タクシーに乗って二人が向かったのはあるマンションだった。マンションの外の入り口でSherlockは‘Van Coon’の表示がある呼び出しボタンを押し、その上部に設置されている監視カメラを見ながら数秒待った。返答がないので再びボタンを押してみたがやはり誰も応じない。

JW: さてどうする。ここに座ってそいつが帰ってくるのを待つか?

Sherlockは壁に設置された呼び出しボタンの並びを眺めると後ろへ下がって建物の様子を観察し出した。中の構造を推測しているらしい。そして先程の位置に戻るとJohnに勝ち誇った態度で言った。

SH: 越してきたばかりだ。

JW: は?

SH: 上の階。札が新しい。

Sherlockが示した部屋の札には手書きで‘Wintle’と書いてあった。

JW: たまたま替えたばかりなのかも。

しかしSherlockは構わずその部屋の呼び出しボタンを押しながら答えた。

SH: そんなことをする奴はいない。

するとインターホンから女性の声が聞こえた。

MS WINTLE: はい?

Sherlockはカメラへ顔を向けると『私は無害な人間です』という印象を与えるべく笑顔を浮かべて明るい声で話しかけた。

SH: どうも!あの、下に越してきた者なんですけど、ええと、お会いするのは初めてですよね?

そう言うとSherlockは再びカメラに向けて愛想良く微笑んだ。

MS WINTLE: いえ、ああ、そうね、ウチも越してきたばかりだから。

それを聞くとSherlockは一瞬Johnの方へ振り返り「言っただろ?」という視線を投げてから再びカメラへ向き直った。

SH: 実は鍵を部屋に忘れてしまったみたいで。

そこでSherlockはとても困っている表情を浮かべ、唇を噛んだ。

MS WINTLE: それでわたしのところへ?

SH: ええ。バルコニーをお借りしていいですか?

MS WINTLE: え?

 

 

間もなくしてSherlockはWintle家の部屋にあるバルコニーに立っていた。下を見下ろしてみると幸いなことに彼がいるバルコニーは部屋の幅の途中までしかなかったが、下にあるVan Coon氏の部屋はフルサイズのバルコニーを有していた。Sherlockはバルコニーによじ登るとそこから下の階へ飛び降りた。再び端から下を眺め、中へ通じるドアのハンドルへ手を伸ばすと鍵は掛けられていなかった-これで鬱陶しい警察の手を借りずに済みそうだ。中へ入ってみるとそこは上品に整えられた部屋で住人が裕福であることを裏付けた。白い革張りのソファと艶光りする黒いテーブルがあり、テーブルの上は少し散らかっている。Sherlockは奥へと進みながら部屋のあらゆるものを観察し、テーブルの上に置かれた数冊の本を一瞥した。キッチンへ入り作業台の状態を見てから冷蔵庫を開けてみると中にはシャンパンのボトルが数本あるのみだった。そこで玄関のベルが鳴った。

JW: (ドアの向こうから)Sherlock。

Sherlockは玄関の方へと向かった。

JW: (外から)Sherlock、だいじょうぶか?

しかしSherlockはそれを無視して浴室へ行き、ドアを開けて向かい側にある棚に置かれた物を観察した。ドアを閉めるともうひとつの大きな方のドアへ歩み寄り手を伸ばしたが、それは鍵が掛かっていた。

JW: (外から)はいはい。気が向いたら入れてくれよ。

Sherlockは身体の向きを少しずらすと肩からドアに体当たりして押し入った。中に入ってみるとスーツの上にコートを着た男性がベッドに仰向けになっていて、明らかに死んでいる様子だった。床にはピストルが転がっていて、男性の右のこめかみには小さな弾の跡があった。

 

 

その後、警察が呼ばれ、撮影係がベッドに横たわるVan Coon氏の遺体を写真に収めていた。鑑識係が鏡のそばにある指紋を採取しており、他の場所からも別の鑑識係たちが作業しているらしい声が聞こえた。Sherlockは寝室にいてコートを脱ぎ、ラテックス製の手袋を着けているところだ。Johnも部屋の中にいて彼のそばに立っている。

JW: 多額の負債でも抱えてたとか?シティの男が自殺するなんて割とよくあることだろ。

SH: 自殺かどうかはまだわからない。

JW: おい、ドアは内側から鍵が掛かってたんだぞ、君だってバルコニーから入らなきゃならなかったじゃないか。

Sherlockはベッドのそばで床に置かれているスーツケースに屈み込み、それを開いて中身を調べていた。

SH: 洗濯物の状態からして三日は経ってるな。

ケースの中の衣類にある深いくぼみを見るとSherlockは立ち上がってJohnに顔を向けた。

SH: これを見ろ。中に何かが詰め込まれていたんだ。

JW: そうか-検討してやってもいいけど。

SH: なんだよ?

