下の階へ下りたSherlockは玄関の扉を開けると少しその場に立ち止まり、コートの中で肩をすくめた。タクシーは道路のへりに停まっていて運転手-Jeff Hope (以下セリフ: JH)は車に無造作に寄りかかって立っていた。40半ばから50歳代くらいの中年男性で、コックニー訛り(※)がある。

JH: タクシーだよ、Sherlock Holmes。

Sherlockは前へ進みながら背後の扉を締めた。

SH: タクシーは呼んでない。

JH: だからって必要ねえとは限らねえ。

SH: あの運転手だな。ノーサンバーランド・ストリートに停まっていた車の。

レストランの外にいる車の後部座席に座っているアメリカ人の男性が前を向いた。運転席ではJeffが後ろの窓を肩越しに眺め、前を向いて車を発進させた。

SH: あんただったんだな、乗客じゃなかった。

JH: わかっただろ?誰もタクシー運転手なんて気に留めやしねえ。まるで目に見えねえみてえにな。頭の後ろってやつだ。殺し好きにはうってつけ。

Sherlockはさらに数歩前へ進み、221Bの窓を見上げた。

SH: これは自白ってことか?

JH: ああ、そうだ。他にも教えてやるよ、もし今あんたがサツを呼んでも、俺は逃げねえよ。静かに座って奴らに捕まるさ、約束する。

SH: なぜ?

JH: だってあんたはそんなことしねえだろ。

SH: そうしないって?

JH: 俺はあの四人を殺しちゃいねえんだ、Holmesさんよ。俺があいつらに話をしたら…自分で勝手に死んだんだ。もし今あんたがサツを連れてくるっていうんなら断言しよう。

Jeffは前へ屈みこんだ。

JH: あんたに言ったことはもう二度と口にしねえよ。

Sherlockは黙って彼を見つめていた。少ししてJeffは起き上がって車の前方へ歩き出した。

SH: もう他に死ぬことはない、もっとも、みんなはそれが結末だとみなすだろうがな。

Jeffは立ち止まってSherlockの方へ振り返った。

JH: そしてあんたはどうやってあいつらが死んだのか知ることはねえんだ。あんたはどんな結末をお望みなんだい?

そしてJeffは再び歩き出して運転席へ向かった。車へ乗り込むとドアを締め、Sherlockを無視するように席に沈み込んだ。Sherlockは唇を噛み締めて再び部屋の窓を見上げながら車へ歩み寄り、開いていた運転席の窓を覗きこんだ。

SH: もし知りたければ、どうすればいい?

JH: (彼を見上げ)ドライブに付き合ってもらおう。

SH: で、僕も殺すのか?

JH: あんたを殺すだなんて、Holmesさん。俺が話をしたら…あんたは自分で死ぬんだよ。

そう言ってJeffは再び前を向いた。Sherlockは起き上がって、どこを見るともなく今置かれている状況について考え込んでいた。Jeffは静かに前を見て座っていたが、後部座席のドアが開かれると満足気に笑みを浮かべた。Sherlockが乗り込むとドアは音を立てて締められた。Jeffはエンジンをかけた。

 

※コックニー(Cockney)

…コックニーとは東ロンドンやそこで生まれ育った人々が話すイギリス英語のひとつ。労働者階級が多く住む地域の下町言葉のようなもの。イギリスでは上流階級の英語として容認発音(Received Pronunciation, RP)が19世紀から広く使われているが、ロンドンの労働者階級の間ではコックニーと呼ばれる言語が使われてきた。違いはいくつもあるが、主な特徴としては“th”を“f”と発音したり、単語の頭の“h”を発音しないことなどが挙げられる。たとえばこの話に出てくるJeffはSherlock HolmesをSherlock 'olmesと発音している。 参考:Cockney ― コックニーというイギリス英語の方言の意味、説明、発音ガイド、ライミング・スラングと例

 

 

家ではJohnが電話を耳にあてながら窓の外を見下ろしていると、タクシーが走り去る音が聞こえた。

JW: あいつタクシーに乗った。

Johnは驚いてLestradeの方へ振り返った。

JW: Sherlockが。タクシーに乗ってどこかに。

Lestradeの横にいたDonovanが腹立たしげに舌打ちをした。

SD: 言ったでしょ、そういう奴なの。

そしてLestradeに言った。

SD: あいつまた姿を消した。

それからキッチンへ戻りながら大声で叫んだ。

SD: また時間を無駄にした!

