大いなるゲーム 1

ベラルーシ、ミンスク。刑務所の面会室、いつものコート姿-ただし襟にファーが付いている-Sherlockが部屋にあるテーブルのひとつに向かって座っている。反対側に腰掛けているのはBarry ‘Bezza’ Berwick(※以下セリフ: BB)、若いイギリス人男性でオレンジ色のジャンプスーツを身につけている、明らかに囚人だ。少し離れたところにひとりの守衛が立っているのを除き、部屋にいるのは彼ら二人のみだった。話すときに口から白い息が漏れる様子から非常に寒い場所であることが見て取れる。Sherlockは退屈そうだ。

SH: 何があったのか話してくれ、始めから。

BB: 俺たちはバーにいた-いいところだったよ-で、ええと、俺がウェイトレスのひとりとしゃべってたら、Karenはそれが気に入らなくて、そんで…ホテルに帰ってから、ちょっとケンカになった。

Sherlockは音を立てて長い溜め息をこぼした。

BB: あいつはいつも文句を垂れてて、俺がマジメじゃねえって。 (I weren’t a real man)

SH: “Wasn’t a real man”

BB: え?

SH: “weren’t”じゃない、“wasn’t”だ。

BB: ああ。

SH: 続けろ。

BB: そんで、何でそうなったかわかんねえんだけど、いきなり俺の手に包丁があったんだ。んで、親父は肉屋だったから、俺も包丁の使い方は知ってんだ。

Sherlockの視線はテーブルに置いてあるBarryの手へ向けられた。

BB: 親父から肉の切り方を教わってさ。 (He learned us how to cut up a beast)

SH: “Taught”

BB: (イライラし始めて)ああ?

SH: “Taught you how to cut up a beast”

BB: ああ、まあ、そんで、そんで、やったんだ。 (I done it)

SH: “Did it”

BB: (カッとなって)“Did it”!あいつを刺した…(テーブルに繰り返し手を叩きつけながら)…何度も何度も何度も、そんで下をみたらあいつは… (she weren’t...)

鼻から大きく息を漏らしてSherlockは顔を背けた。癇癪を抑えてBarryは自分で誤りを訂正した。

BB: …動かなくなってた。 (wasn’t movin’ no more)

Sherlockは一旦Barryの方へ視線を向けたが、再びうんざりした表情で顔を背けた。

BB: …“any more”

Barryは不安気に溜め息をこぼしてうなだれた。

BB: (小声で)助けてくれよ。何であんなことになったのかわかんねえ、でも事故だったんだ。本当だよ。

Sherlockは立ち上がり、席を離れていった。Barryは必死に呼びかける。

BB: 助けてくれよ、Holmesさん!

Sherlockは立ち止まった。

BB: みんなあんたは最高だって言ってる。あんたがいなきゃ、俺は絞首刑になっちまう。 (I’ll get hung for this)

Sherlockは肩越しに彼の方へ振り返った。

SH: いや、いや、いや、Berwickさん、それはない。

何かを考えながらSherlockは少し視線を外した。

SH: “hanged”、だね。

そう言ってBarryに微笑みかけると、振り返って部屋を後にした。

 

※絞首刑になる

…「絞首刑にする」という動詞の原型はhang。「get + 過去分詞形」で「~の状態になる」という意味なので、Sherlockの言う通りhangの過去分詞形であるhangedが正しいのだが、実は、特にアメリカなどでは過去分詞形としてBarryが使ったhungを用いる場合もある。ただしhungは口語で「(形容詞)大きなペニスを持った」という意味もある。

 

 

----------オープニング----------

 

 

ベイカーストリート221B。二発の銃声が響き渡った。リビングではSherlockが肘掛け椅子に身を任せ、背もたれに頭を載せたままぐったりとしている。少し目を閉じたが、また目を開いて天井を見つめた。下の階で玄関のドアが開く。ソファの方へ顔を向けたSherlockは手足を伸ばした状態で椅子に仰向けになっていて、前方に投げ出した脚を足首のところで交差させていた。寝間着の上に青いドレッシング・ガウン、裸足というくつろいだ格好をしている。ソファの背後にある壁の上の方には黄色いスプレーでスマイル・マークが描かれている。先日のThe Blind Banker(死を呼ぶ暗号)事件で使われたスプレーの缶がソファの前にあるコーヒーテーブルの上に置かれていた。下の階でドアが閉まる音が聞こえ、Sherlockは溜め息をつくと顔を正面に戻し、ピストルを握っている左手を持ち上げた。ピストルをスマイル・マークへ向け、そちらの方を全く見ずに二発の弾を撃った。壁をよく見ると既に二発の弾痕がマークの二つの目にあたる部分にあり、口にあたる部分に新たな二つの弾痕が加えられたのだった。Sherlockはマークの方へ顔を向けると三発目を放った。それは口の部分を狙ったが外れてしまったのか、もしくはわざと描かれていない「鼻」を加えようとしたのか、マークの目と口の間に撃ち込まれた。四発目の弾が撃たれたとき、Johnが耳に指を突っ込みながら階段を駆け上がってきた。踊り場に立ち止まると手を下ろして同居人に怒鳴った。

JW: 何やってんだよ?