JW: ああ、他人の汚れた下着を探し回るなんて僕は御免だね。

SH: (ベッドの足元の方へ進みながら)銀行にあったあの記号-グラフィティ。何であそこに残したんだろう?

JW: え、何かの暗号だと?

SH: 間違いない。

Sherlockはそう言いながらVan Coon氏の脚、もしくは靴かもしれないが、それらをじっくり観察すると今度は遺体の上体へ移動し、胸ポケットを探るため慎重にジャケットを広げた。

SH: なぜペンキで描いた?もしコンタクトを取りたいなら、なぜe-mailを使わない?

JW: うーん、応じてもらえないかもしれなかった。

SH: よし、いいぞ。続けて。

JW: 無理だね。

Johnを一瞥してからSherlockはVan Coon氏の手を調べ始めた。

SH: 人が避けたくなるようなメッセージとはどんなものかな?

Johnは困惑して顔をしかめた。

SH: 今朝の君はどうだった-見ていた手紙はどんなものだった?

JW: 請求書。

するとSherlockはおもむろにVan Coon氏の口を開けると中から黒い紙で折られた花を取り出した。遺体の肺から空気がシュッと音を立てて漏れた。

SH: そう。彼は脅迫されていたんだ。

男性の声: (寝室の外から)…確保しておけ、それから…

JW: (Sherlockが証拠品用の袋に入れる折り紙の花を間近に見ながら)ガス会社からじゃないよな。

男性の声: …それからこのグラスから指紋が取れるか確認しろ。

声の主は若い感じの平服の警官で、彼も寝室に入ってきた。Sherlockはそちらへ振り返り彼に歩み寄る。

SH: ああ、巡査部長。初めてお目にかかる。

そう言って握手をしようと手を差し出したが、相手は手を腰の方へ引っ込めてしまった。

男性: ああ、君のことはよく知ってる、証拠がいじくり回されてないといいんだが。

Sherlockは空いてしまった手を下げて代わりに先程の証拠品入れを男性へ渡すと、いつもの生意気な態度を見せ出した。

SH: Lestradeに連絡しておいたのに。向かっているところなのか?

男性: 手が塞がっているそうだ。僕が担当する。それから巡査部長じゃなくて、警部。Dimmockだ。

それにはSherlockも意表を突かれたようで、Johnの方へ振り返り、驚いた表情をして見せた。Dimmockはそれに構わず部屋を後にする。二人も続いてリビングへ行くと、DimmockはSherlockから受け取った証拠品を鑑識へ渡した。

Dimmock: 自殺と見て間違いないようだな。

JW: すべての状況を鑑みて唯一納得のいく解釈はそれだな。

Sherlockは手袋を外し、Johnへ言った。

SH: 違う。一部の状況からはそういった解釈も可能というだけだ。

それから今度はDimmockへ向けて続けた。

SH: 君には君が好むやり方がある、しかしそれに適合しないと判断したものは無視することにしているようだな。

Dimmock: 例えば?

SH: 弾の痕は頭の右側にあった。

Dimmock: それで?

SH: Van Coonは左利きだ。

そしてSherlockは少し苦心しながら左手で右のこめかみを指してみるパントマイムを演じてみせた。

SH: 結構[身体を]ひねることを要求される。

Dimmock: 左利きだと?

SH: (嘲笑するように)おや、それに気づかなかったとは驚きだな。君がやるべきなのはこの部屋を観察することだね。

そう言ってソファのそばにあるテーブルを示す。

SH: コーヒー・テーブルが左手側にある、マグカップの取っ手も左側。コンセント、いつも左側のが使われている…

壁に設置されているコンセントを見ると左右の内の左側のソケットだけにプラグが挿してあった。

SH: ペンと紙が電話の左側にある、右から取り出して左手でメッセージを書くからだ。まだ続けてほしいか?

JW: (うんざりして)いや、もう十分だ。

SH: おや、これくらいじゃまだ、リストのほんの入り口なんだけどな。

Johnは「ああ、そんなことだろうと思ったよ」とでも言うかのようにうなずいた。

SH: (キッチンの方を指して)ブレッドボード(※パンを切るまな板)にはバターと一緒にナイフがあり、刃を右側にして置かれている、左手で使ったからだ。

そしてイライラしたような表情をDimmockへ向けた。

SH: 左利きの人間が自分の頭の右側を銃で撃つなんてめったにあり得ないことなんだよ。結論:何者かがここに侵入し彼を殺害した。すべての状況を鑑みて唯一納得のいく解釈。

Dimmock: でも銃は、なぜ…

SH: (遮って)殺し屋が来るのを予期していた。脅迫されていたんだ。

するとSherlockはその場を離れるらしく、マフラーやコート、手袋を身につけ始めた。

Dimmock: はあ?

