保存?

SH: 明らかな痕跡がある。Ian Monkfordはしばらく前に1パイントの血液を預けていた、それがシートに撒かれたと考えられる。

JW: 誰がそれを?

SH: Janusレンタカー。名前に手がかりがある。

JW: 二つの顔を持つ神、か。

SH: その通り。

JW: むむ。

SH: (Lestradeへ)彼らは非常に特殊なサービスを提供する。何かしらの問題を抱えているとき-金銭問題、結婚生活、何であれ-Janusレンタカーが失踪を手助けする。Ian Monkfordはあるトラブルに直面しかかっていた-推測だが金融関係だ、銀行員だからな。回避する手立てがなかった。だがもし行方をくらませれば、借りた車が捨てられていてシートが奴の血にまみれた状態で発見されれば…

JW: で、奴は何処に?

SH: (車のドアを閉めながら)コロンビア。

GL: コロンビア?!

SH: JanusレンタカーのEwertの財布の中に二万コロンビアペソが入っていた…

-Sherlockが財布の中の紙幣を見ている。

SH: …わずかながら小銭も。最近旅行には行っていないと言っていた、だが車のことを尋ねたとき明らかな日焼けの跡が確認できた。

-Sherlockが指した壁の方へEwertが顔を向けた隙に、彼の首に日焼けのラインがあるのをSherlockは見出していた。

SH: 日焼けサロンでシャツを着たまま寝そべっている奴はいない。それから腕もだ。

GL: 腕?

SH: 掻き続けていた。間違いなく痒みがあり、出血もしていた。

-Ewertが掻いている上腕部、シャツの袖にはわずかに血が滲み出ていた。

SH: 何故か?最近ワクチン注射を打ったからだ。B型肝炎だろう、恐らく。あの距離では断言しかねるが。結論:奴はIan Monkfordにコロンビアで新しい生活を始めさせて戻ってきたところだった。Monkfordの妻は生命保険を受け取り、Janusレンタカーと山分けをする。

JW: お、奥さんが?

SH: ああ、そうだ。あの女もグルだ。

Lestradeは感嘆の表情を浮かべながらうなだれた。

SH: さあ、あいつらを逮捕しに行け、警部。それが君のベストだろう。

そしてJohnへ。

SH: 僕らの爆弾魔君に事件が解決したことを知らせてやらないとな。

SherlockはJohnを連れてその場を後にした。Lestradeは受け取った情報に頭をクラクラさせながら二人の後ろ姿を見送っていた。Sherlockは満足気に脇で拳を握り締めながら歩いていく。

SH: 燃えてきた!

 

 

221B。二人はコートを着たままリビングにいる-暖房が使えない、もしくは『ガス漏れ』の後で火は点けられないからだろうか(それにまだ窓のガラスは割れたままで保護剤で覆われているだけの状態だった)-SherlockはThe Science of Deductionに新しいメッセージを入力している。

Congratulations to Ian Monkford on his relocation to Columbia.

[Ian Monkford、コロンビアへの移住おめでとう]

メッセージを送信する。数秒後、パソコンのそばのテーブルに置いてあったピンクのiPhoneへ非通知の着信。Sherlockが応答する。

男: (涙ながらに)あんたが助けに来てくれるって。助けて。お願い助けて。

しばらくして男の元へ警察官たちが駆けつけていった。221BでSherlockはJohnを見上げて微笑んだ。

 

 

朝。二人はあるカフェ(Speedy'sではない)にいた。Johnがお茶と朝食を頬張っている間、Sherlockはテーブルを苛々と指先で叩きながらピンクのiPhone-テーブルの上に置いてある-が鳴るのを待っていた。

SH: 機嫌は良くなった?

JW: ふん。これが始まってから息つく間もなかったのが君にもようやくわかったか?

Johnは再び口いっぱいに頬張った後で考え込みながら尋ねた。

JW: これは君に対して…?

SH: 恐らく。

JW: いや-この爆弾魔がやってることっていうのはさ、君に対するゲームなのか?封筒、部屋を爆破、死んだ少年の靴-みんな君に向けられてる。

SH: (少し笑みを浮かべて)ああ、わかってる。

JW: じゃあ、あいつなのか?Moriarty?

SH: たぶんな。

ピンクのiPhoneがメールの受信を知らせた。Sherlockが電話を起動すると二つの単音とひとつの長音の時報が再生され、中年女性が微笑んでいる写真が画面に表示された。

SH: 特定しかねるな。

JW: うーん、だろうね。良かったな、僕の無職が長引いてて。

SH: どういうことだ?

