死を呼ぶ暗号 9
朝。221B。Johnはキッチンでテーブルに向かって座り、その横でSherlockが立ったままティーポットのお茶をJohnのマグへ注いでいた。
JW: ありがと。
Johnは解読されたメッセージを眺めていた。
JW: “Nine mill”…
SH: (自分のマグにお茶を注ぎながら)“Million”。
JW: Million、そう、 “Nine million for jade pin. Dragon den, black Tramway”。
SH: ロンドンにいる手下たちへの指令だ。
JW: うーん。
SH: 内容は『奴らが取り戻そうとしているもの』だ。
JW: 何だよ、翡翠のピン、か?
SH: 900万ポンドの価値がある。それを路線電車の線路に持って来い。ロンドンの隠れ場に。
JW: おい、900万ポンドの価値があるヘアピンだって?
SH: らしいな。
JW: どうしてそんな?
SH: 持ち主に関係がある。
SHAD SANDERSON銀行。SherlockとJohnはエントランスへと向かっていた。
SH: ロンドンを拠点にしていた二人の手下。奴らはあの壷を持ち出すために大連へ渡る。ひとりが勝手にある物を盗んだ、小さなヘアピンを。
JW: 900万ポンドの。
SH: 犯人はEddie Van Coon。奴が中国に行ったときに財宝を盗んだんだ。
JW: どうしてLukisじゃなくてVan Coonだってわかる?殺し屋でさえ知らなかったっていうのに。
SH: (回転ドアを通りながら)石鹸でわかった。
そう言ってSherlockはニヤリとした。Johnは訳が分からず呆然と立ち止まったが、やがて後について銀行へ入っていった。
Van Coonの秘書、Amandaは机に向かって座っていた。机の上に置いてあるハンドクリームのポンプからクリームを出して手に塗りこんでいる。電話が鳴り、手に取って応対をした。
Amanda: Amandaです。
Sherlockの声(電話越し): 君は彼からプレゼントをもらった。
Amanda: ああ、どうも。
Sherlockの声(電話越し): ちょっとしたもの、中国から戻ったときに。
Amanda: どうしてそれを?
Sherlock: (背後から現れて)君はただの秘書じゃなかった、だろう?
Amandaが驚いて振り返ると、Sherlockが携帯電話の通話を切ってポケットにしまいながら、彼女の机に歩み寄ってきた。
Amanda: (自分の電話を切って置きながら)誰かが噂をしてるのね。
SH: 違う。
Amanda: それじゃわたしには。どうして…
SH: (割り込んで)彼の部屋に高級そうなハンドソープがあった。
-SherlockがVan Coonの浴室を覗き込んだときに、棚に“LUXURY HAND WASH”と書かれたハンドソープのポンプ式ボトルが置いてあるのを目にしていた。
SH: 300ミリリットル入りの。もう無くなりそうだった。
Amanda: (困惑して眉をひそめながら)それが何か…
SH: Eddie Van Coonが自分でハンドソープを買うような輩には思えなくてね-部屋を訪れる女性がいるなら別だが。そして君の机にあるハンドクリームは同じブランドだ。
Amandaは少しの間、気まずそうにうつむいた。
Amanda: でも、そんなに深い関係ってわけじゃなかったんです。すぐに終わりました。続くわけないんです-上司なんですから。
SH: 何があったんだ?どうして別れることになった?
Amanda: (悲しそうに)わたしはそんなに大事にされてないと思ったんです。当然のことのように扱って。終いには約束をすっぽかしたんですよ-週末に出掛けるはずだったのに、あの人ったら急に中国へ飛んで行ってしまって。
SH: それで彼は君に謝りたくて中国でプレゼントを買った。
するとSherlockの視線はAmandaの髪に留められている小さな翡翠のヘアピンへ向けられた。
SH: それを…ちょっと見せてもらえるかな?
そう言ってSherlockは手を差し出した。
Sebastianのオフィス。Sebastianは20,000ポンド(※およそ370万円)の小切手へサインしている。机の向こうに立つJohnを見上げて問いかけた。
SW: 犯人は本当にバルコニーを登ってきたのか?
JW: 窓に板でも打ち付けておくんですな。そうすれば心配要りません。
イライラした様子でSebastianはJohnへ小切手の入った封筒を渡した。
JW: どうも。
Amandaは髪を手で押さえながらヘアピンを取った。
Amanda: 市場で買ったと言ってましたけど。
そしてピンをSherlockの手の平に置いた。
SH: ああ、それは真実じゃないと思うよ。勝手に持ち出したんだろう。
Amanda: (悲しげに笑って)そうね、Eddieらしいわ。
SH: どれほどの価値があるかも知らずに。ただ君に似合うと思ったんだ。
Amanda: あら、そんなに高価なものなんですか?