JW: 今日、銀行でね。警告めいたものが。

SH: 侵入者がやってきたとき彼は銃を発射した。

Dimmock: 弾はどこに?

SH: 開いていた窓から外へ。

Dimmock: おい、待てよ!どうしてそんなことがわかる?!

SH: 鑑識から銃についての報告を待つんだな。脳の内部にある弾は彼の銃から発射されたものではない。保証するよ。

Dimmock: でも中から鍵が掛けられていたのに、犯人はどうやって侵入したんだ?

SH: (手袋をしながらわざとらしく慇懃に)いいね!やっと相応しい質問が見つかったようだな。

しかし質問には答えずそのままSherlockは部屋を出て行ってしまった。JohnはDimmockの方を見やってすまなそうに相棒が出て行った方向を指すと、後へ続いて出て行った。

 

 

あるレストラン。Sebastianはクライアントもしくは同僚たちとランチを摂っていた。

SW: (笑いながら)…それでそいつは残って、フォークで髪を切ろうとしてるみたいなんですよ、そんなこと出来っこないのに!

そこへSherlockがJohnとやって来てテーブルへ歩み寄った。

SH: 脅迫だ。あのグラフィティはそういう意味だったんだ。

SW: ミーティング中なんだ。秘書に言ってアポを取ってくれないか?

SH: そんな猶予があるとは思えないな。気の毒だが、Sebastian。君のとこのトレーダーのひとり-君の会社で働いている人物-が殺された。

SW: 何だって?

JW: Van Coonさんが。彼の家に警察が行ってます。

SW: (ショックを受けて)殺された?

SH: (皮肉を込めて)お食事中に失礼致しました。やはりアポイントメントを取った方がよろしいでしょうか?スコットランド・ヤードに九時でご都合はいかがでしょう?

Sebastianは水の入ったグラスを置き、緊張した面持ちでシャツの襟の首元へ指を走らせた。

 

 

しばらくして、Sebastianと二人はレストランのトイレへと場所を移していた。Sebastianは手を洗っている。

SW: ハローからオックスフォード卒。(※)非常に優秀な奴だ。しばらくアジアで勤務した経験があったから…

JW: 香港の担当者にしたんですね。

SW: (タオルで手を拭きながら)ある朝500万失ったとしたら、翌週には全部取り戻す。腰が座ってる、Eddieはそんな奴だった。

JW: 殺されるような心当たりは?

SW: 我々にはみんな敵がいる。

JW: だからってみんながみんな銃で頭を撃ったりはしないでしょう。

するとそこでSebastianの携帯がメールを受信したという音を鳴らした。

SW: 普通はね。失礼。

そして電話を取り出してメールの内容を確認した。

SW: 頭取からだ。警察が来たって。自殺だって言われたみたいだぞ。

SH: ああ、奴らは取り違えてるんだ、Sebastian。殺されたんだよ。

SW: うーん、でも警察はそうは思ってないんだろ。

SH: (断固として)Seb。

SW: …それからうちのボスも。僕は仕事として依頼したんだ。道を誤るな。

そう言ってSebastianは出て行った。Johnはそれを待ってからSherlockの方へ向かって言った。

JW: 思ってた通り、銀行員ってのはみんな冷血野郎だな(!)

 

※ハロー校(Harrow School)

…英国の伝統的な全寮制パブリックスクール(男子校)。卒業生はオックスフォード大学、ケンブリッジ大学などに進学するという屈指の名門校。また、Sherlock役のBenedict Cumberbatchもこの学校を出ている。

 

 

アールズ・コート(※)。 夜。40代前半、禿頭の太った男が、片手にハードカバーの本を握り締めて死に物狂いで道を走っていた。走りながら何度も後ろを振り返る。家の玄関に着くともどかしげに鍵を探り、ようやくドアを開けた。階段を駆け上がり自分の部屋の鍵を開けると中へ急いで入り、音を立ててドアを締めて鍵を掛けた。部屋への階段へ小走りで駆け寄るとあちこちに積んである本の山へ持っていた本を投げ出し、リビングへ逃げ込んだ。荒らされた様子の部屋の中程で立ち止まり辺りを見回す。そしてゆっくりと振り返ると何かを目の当たりにして、彼の汗びっしょりの顔が恐怖で満たされていった。

 

※アールズ・コート(Earls Court)

…ロンドンのケンジントン・アンド・チェルシー王立特別区に属する地区。チャリング・クロスの南西3.1マイルほどの地域

 

 

国立歴史博物館。作業台に向かって座りながら古い茶壷を磨いているAndyの元へ館長が歩み寄っていった。

館長: Crispian(※)を確認してほしいんだけど。

館長はカタログを彼に見せた。

館長: 明朝の壷が二つオークションに出てるのよ-成化帝の。鑑定できる?