JW: (Lestradeに)電話をかけてます。呼び出し中です。

 

 

タクシーでは電話が鳴っている。SherlockがJeffの方へ目をやると、ピンク色の電話が-それはJeffの席のすぐそばに置かれていた-音を鳴らし続けていた。

 

 

Lestradeは電話を耳にあてているJohnを見ながら言った。

GL: 呼び出してるなら、ここにはないんだ。

Johnは電話を耳から離してパソコンへ向かった。

JW: もう一回検索してみます。

そこへDonovanが戻ってきてLestradeの前に立ちはだかった。

SD: それが何なんです?関係ありますか?ご存知でしょう、あいつは気違いなんです、いつも邪魔をして、時間を無駄にさせる。わたしたちみんなの。

Lestradeはしばらく彼女を見つめ、Donovanもそれに食い下がった。とうとう彼はため息をついて、みんなに呼びかけた。

GL: わかった、みんな。もういい。

 

 

タクシーでは、Sherlockが通り過ぎるロンドンの町並みを眺めていた。

SH: どうやって僕を見つけた?

JH: ああ、すぐにあんただってわかったよ、俺の車を追いかけてきたときにさ。Sherlock Holmes!あんたには気をつけろってね。あのWebサイトも見たさ。あれはすごい!気に入ったよ!

SH: 誰があんたに警告した?

JH: あんたに注目してる奴がいるんだよ。

SH: 誰が?

Sherlockは前へ屈みこんでJeffの首元へ近寄ると、車のダッシュボードに幼い少年と少女の写真があるのに気付いた。

SH: 誰が僕に注目するって?

JH: (わずかにルームミラーへ目をやって)随分謙虚だな、Holmesさんよ。

SH: 全然そんなんじゃない。

JH: あんたにはファンがいるじゃねえか。

SH: (興味がなさそうに、席へ寄りかかりながら)話せよ、もっと。

JH: それがあんたの知ることになるすべてだ…

わざとらしく少し間を空けた。

JH: (小声で)…生涯の内でな。

 

 

221B。他の警官たちは部屋を後にして、Lestradeもコートを手にしてJohnへ言った。

GL: なんであいつはあんなこと?なんで出かけなきゃならなかったんだ?

JW: (肩をすくめ)あいつのことはあなたの方がよくご存知でしょ。

GL: あいつを知って五年になるが、それでもわからん。

JW: じゃあなんであいつに対して我慢するんです?

GL: そりゃ俺だって必死だからな、それが理由さ。

警部はドアへ向かったが、出ていく前に振り返って付け加えた。

GL: それにSherlock Holmesはすごい奴だから、かな。思うにいつか、俺たちがすごくすごく幸運だったら、良い奴にだってなるかもしれない。

そう言い残して警部は部屋を後にした。

 

 

走り続けていたタクシーはようやく停まった。そこは同じような建物が二つ並んでいる場所だった。Jeffはエンジンを止めて運転席から降りると後部座席に行き、客のためにドアを開けると中を覗いた。

SH: どこなんだ?

JH: ロンドンの道はみんな把握してるんだろ。あんたならどこだかちゃんとわかってるはずだ。

SH: ローランド・カー専門学校。なぜここに?

JH: 中に入れる、清掃員がいるからな。タクシー運転手をやってるとな、殺しにぴったりな人気(ひとけ)のない場所を常に把握しておける。この商売に手を出してない『仲間』がいるなんてな驚きだね。

SH: 獲物は素直についていくか?どうする?

