その家は薄暗く壁や天井が変色しており、かなり長い間誰も住んでいないようだった。Lestradeは二人を連れて螺旋階段を上がった。彼とJohnはカバーオールを着て、靴には白い布のカバーをし、ゴム手袋を嵌めている。Sherlockはゴム手袋だけをしながら階段を上がっていった。
GL: 二分間だけやろう。
SH: (気にせず)もっとかかるかもな。
GL: クレジット・カードによると名前はJennifer Wilson。今、人間関係を調べさせてる。ここにはそんな長いこといなかったようだ。何人か目撃者がいる。
Lestradeは二階上の部屋へ案内した。家の照明は使えないのでところどころに警察によって大型の非常用ライトが設置してある。部屋には何も家具がなかったが、隅におもちゃの木馬が置かれていた。壁のひとつに大きな穴が空いていて、そばには天井へ向かって建築現場にあるような金属製の棒が備え付けられている。女性の遺体は部屋の中程にあり、むき出しの床にうつ伏せに横たわっていた。彼女は明るいピンクのコートを着て、ピンクのハイヒールを履いている。手は頭に沿って床に水平に置かれていた。Sherlockは部屋へ数歩入ったところで立ち止まり、遺体へ向けて片手を掲げた。彼の後ろで女性の遺体を目にしたJohnは苦痛と悲しみを表情に現した。三人はそこに数秒間何も言わずに立っていたが、SherlockがLestradeに向かって口を開いた。
SH: うるさいな。
GL: (驚いて)何も言ってない。
SH: 何か考えてるだろう。それがうっとうしいんだ。
LestradeとJohnが驚いて視線を交わしているとSherlockはゆっくりと遺体へ向かって進んだ。彼の注意はすぐに女性が左手で床に削った言葉 “Rache”に向けられた。人差し指と中指に目をやると爪の先が割れてぼろぼろになっていて、マニキュアは剥がれてしまっていた。他の指は無傷でマニキュアはきれいなままだった。人差し指は床に削られた“e”の下に置かれていてまだ他にも削ろうとしたまま亡くなったかのようだった。Sherlockは早速分析を始める。
left handed [左利き]
再び床に削られた言葉を眺めていると、Sherlockの頭に考えが浮かんだ。
RACHE
German (n.) revenge [ドイツ語<名詞>復讐]
しかしSherlockはそれを拒否するように頭を振り、考えをどこかにやってしまった。もう一度床の言葉に目を向け、五文字の単語を思い浮かべて重ねていく。それを完成させようと“e”に続きそうな文字が現れては消えていったが、やがてひとつの文字がそこに嵌まった。
Rachel
そしてSherlockは遺体の傍へ屈み込んで手袋をした手でコートを着た遺体の背中を撫でるとその指を眺めた。
wet [濡れている]
今度は遺体のコートのポケットを探ってみると白い折り畳み傘が見つかった。傘の状態も手で触れて確認する。
dry [乾いている]
傘をコートのポケットに戻し、コートの襟を触ってみた。
wet [濡れている]
それから自分のポケットから携帯用の小さなルーペを取り出し、レンズを出して遺体の手首にある華奢なゴールドのブレスレットを調べた。
clean [きれいな状態]
左耳のゴールドのイヤリング…
clean [きれいな状態]
首にあるゴールドのネックレス…
clean [きれいな状態]
そして左手の指に嵌められた指輪を見た。そこにある結婚・婚約指輪はこれまでと異なる印象を彼に与えた。
dirty [汚れたままの状態]
Sherlockは急速に目の前に現れた結論に目を瞬かせた。
married
unhappily married
unhappily married 10+ years [既婚 / 不幸せな結婚生活 / 10年以上の不幸せな結婚生活]
それからSherlockは慎重に遺体の指から結婚指輪を外し、目の前に掲げて内側を覗いてみた。
指輪の外側: dirty [汚れたままの状態]
指輪の内側: clean [きれいな状態]
観察を終え、指輪を再び遺体の指へ戻す。既にそこから結論を得ていた。
regularly removed [頻繁に外されていた]
遺体から手を離し、見下ろしながら最終的な推理を終えた。
serial adulterer [複数の不倫をしていた女]
そしてSherlockは満足気に笑みを浮かべた。
GL: 何かわかったのか?
SH: (何でもないように)そんなには。
そう言ってゴム手袋を外し、ポケットから携帯電話を取り出して何か入力し始めた。するとドアのところに寄りかかって彼らの様子を窺っていたAndersonが神妙に自身の推理を述べた。
Anderson: この女はドイツ人だ。“Rache”とはドイツ語で「復讐」を意味する。我々に何か伝えようとしていたのかも…
しかしSherlockはすばやくドアへ歩み寄り、Andersonの話が途中であるにもかかわらず目の前でさっさとドアを閉めてしまった。
SH: (皮肉を込めて)はい、ご忠告ありがとう。
音を立ててドアを閉めてしまうと、また部屋の中へ戻った。携帯電話で“UK Weather(イギリスの天気)”のメニューを表示させる。
Maps [地図]
Local [エリア]
Warnings [警報]
Next 24 hrs [24時間の予報]
7 day forecast [週間予報]
その中からMaps(地図)を選択した。
GL: で、ドイツ人なのか?