SH: (不機嫌に)退屈。

JW: (呆気にとられて目を細めながらSherlockを見て)何だって?

SH: (大声で)退屈なんだよ!

そう叫んでSherlockは椅子から跳ね起きた。Johnは慌てて手で耳を塞いだ。

JW: やめろ…

Sherlockはピストルを右手に持ち替えるとスマイルの描かれた壁の方を向いて再び発砲した。今度は右腕を背中に回し、少し身体を右へひねるとそのまま壁へ向けて弾を放った。

SH: (怒りながら)退屈だ!退屈だ!

Johnは部屋に駆け込み、スマイル・マークをにらみつけるSherlockの手からピストルを奪った。Johnがピストルから弾を抜いてしまうとSherlockはソファへと歩み寄った。

SH: なぜ犯罪に手を染めるのか知らないが、僕がそのひとりでなくて良かったな。(※)

ダイニング・テーブルの上にある小さな金庫へピストルをしまい、Johnは起き上がった。

JW: そんで壁に八つ当たりしてるのか。

SH: (スマイル・マークを指でなぞりながら)ああ、壁がそうさせたんだ。

壁から目を背けると仰向けにソファへと寝転がったSherlockは頭をクッションに載せ、窓の側にある肘掛け部分へ足を突っ込んだ。

JW: (上着を脱ぎながら)ロシアの事件はどうなったんだ?

Sherlockは足で肘掛け部分を押して身体の位置を頭の方へ少しずらしたが、そのまま踵で肘掛け部分をこねていた。

SH: ベラルーシ。開けてみれば家庭内の殺人。僕がやる価値などない。

JW: (皮肉を込めて)ああ、恥知らずだな(!)。

キッチンへ入っていったJohnはテーブルの上の散らかり様を見て肩を落とした。冷蔵庫へ視線を向ける。

JW: 何かあったっけ?腹が減ったよ。

そう言いながら冷蔵庫を開けてみた。

JW: うわ…

Johnはすぐに冷蔵庫を閉じてしまった。自分が何を見たのか信じられない様子でうなだれながらドアへと倒れ込んだが、再び顔を上げて冷蔵庫を開けてみた。中には男の生首が置かれていた。Johnはそれを数秒間見つめ、そっとドアを閉じた。

JW: 生首だ。

Sherlockの方へ振り返って叫んだ。

JW: 切断された生首が!

SH: お茶でいいよ、ありがとう。

JW: (リビングへ戻りながら)いや、冷蔵庫に生首があるんだってば。

SH: (落ち着いて)うん。

JW: 血まみれの生首なんか!

SH: (反抗的な態度で)だって、他に置くとこなんかないだろ?

ようやくJohnへと顔を向けた。

SH: 別に構わないだろ?

Johnは絶望的な気持ちで冷蔵庫の方へ振り返った。

SH: Barts(病院)のモルグから持ってきた。

Johnは片手で顔を覆った。

SH: 死亡後の唾液の凝固を測定するんだよ。

するとSherlockはそばに置いてあるラップトップの方を漠然と手で示した。

SH: タクシー運転手の件について君が書いたのを見た。

JW: (最後の一瞥を冷蔵庫へ向けて)ああ、そうか。

JohnはSherlockの肘掛け椅子に歩み寄って腰を下ろした。

SH: 「ピンク色の研究」。いいね(!)。

JW: ああ、だって、ピンクの服の女、ピンクのスーツケース、ピンクの携帯電話-ピンクだらけだったからさ。気に入ってくれた?

Johnが話しているにもかかわらずSherlockはコーヒーテーブルから雑誌を取り、それをめくりながら返事をした。表紙には「失われたフェルメール」とある。

SH: えー、いいや。

JW: 何でだよ?喜ぶかと思ったのに。

SH: (雑誌を下ろしてJohnをにらみながら)喜ぶ?(人差し指を上げ、Johnのブログの一部を暗唱する)『Sherlockはあらゆる人やすべてのものについて一瞬の内に見抜いてしまう。信じられないことだ、だけどある種のことには驚くほど無知だ』。

JW: なあ、ちょっと待ってくれ。僕はそんなつもりで…

SH: (遮って)へえ、良い意味で『驚くほど無知』だって言ったのか(!)。そうさ、首相が誰かなんて僕には関係ない…

JW: (おとなしく)そうだな…

SH: …誰が誰と寝てるだとか…

JW: (小声で)地球が太陽の周りを回っていることなんかも…

SH: もうそれを言うな。そんなの大したことじゃない。

JW: 大したことじゃない、って…

JohnはSherlockの方へ向かって座り直した。

JW: 小学校で習うじゃないか。知らないなんてことがあるか?