するとJeffはピストルをSherlockに向けた。Sherlockはがっかりして目を回し、顔を背けた。

SH: なんだ、つまらない。

JH: ご心配なく。これからだよ。

SH: 銃を向けながら自殺に追い込むなんて不可能だ。

JH: 違うさ。もっとうまくやるよ。

そしてJeffは銃を下ろした。

JH: あんたには必要ねえな、ついてくるだろ。

そう言うとJeffは自信たっぷりに車を離れた。残されたSherlockは少しの間腹立たしげに顔をしかめて座っていたが、Jeffの予言通りに車を降りて後をついていった。

 

 

221B。部屋にひとりでいたJohnは家に帰ろうと決めたらしく、リビングのドアに向かった。すると杖を手にしていないことに気付き、右手を見下ろして拳を握ったり開いたりした。部屋を見渡すと杖は机の横にある書類入れの上に置いてあったので取りに戻った。SherlockのノートパソコンはまだMephoneのWebサイトを表示したままの状態で、Jennifer Wilsonの電話の位置を探し続けていることを示す時計の針が回っていた。Johnが杖を手にして再びドアへ向かおうとしたところでパソコンが意気揚々と音を鳴らし、地図を表示させると電話の現在位置へズームしていった。繰り返し音を鳴らすのでJohnはテーブルへ戻り、杖を倒れないように置くとパソコンを持って画面を眺めた。するとJohnはパソコンを持ったまま部屋から飛び出し、急いで階段を駆け下りていった。そして彼は再び杖を忘れてしまったのだった。

 

 

ローランド・カー専門学校。Jeffはある部屋のドアを開けてSherlockを通してやった。Sherlockはじっと彼を見たが、おとなしく中に入った。Jeffが手を離すとドアはスイングして閉じた。中に入り壁に歩み寄って照明を点ける。二人がいるのは大きな教室で長い木製の作業台があり、プラスチックの椅子が据え付けられていた。Sherlockは部屋を見渡しながら奥へと進んだ。

JH: さて、何をお考えで?

Sherlockは手を掲げて「考えるって、何を?」と言いたげに肩をすくめた。

JH: あんた次第だよ。ここで死ぬのはあんたなんだから。

SherlockはJeffの方へ振り返った。

SH: いや、死なない。

JH: みんなそう言うよ。

そしてJeffは作業台のひとつを指した。

JH: 話そうか?

返事を待たずにJeffは椅子を引いて腰を掛けた。Sherlockは前にあった台から椅子を取るとJeffと台を挟んで向かい側に座った。そして少し大げさにため息をついた。

SH: ちょっとリスクが高過ぎるんじゃないか?半ダースもの警官が見守る中で連れ出したりするなんて。あいつらだってそんなにバカじゃない。それにHudsonさんだってあんたの顔を憶えてる。

JH: それがリスクだって?いやいや。

そう言うとJeffはカーディガンの左ポケットに手を伸ばした。

JH: リスクってのはこれだよ。

ポケットから取り出したのはねじぶたがある小さなガラスの瓶で、それをテーブルの上に置いた。瓶の中には大きなカプセルがひとつ入っている。Sherlockはそれを眺めたが、特別な反応は示さなかった。

JH: ああ、俺はもったいぶるのが好きでね。何のことだかまだわからねえんだろう、ええ?直にわかるよ。こうするんだ。

今度は右のポケットに手を伸ばすと、同じようなカプセルの入った同じような瓶を取り出して最初に出した瓶の横に置いた。

JH: こんなのは予想してなかったんじゃねえのかい、ええ?

Jeffは前に屈み込んだ。

JH: ああ、あんたもきっと気に入るさ。

SH: 何を?

JH: (姿勢を戻して)Sherlock Holmes。なんてこった!目の前にいるなんてな。お前さんのWebサイトであんたのファンが俺に言ったよ。

SH: 僕のファン?

JH: あんたはすごい。あんたは、まさしく天才だってな。“The Science of Deduction(推理の科学)”。あれこそ頭を使うってことだよ。ここだけの話、なんでみんな頭を使わねえんだろうな?

Jeffは怒りながらうつむいた。

JH: あんたは腹が立たねえのか?なんでみんな頭を使わねえんだろうってさ?