Sherlockはニヤリとした。
SH: (ゆっくりと)900…万…ポンド。
Amandaは大いに驚いた。
Amanda: なんですって!
Amandaは驚きのあまりよろめいて後退りした。Sherlockはニヤニヤしている。
Amanda: うそでしょ…
彼女はそのまま駆け出していった。
Amanda: (ヒステリックに甲高い声で)900万!
Sebastianのオフィスでその声を聞いたJohnは後ろへ振り返ったが、再びSebastianへうなずいて見せると部屋を去っていった。
翌朝(もしくはそのまた翌日か)。Sherlockはドレッシング・ガウンを羽織ってダイニングテーブルに向かって座り、Johnもその向かいに腰掛けている。SherlockはSunday Expressのトップ記事を見ていた-見出しは“Who wants to be a million-hair(ミリオン・ヘアになりたい)”。その新聞を半分に畳んでテーブルに置くとまた別の新聞を手に取った。
JW: 一千年以上前の物が毎晩ベッド・サイドに置かれてたんだな。
SH: 奴は価値を知らなかった、何で追われているのかわかってなかったんだ。
JW: ふむ。招き猫にしとけば良かったのにな。
Sherlockはちょっと笑って視線を外した。
SH: ふむ。
遠くを見つめるSherlockを見てJohnは前へ近寄った。
JW: まだ何か気になってるんだろ?
SH: (Johnの方を見て)え?
JW: あの女が逃げてったこと-Shan総裁。二人の手下を奪っただけじゃ十分じゃない。
SH: 広大なネットワークのはずだ、John、数千もの手下がいる。君と僕はその表面に辛うじて傷を付けたに過ぎない。
JW: でも君は暗号を解いたじゃないか、Sherlock、それにDimmockだって奴らを追い詰められるだろうし、彼だってわかってるさ。
SH: いや、いや。あの暗号は僕に解かれてしまったんだから、あいつらは違う本を使うはずだ。
Sherlockは新聞を広げて読み始めた。Johnは窓の外へ目を向けると眉をひそめ、外に立っている男に注目した。フード付きの上着を来てキャップを被った若い男が道を渡り、向かい側に設置されている黒い箱型のパーキング・メーターへ歩み寄った。地面へバッグを置くと誰かに見られていないか気にするように辺りを窺い、バッグからスプレーを取り出してパーキング・メーターの背面にタグを描いた。Johnは“アーティスト”が作業が終え、バッグを持って足早に立ち去るのを眺めていた。Sherlockはそれに気付かず新聞を読み耽っている。Johnが考え込んでいると、パトカーがサイレンを鳴らしながら通り過ぎていった。
ある部屋でShanは机に向かって座り、コンピューターの画面越しに誰かと話をしている。彼女の様子はリアルタイムの動画で相手に届けられているようだが、画面上に表示されるべき相手の顔は “No image available”(画像なし)の状態だった。画面には文字が表示される枠があり、彼女が話している相手はただ『M』という名前で示されていた。Shanの話す声はかなり震えている。
Shan: あなた様無しでは-あなた様のお助けが無ければ-私達はロンドンまでやって来ることはできませんでした。あなた様のおかげでございます。
話し相手の返事は文字となって画面に表示された。
M: GRATITUDE IS MEANINGLESS [感謝など無意味だ]
M: IT IS ONLY THE EXPECTATION OF FURTHER FAVOURS [それは更なる厚意への期待でしかない]
メッセージの送信が終わったことを示す音が鳴った。
Shan: 予想外のことだったのです…あの男がやって来るとは、Sherlock Holmesが。
Shanの表情に苦悩が表れていた。
Shan: あなた様の身にも危険が及ぶかと。
コンピューターは再び音を立てて新たなメッセージを表示した。
M: THEY CANNOT TRACE THIS BACK TO ME [彼らがこれを元に私を突き止めることはできない]
送信完了の音が鳴る。
Shan: (心から)あなた様の身元を誰にも明かしません。
コンピューターの音と共にメッセージ。
M: I AM CERTAIN. [そうだろうね。]
コンピューターの音が鳴った。Shanには見えていないがライフルの照準を合わせるための赤いレーザー・ポイントの光が彼女の額に現れた。画面は黒くなり何も見えなくなった。窓の向こうからターゲットに向けて放たれた一発の弾丸の銃声。