SH: (手の平の根元部分を両目に押しつけながら)まあ、もしそうだとすれば、消去したんだな。

JW: 『消去した』?

SH: (脚を振り上げて床に下ろし、Johnへ向かって座り直して)いいか。(人差し指で自分の頭を指して)これは僕のハードディスク(※記憶装置)だ、役に立つものだけを入れておく為にあるんだ、本当に役に立つものを、な。

言葉を続ける前にSherlockはしかめっ面をした。

SH: 一般人は頭の中を無駄なものでいっぱいにしている、だから何が重要か把握するのが困難になっている。わかるか?

Johnは彼を見ながら唇を噛んだが、疑問を拭い去ることが出来なかった。

JW: でも太陽系だぞ!

Sherlockは両手で少し頭を抱えた。

SH: だから何だ!何になるっていうんだよ?!

SherlockはイライラしながらJohnを見た。

SH: 太陽の周りを回ってるんだな(round the Sun)!もしそれが月の周りだとか(round the Moon)、「クマさんみたいにお庭をぐるぐる(round and round the garden like a teddy bear)」(※)だったとしても、何の違いもないね。僕にとって大事なのは仕事だ。「それ」無しでは僕の脳みそは腐ってしまう。

両手で髪をかき乱すとSherlockはJohnをにらんだ。

SH: ブログに書くのは「それ」だけにしろ。せめて君の『持論』を世界にばら撒くのはやめてくれ。

不機嫌にそう言って雑誌をコーヒーテーブルに投げ捨てるとSherlockはJohnに背を向けて再びソファに寝転がり、ガウンの裾を手繰り寄せながら膝を抱えてボールのように丸まった。Johnは視線を外して口を尖らせた。下の階でドアが開き、閉じる音がした。Johnは立ち上がってリビングのドアへ向かう。

SH: (肩越しにJohnを見て)どこへ行く?

JW: (キツい口調で)外。空気を吸いに。

そう言ってJohnが階段へ向かうとHudson夫人が上に上がってきた。

JW: すいません、Hudsonさん…

MrsH: あら、ごめんなさい!

JW: すいません。

Sherlockは再び怒りながら顔を背け、ソファのクッションを頭の下へ置いてより小さく身体を丸めた。Hudson夫人はすれ違うときにJohnへ笑いかけたが、階段を下りていく彼を心配そうに見つめ、リビングへ行きドアをノックした。

MrsH: あらあら!

Sherlockは脚を伸ばしてHudson夫人がいることを確認する程度に顔を向けたが、また壁の方を向いてしまった。Hudson夫人は買い物袋をキッチンへと運び込んだ。

MrsH: あなたたちケンカでもしたの?

脚を振り上げてSherlockがソファの上に立ち上がり、最短ルートであるコーヒーテーブルの上を歩いて左手にある窓へ向かうと、下の階のドアが開き、閉じられた。

MrsH: ああ、外は凍えるくらい寒いわよ。もっと厚着するように言えば良かったわ。

SherlockはJohnが道を渡って家から離れていく様子を窓から見下ろしていた。

SH: 見ろよ、Hudsonさん。(通りを見渡して)静かで、穏やかで、平和。(しかめっ面をして長い溜め息をこぼした)忌々しいよな?

Hudson夫人は買ってきた物をいくつか買い物袋から出し、Sherlockにレシートを振って見せてからキッチンのテーブルの上に置いた。

MrsH: あら、きっとまた何か起こるわよ、Sherlock。あなたが元気になるような-すてきな殺人事件。

そう言って少し笑うとHudson夫人は買い物袋を持ってリビングへやって来た。

SH: (沈んだ声で)そんなすぐには来ないさ。

MrsH: (立ち止まり、傷つけられた壁を指して)ちょっと。あなた、わたしの大事な壁に何をしたの?!

Sherlockはニヤリとして自分の作品の方へ振り返った。

MrsH: (怒りながら)ここはただ貸してるだけなんですからね、あなたってば!

Hudson夫人は怒って下へ行ってしまった。Sherlockは部屋の中程でダイニング・テーブルの前に立ち、壁のスマイル・マークに大げさに微笑んで見せた。溜め息をついて正面を向いた瞬間、背後にある外の通りで巨大な爆発が起こった。窓が割れ、爆風が部屋に吹き込んでSherlockを床へ押し倒す。画面は暗くなり、彼のうめき声だけが聞こえてきた…

 

 

…そしてそのうめき声はJohnのものへ変わっていった。221Bを出た翌朝、彼はSarah Sawyerの家のリビングで目を覚ました。ボタンを外したシャツ姿でソファに座っている。どうやらそこで眠ったようで、顔をしかめながら首の凝りを治そうとしていた。ドレッシング・ガウンを着たSarahが部屋に入ってきた。

SS: おはよう!