JW: 良かったよ、Hudsonさんと僕はテレビばっかり観てるもんでね。

そう言うとJohnは立ち上がってカウンターへ歩み寄った。カウンターの中にいる女性へ微笑みかけるとリモコンを取り、壁に設置されている小さなテレビのスイッチを入れた。「失われたフェルメール」のCMを流していたテレビに目的の番組が表れるまでチャンネルを幾度か変える。すると写真の女が画面に現れた-彼女の「美」に関するテクニックを指南する番組。画面に映っていない誰かへ向けて手を差し伸べている。

Connie: ありがとう、Tyra!とっても素敵に見えますでしょ、みなさん!

そこでピンクのiPhoneが鳴り出した。

Connie: ともかく、絹の財布と豚の耳と言いますわよね…(※)

Sherlockが電話を取り応答する。

SH: もしもし?

ヨークシャー訛り(※)の老女が声を震わせながら話し出した。

老女: 「今回のは…ちょっと…障害がある。ごめんな。」

耳に補聴器のようなものを着けている老女。

老女: 「目が見えなくってね。憐れな…女だよ。」

Johnはテーブルに戻った。一方、老女はやはり爆弾を装着させられていた。ガウンに包んだ身体をベッドに起き上がらせ、補聴器をしていない方の耳に電話機を当てながら呆然と前方を見つめ、イヤピースから聞こえる音声を復唱している。

老女: 「12時間…あげよう。」

Sherlockは席に着くJohnを見た。

SH: (電話へ)何故こんなことを?

老女: 「好きなんだ…君の『ダンス』を…見るのが。」

彼女は目が見えないにも関わらず、やはりスナイパーはレーザーポイントの赤い光を彼女の身体の上に走らせている。話し終えると老女は恐怖に喘ぎながらすすり泣いた。Sherlockは電話を耳から離してJohnに首を振って見せ、テーブルに電話を放り出すとテレビへ顔を向けた。

Connie: …あなたったらまだあの悪い習慣に未練があるようね。

映像はそのままに別の音声が入る、画面の下部にニュースのヘッドラインが表示された。「美の女王Connie Prince死去 享年48歳」

ニュースの音声: 人気TVタレントConnie Princeさんの突然の死について続けます。美容番組で人気を博したPrinceさんは二日前、ハムステッドの自宅にて同居していたご兄弟により死亡しているのが発見され…

 

※絹の財布と豚の耳

…ことわざ“You can't make a silk purse out of a sow's ear” 「雌豚の耳(品質の悪いもの)から絹の財布(品質のいいもの)はできない」「瓜のつるになすびはならぬ」

 

※ヨークシャー

…イングランド北部の地域。

 

 

BARTS病院の死体安置室。Connie Princeの遺体が両腕と胸元が見える状態でシートに包まれ、台の上に横たえられている。Lestradeは書類を読み上げながら二人を先導し、部屋に入っていった。

GL: Connie Prince、54歳。テレビで美容に関する番組をやっていた。観たことあるか?

SH: いや。

GL: えらい人気でね。うまくいってた。

SH: 生きていれば。で、死後二日。スタッフのRaoul de Santosによると彼女は庭の錆びた釘で手にケガをしたそうだ。厄介な傷。

SherlockとJohnは彼女の右手、親指と人差し指が繋がっている部分に深い切り傷があるのを確認した。

SH: 破傷風菌が血流に入った-“good night Vienna”(※)。

JW: だろうな。

SH: この画像について何か見落としてる。

GL: ええ?

SH: 見て取れるほど単純ではないはず、でなければ爆弾魔はダイレクトに僕らを導いたりしないだろう。何か誤りが。

遺体を見下ろしながら目を細めると、ポケットから拡大鏡を取り出してConnieの右腕を調べるために屈み込んだ。上腕部に何か爪のようなもので引っ掻かれたような傷跡が複数ある。顔を見てみると鼻の上あたり、額にピンで刺したような小さな穴がいくつか見つかった。拡大鏡で観察をしている。

SH: John?

JW: うん。

SH: 手の切り傷、深く切ってる。大量に出血するよな?

JW: ああ。

SH: だが傷跡はきれいな状態-非常にきれいで、そして真新しい。

Sherlockは顔を上げ、考え込みながら目をキョロキョロさせた。そして起き上がると拡大鏡を閉じた。

SH: バクテリアの潜伏期間はどのくらいだ?