AG: ええと、でも、Soo Linの方が。彼女は専門だから。

館長: Soo Linは辞めたの。だからあなたに。

館長が去っていくとAndyは振り返って、後ろにあるSoo Linの席を悲しげに眺めた。

 

※Crispian

…オーストラリアにある美術品を扱うオークション・ハウス“Crispin”をモデルにしているのだろう。

 

 

その後、AndyはSoo Linの部屋がある建物の外で立っていた。彼女の部屋のドアベルの札には手書きで彼女の名前、Soo Lin Yaoと書いてあり、“i”のドットの部分が花になっていて、右の角にもいくつか花が散りばめて描かれていた。Andyはドアベルを押して数歩後ろへ下がり、一階の部屋の窓を眺めた。そこは“The Lucky Cat(招き猫)”という名の店でロンドンの中華街に位置していることは明らかだった。応答がないのでAndyはポケットを探って封筒とペンを取り出し、封筒へ走り書きをすると郵便受けにそれを押し込んで立ち去った。

 

 

ある病院の診察室。女医のSarah Sawyer(以下セリフ: SS)がJohnの履歴書に目を通している。彼女は顔を上げて向かいに腰掛けているJohnを見た。

SS: 今は臨時でしか。

JW: ええ、結構ですよ。

SS: でもあなたは、その…もっとちゃんとした資格をお持ちなのに。

JW: (微笑んで)まあ、生活のためなら何だってやりますよ。

SS: ええと、うちでは週に二日の休暇を設けていて、ひとりは産休を取ってるの。あなたからしたらちょっと平凡かもしれないけど。

JW: ええと、いや、平凡も時にはいいものですよ。ありふれた仕事もね。

SS: (声を少し低めて)ここにはあなたは軍人だったと書いてありますけど。

JW: 医者でもある。

そう言ってJohnが微笑みかけると、Sarahも微笑みながら再び書類に目を落とした。彼女は既にJohnに好意を抱いているようだった。

SS: 他に何かできることは?

JW: 学生時代にクラリネットを。

SS: あら!(笑い出して)まあ、それは楽しみね!

Johnも一緒に笑った。Sarahは親しみを込めて彼に微笑んだ。

 

 

221B。William頭取の部屋で撮影した記号の写真がプリントアウトされ、暖炉の上にある鏡の周りに何枚も貼り付けてある。Sherlockはダイニング・テーブルに背を向け、ダイニング・チェアのひとつに腰掛けていた。合わせた手の指を顎に当て、心の中に様々な言語を思い浮かべながら写真を眺めている。Johnが階段を上がって部屋に入り、上着を自分の椅子に置いた。

SH: (顔を写真に向けたまま)「ペンを取ってくれ」と言っただろ。

Johnは他の誰かに言っているのかと辺りを見渡した。

JW: え?いつ?

SH: 一時間前くらい。

Johnはあきれてため息をついた。

JW: じゃあ僕が出かけてるのに気付いてなかったのか。

仕方なくJohnはそばにあるテーブルからペンを取って、Sherlockの方を見もしないでぞんざいに投げた。Sherlockはやはり壁の写真から視線を逸らさずに手だけ顎から離してそれを受け取った。Johnは写真を見るために鏡へ歩み寄った。

JW: そうそう、仕事のことであの病院に行ったんだよ。

SH: どうだった?

JW: (ぼんやりしながら)良いね。良い女だよ。

SH: 誰が?

JW: (Sherlockの方を向いて)仕事。

SH: 女って。

JW: …仕事。

Sherlockはわずかの間、訝しげにJohnを見ていたが、やがて頭で右方向を示して言った。

SH: なあ、ちょっと見ろ。

JW: うん?

Johnは机へ進んでパソコンに表示されているWebページを見た。「Online News」のヘッドラインの記事は『幽霊殺人鬼が警察に残したミステリー』と題され、添えられた写真には禿頭の男性が写っていた。

『昨夜ロンドンのアパートに壁をすり抜ける殺人犯が侵入した。アールズコートのBrian Lukis、41歳のフリーランス・ジャーナリストは撃たれた状態でアパートの四階にある自宅から発見された。しかし部屋のドアおよび窓はすべて施錠されており、侵入された形跡はない。警察は犯人がどのように侵入したのか未だ明らかにできていないとしており…』

JW: 壁をすり抜ける殺人犯。

SH: 昨夜起こった。ジャーナリストは自宅で撃たれて死んだ、ドアはロックされていて窓も内側から鍵が掛かっていた-Van Coonの事件とまるっきり同じだ。

JW: (起き上がって同居人を見上げ)そんな。まさか…

SH: 奴はまたひとり殺した。

Sherlockは何かを期待しているように両手を握り合わせながら再び壁の写真を見つめた。

 

 

死を呼ぶ暗号 2