JW: ああ、お…(Sarahの方へ顔を向けたが、首が痛んで顔をしかめながら手を当てた)おはよう。

SS: ほらね?ライロー(※)を使った方がいいって言ったでしょ。 (※海浜で用いる空気でふくらませるマットレス)

JW: (首をさすりながら)いや、いや、いや、だいじょうぶ。よく眠れた。ほんと助かったよ。

SarahはJohnが話している間ソファを見渡し、何かを探していた。そしてJohnの背後にテレビのリモコンを見つけると手を伸ばしてそれを取り、ソファの肘掛け部分に座ってテレビを点けた。

SS: まあ、今度はベッドの端っこになら寝かせてあげてもいいかな。

そう言いながらJohnを思わせぶりに見て、またテレビの画面へ視線を戻した。

JW: (TVを見ながら)アレの後はどうなのかな?

Sarahは彼を見て少しニヤリとした。Johnも彼女の方を見たが、目は合わせなかった。

TVアナウンサー: 専門家らは世紀の発見であると認めています。

ニュース番組はHickman Art Galleryの写真を映し出し、画面の下には“The Lost Vermeer”(失われたフェルメール)というヘッドラインが添えられていた。

TVアナウンサー: 最後に…

SS: (リモコンを置いて)ねえ、朝ご飯食べる?

JW: そうだね。

SS: そう、でも自分でやってもらった方がいいかも、わたしシャワーを浴びなくちゃいけないし!

TVアナウンサー: 2000万ポンド(※約30億円)以上の高値で取引されました…

生意気そうな笑みを見せてSarahは部屋を出ていった。Johnは静かに笑ってシャツのボタンを留め始める。

TVアナウンサー: 今回の品は更に良いものであると期待されています。トップニュースに戻りましょう。ロンドンの中心で巨大な爆発事故がありました。

爆発現場が映し出されるとJohnの顔色が変わった。敷石が散乱する道路、人々が入れないよう警戒線を張っている警察官たちの様子が生中継されている。画面の下のヘッドラインは “House destroyed on Baker St”(ベイカーストリートで家が爆破)。

TVアナウンサー: 死傷者の情報はまだ入ってきていません。警察はテロとの関係性について、まだコメントできないとしています。

既に立ち上がっていたJohnは急いでソファを離れて上着を取ると、ドアへ向かって呼びかけた。

JW: Sarah!

そして立ち止まって再びTVへ目を向ける。

TVアナウンサー: 警察は親族や知人らへ向けて緊急連絡用の電話番号を発行し…

JW: Sarah!

Sarahの返事を待たずにJohnは玄関へと向かった。

JW: ごめん-急いで行かないと。

 

※退屈したSherlockが銃を乱射し壁に穴を開ける

…原作「マスグレーヴ家の儀式」から。「ホームズが妙な気まぐれを起こした時、肘掛け椅子に座ったまま、引き金に軽く触れれば発射する銃を使って反対側の壁に弾痕で愛国心あふれるV. R.の文字を飾った」 V. R. はVictoria Regina、ビクトリア女王のこと。

 

※「僕が犯罪者でなくて良かったな」

…原作「ブルースパーティントン設計書」、事件がなく退屈していたHolmesの言葉。-「僕が犯罪者でないのはこの社会にとっては幸いだな」

 

※「クマさんみたいにお庭をぐるぐる」

…幼児向けの手遊び歌“Round and Round the Garden”にRound and round the garden like a teddy bearという歌詞がある。

 

※太陽系について知らず、必要なことだけを記憶するべきだと語るSherlock

…原作「緋色の研究」から。「僕は人間の頭脳は元々小さな空の屋根裏部屋のようなものだと見なしている。そこに人は自分が選んだ家具を備え付けなければならない。手当たり次第に、あらゆる種類のがらくたを片っ端から詰め込む人間は馬鹿者だ。…(略)…腕のいい職人は、脳の屋根裏部屋に何を持ち込むかについて非常に慎重だ。彼は仕事に役立つ可能性がある道具のみを持ち込むが、その品揃えは非常に豊富で、全体をほとんど完璧な順序に並べている。…(略)…使い道の無い事実によって有用な事実が押し出されないようにするのが何よりも重要になるのだ」「君は地球が太陽の周りを回ると言った。もし地球が月の周りを回っても、それは僕にも僕の仕事にも何の違いもないだろう」