SH: (電話から目を離さず)もちろん違う。外からやってきたのは確かだが。一晩ロンドンで過ごすために訪れたんだ…(求める情報が見つかったらしく、笑みを浮かべ)カーディフに戻る前に。
そして電話をポケットにしまった。 (※カーディフ…ウェールズ南東部にあるウェールズの首都)
SH: 今のところ、大したことないな。
JW: え、大したことない?
GL: じゃああのメッセージは何なんだ?
Sherlockは警部の質問を無視してJohnに問いかけた。
SH: Doctor Watson、どう思う?
JW: メッセージについて?
SH: 遺体だよ。君は医者だろう。
GL: おい、待てよ、必要な人材はちゃんと外にいる。
SH: 僕に協力しないだろ。
GL: あらゆる規則を破って君をここにいさせてるんだぞ。
SH: ああ…だって僕が必要なんだろ。
Lestradeは何か言い返そうとしたが、為す術がなく視線を落とした。
GL: ああ、そうだよ。情けない。
SH: Doctor Watson。
JW: うん?
Johnは遺体を眺めていたが、顔を上げてSherlockを見ると、Lestradeに許可を求めるような視線を送った。
GL: (少しイライラしながら)ああ、いいから奴の言う通りにしてやってくれ。
そして警部はドアを開けて出ていってしまった。
GL: Anderson、少しの間、誰も近づけるな。
SherlockとJohnは遺体へと歩み寄った。Sherlockは遺体の片側に屈み込み、Johnは反対側へ脚の痛みを堪えながら杖に寄りかかり、片方の膝をついた。
SH: どうだ?
JW: (小声で)僕はここで何をするんだ?
SH: (小声で)僕の捜査の手伝い。
JW: (小声で)僕はただ一緒に部屋を借りるってだけのつもりで。
SH: (小声で)ああ、でも楽しいからさ。
JW: 楽しい?女性が亡くなってるっていうのに。
SH: 完璧な分析だな、でも僕はもっと深いものを期待してたんだ。
Lestradeが戻ってきてドアの脇に立った。Johnはもう片方の膝も下ろし、遺体へと更に屈み込む。鼻を女性の頭に近付けて匂いを嗅ぎ、顔を上げると遺体の右手を取って肌の様子を調べた。そして再び膝を上げるとSherlockへ顔を向けた。
JW: 窒息死だな、恐らく。意識を失って、嘔吐物が喉に詰まったんだ。アルコールの臭いはない。何か発作を起こしていた、薬物かもしれない。
SH: それが何か知ってるはずだ。新聞を見ただろ。
JW: え、これもあの自殺のひとつなのか、四番目…?
すると待ちかねた警部が口を挟んだ。
GL: Sherlock、二分と言ったよな。わかったことを教えてくれ。
Sherlockは立ち上がり、Johnもまた痛みを堪えながらそれに従った。
SH: この女性は30代後半。服装からして自由業だ、何かメディア関係だろう。この目を引く派手なピンク色からそれが窺える。ロンドンで一晩過ごすことを目論んで今日カーディフからやってきた。スーツケースの大きさからして明らかだ。
GL: スーツケース?
Johnは部屋を見渡してみたが、スーツケースらしきものは見当たらなかった。
SH: そう、スーツケースだ。彼女は少なくとも10年は結婚していたが、うまくいってなかった。何人か愛人がいたが、誰も既婚者だとは知らなかった。
GL: おい、頼むからさ、もし話をでっち上げてるなら…
SH: (遺体の左手を指して)結婚指輪。10年は経ってる。他のアクセサリーは日頃きれいにしているのに、結婚指輪はそうでなかった。そこに結婚生活の様子が表れている。指輪の内側は外側よりきれいな状態だ-頻繁に外されていたんだな。磨かれるのは指から外されるときだけだ。仕事のためじゃない、爪を見てみろ。手を使うような仕事はしてなかった。それじゃいったいなぜ指輪を外していたのか?愛人はひとりだけじゃなかったんだ、そう長くは独身を装ってられなかっただろう、だから複数いたはずだ。訳ない。
LestradeはSherlockの推理に感心したのか、もしくは自分の妻のことを思い出したのか、何も言い返すことができず、ただ片方の眉を少し上げるのみだった。一方Johnは感心しきっていた。
JW: すばらしい。
それを聞くとSherlockが少し戸惑ってJohnを見やったので、Johnはすまなさそうに詫びた。
JW: 失礼。
GL: カーディフは?