Jeffは顔を上げてSherlockの目を見た。Sherlockはしばらく彼と目を合わせていたが、やがて目を細めて理解を示した。

SH: (皮肉な口調で)ああ、そうか。つまりあんたもまさしく天才だってことか。

JH: そうは見えねえんだろう、ええ?哀れなタクシーの運転手だよ。でもすぐにわかるさ。あんたが生きてる内で最後に知るのはそれだろうよ。

Sherlockはそれでも目を合わせていたが、やがてテーブルへ視線を下げた。

SH: わかったよ、瓶が二つ。続けて。

JH: 良い瓶と悪い瓶がある。良い瓶の薬だったら、生き延びる。悪い瓶の薬だったら、あんたは死ぬ。

SH: もちろん同じような瓶なんだろう。

JH: すべてにおいて。

SH: どっちがどっちかあんたにはわかってる。

JH: そりゃそうさ。

SH: でも僕にはわからない。

JH: じゃなきゃゲームにならねえだろう。あんたは選ぶ側なんだから。

SH: どうして僕が?そんな義務はないだろう。何の利益もないのに?

JH: 肝心なことをまだ言ってなかったな。あんたがどっちを選んでも、俺は残った方をいただくよ-そんで一緒にお薬の時間ってわけだ。

Sherlockはニヤリとした。ようやく興味を持ち始めたようだ。

JH: ズルなんかしねえさ。あんたが選べ。俺は残った方にするよ。

Sherlockは考えを集中させながら瓶を見下ろした。

JH: 予想してなかったんだろ、Holmesさんよ?

SH: これを他のみんなにもやったんだな、選択させる。

JH: そしてあんたにもやってもらう。

Sherlockは顔を上げてJeffを見た。

JH: 時間をやるからよ、落ち着いて考えるこったな。

Jeffは満足気に唇をなめた。

JH: 良い試合にしてくれよ。

SH: 試合じゃない。運試しだ。

JH: 俺は四回もやった。そんで生き延びてる。運試しじゃねえよ、Holmesさん。チェスだ。チェスの試合だ、ひとつ動けば、ひとつは生き残る。そんでこれが…そう…動くってことだ。

そう言うとJeffは左手を伸ばして左側にあった瓶をSherlockの方へ押し出した。そしてまた唇をなめると瓶をそこに置いて手を戻した。

JH: 俺があんたに渡したのは良い瓶か悪い瓶か?好きな方を選べばいい。

 

 

Johnはタクシーの後部座席に座っていた。ノートパソコンを膝に載せて電話をかけている。

JW: (電話に)いや、Lestrade警部だってば。話があるんだ。大事なことで。緊急事態なんだよ!

パソコン画面の地図は再びJenniferの電話の位置を表示した。

JW: (運転手に)ええと、ここでいいです。ここで。

 

 

ローランド・カー専門学校。Jeffは瓶を一瞥してからSherlockの目を見た。

JH: もう準備はいいのかい、Holmesさんよ?勝負するか?

SH: 勝負だと?こんなの五分五分の確率じゃないか。

JH: 数字と勝負してるんじゃない、あんたは俺を相手にしてる。俺が渡したのは良い薬かな、悪い薬かな?ただのはったりか?それとも二重のはったりか?はたまた三重のはったりか?

SH: それでも運試しだ。

JH: 四人ともかい?運試しじゃねえよ。

SH: 運だ。

JH: 天才なんだ。みんなが考えることはお見通しだ。

Sherlockは目を回した。

JH: みんなが考えることなんざ俺にはお見通しなんだよ、まるで頭の中に地図があるようにな。

Sherlockはだんだんイライラしてきたようだった。

JH: みんなとんだバカ野郎だ-あんたもな。

Sherlockの目付きが鋭くなった。

JH: もしくは神様が俺に味方してくれてるのかもな。

Sherlockは台に手をついて前に屈み込んだ。

SH: どっちにしろ、お前は老いぼれのタクシー運転手だ。



Johnはようやくローランド・カー専門学校に辿り着いた。タクシーが走り去るとノートパソコンを上着に納めて(それはモバイル用の小型の機種だった)、目の前に佇む二つの似通った建物を見上げた。地図の情報だけではどちらの建物に電話があるのかまではわからなかったのだ。しばらくしてJohnは心を決めて片方の建物へ向かった。

 

 

 

ピンク色の研究 9