JW: 八日から十日。

SherlockはJohnへ向かって口の片側でニヤリとして見せ、彼の理解が追いつくのを待った。そんなに長くは掛からなかった。

JW: 切り傷は後から付けられた。

GL: 死んだ後にか?

SH: そのはずだ。唯一の問題は、破傷風菌が如何にして死んだ女の体内に入ったのか?

Johnは考え込みながら遺体を眺めた。

SH: 手伝ってくれるんだよな?

JW: もちろん。

SH: Connie Princeの素性-家族の経歴もすべて。データをくれ。

JW: わかった。

Johnは早速部屋を出ていった。Sherlockはもう一度遺体を見下ろしてからドアへ向かう。

GL: 見落としていることが他にもあるぞ。

SH: (気軽な様子で)そうかな?

GL: ああ。爆弾魔は何故こんなことをしているんだ?

Sherlockは立ち止まったが背を向けたままで、少し不安そうに見えた。

GL: この女の死が疑わしいとして、何故それを指摘したりする?

SH: (肩越しに無頓着な様子で)「善良な市民(※)」なんだろ。

そのまま立ち去ろうとするがLestradeは食い下がる。

GL: …爆弾で自殺を強要してるのは何者だ?

SH: 「悪質な市民(※)」。

GL: お-俺は真剣なんだ、Sherlock。お前の不真面目さを正してやる。俺はお前を信用してるよ-だがどっかにSemtex(※高性能プラスチック爆弾)で縛られてお前がパズルを解くのを待つしかない哀れな奴がいるんだろ。なあ教えてくれ、俺らは何を相手にしてる?

Sherlockは視線を外して考え込んだが、やがて楽しげに笑みを浮かべた。

SH: 新しい何か。

 

※good night Vienna

…英語のスラングで「もう終わり」「出来ることはもうない」(という状態)を意味する。1930年代のオペラ作品から。手詰まりの状況に陥ったことを(本人または第三者が)皮肉を込めて言う場合に使うことがある。また、リバプールの方言では「トンズラする」という意味もあり、リンゴ・スターのソロアルバムのタイトルにもなっている。

 

※善良な市民/悪質な市民

…元のセリフは“Good Samaritan”“Bad Samaritan”。“Good Samaritan”は苦しんでいる人のよき友、情け深い人を意味する。日ごろユダヤ人に軽蔑されていたサマリア人が盗賊にあって苦しんでいたユダヤ人の旅人を助けたという『よきサマリア人(びと)の話』(聖書「ルカ伝」)から。

 

 

残り八時間。老女は静かにベッドで待っていた-仕事熱心なスナイパーは彼女には見えないにも関わらずライフルから発せられるポインターの印を相も変わらず彼女の身体の上に走らせていた。

 

 

数時間後。221B。ソファ後ろの壁は書類で埋め尽くされている-地図やConnie Princeの写真-生前そして安置室で撮られたもの-Carl Powersの写真、新聞の切り抜きや走り書きのメモなど。それからいくつかの証拠品も連なって紐で吊るされていた。ソファの前に立ってそれらを眺めるLestradeの横で、Sherlockはうろうろと歩き回りながら何かぶつぶつ言っている。

SH: 繋がり、繋がり、繋がり。何か繋がりがあるはずだ。

やがて立ち止まり、壁へ向かって手を伸ばした。

SH: Carl Powers、20年前に殺害された。爆弾魔は彼を知っていた、知っていたことを認めた。爆弾魔のiPhoneはチェコ共和国製の封筒に入っていた。 最初の人質はコーンウォール、二番目はロンドン、三番目はヨークシャーだな、訛りからみて。何をやってるんだ-世界中を回りながら?目立ちたいのか?

そこでピンクのiPhoneが鳴り出した。ポケットから取り出して画面を見ると、発信者はやはり非通知。電話に出ると老女がイヤピースからの音声を聞きながら復唱を始めた。

老女: 「楽しんでくれてるようだね?繋げていってるんだろ…点を。」

老女は堪らずすすり泣いた。

老女: 「あと三時間、バーン…バーン。」

恐怖に苛まれた泣き声を最後に通話は切れた。SherlockはしばしLestradeを見た後で電話を切ってポケットにしまった。そして祈るように口元で両手を合わせると前方の壁へ意識を集中させた。

 

大いなるゲーム 5