SH: わかりきってるじゃないか。
JW: 僕にはちっともわからない。
SH: (二人を眺めて)おいおい、そのご立派な頭の中にはいったい何が詰まってる?どうせくだらないものばかりなんだろ。
そう毒づいた後でSherlockは遺体を眺めながら解説を始めた。
SH: コートがわずかに湿っている。最後の数時間、激しい雨の中にいたんだ。その時間ロンドンでは雨は降ってなかった。襟の裏側も湿っている。風を避けるために襟を立てていた。傘が左のポケットに入っていたのに使われず乾いたままだ、ただの風じゃなく強風だったから-傘を差せなかったんだ。スーツケースを携えていたことから宿泊するつもりだったことがわかる、だからかなり離れたところから来たはずだ、でも二、三時間より多くはかかってない、まだコートが乾いてないからな。では、その範囲で激しい雨と強風が吹いていたのはどこか?
そしてSherlockはポケットから携帯電話を取り出して先ほど見ていた画面を二人に見せた。それはイギリス南部の今日の天気だった。
SH: それはカーディフ。
JW: 君はすごいな!
SH: (Johnへ声を低めて)声に出してるとわかってるのか?
JW: ごめん。黙るよ。
SH: いや、別に…いいけど。
GL: なんでスーツケースにこだわるんだ。
SH: (部屋の中を円を描いて歩き回りながら)ああ、どこにあるんだ?携帯電話か通信機器を持っていたはずだ。Rachelを捜し出さないと。
GL: ‘Rachel’と書きたかったのか?
SH: (皮肉を込めて)いいや、ドイツ語で恨みの言葉を遺したんだろう(!)。もちろんRachelと書いていたんだ、他に当てはまるものはない。問題は、なぜ死ぬ間際まで書くのを留まっていたのか。
GL: どうしてスーツケースを持っていたとわかる?
SH: (遺体の右脚の下の方、ストッキングに黒い斑点が付着しているのを指して)右脚の後ろ、踵とふくらはぎに小さな斑点がある、左脚にはない。車輪のついたスーツケースを後ろに右手で引いていたんだ。他の方法ではこんな斑点は付かない。シミのついてる範囲からしてやや小さめのケースだ。その大きさだとこういう服装に気を遣う女性としては一泊分のものだろう。だから一晩滞在するつもりだったとわかる。
そしてSherlockは遺体に屈みこんで脚を更に念入りに調べた。
SH: さて、どこにあるんだろう?どこにやってしまったんだ?
GL: ケースなんてなかったぞ。
それを聞くとSherlockはゆっくりを顔を上げ、Lestradeに向かって顔をしかめた。
SH: もう一度言ってくれ。
GL: ケースなんてなかった。スーツケースなんてなかったんだよ。
するとSherlockは直ちに立ち上がり、ドアへ向かいながら外にいる警官たちへ呼びかけながら急いで階段を下り始めた。
SH: スーツケース!誰かスーツケースを見つけたか?家の中にスーツケースはあったか?
LestradeとJohnも部屋を出たが踊り場で立ち止まり、警部がそこから下へ叫んだ。
GL: Sherlock!ケースはなかったんだって!
SH: (速度を落としたがまだ先へ進みながら)でも彼らは自ら毒物を摂取した、自分で薬を口にいれて飲み込んだんだ。はっきりした形跡がある、君たちは大勢いながら見逃したけどな。
GL: そうか、ああ、どうも(!)そんで…?
SH: 殺されたんだ、彼らはみんな。方法はわからない、でも自殺なんかじゃない、殺されたんだ-連続殺人だ。
そしてSherlockは喜んで顔の前に手を掲げた。
SH: 連続殺人犯と対峙してる。僕は大好きなんだ。いつも期待させてくれる何かがある。
GL: なぜそんなことを言う?
SH: (立ち止まり、みんなへ呼びかけ)ケースだよ!おいおい、ケースはどこにあるんだ?食べちゃったのかな?(!)他にも誰かいたんだ、そしてケースを持ち去った。(すっかり自分に語りかけているようになって)犯人は彼女を車でここに連れてきた、そして車にケースを忘れてしまったんだ。
JW: 先にホテルにチェックインしてたのかも、そこに置いてきたとか。
SH: (二人の方を見上げて)いや、ホテルになんか行ってない。髪を見てみろ。口紅と靴の色をコーディネートしてる。彼女はホテルから出てきたりなんかしない、髪がこんな…
すると何かをひらめいてSherlockは話を途中で止めた。
SH: おお。
彼の目は見開かれ、表情が輝き出した。
SH: おお!
さらに喜んで手を叩いた。
JW: Sherlock?
GL: (手すりに身を乗り出して)どうした、何なんだ?
SH: (自分自身に楽しそうに笑いかけながら)連続殺人は常に難しい。犯人がミスを犯すのを待たなくてはならない。
GL: 待ってられるか!
SH: おい、待つのはもう済んだんだ!
そしてまた急いで階段を降り始めた。
SH: 彼女を見ろ、ちゃんと見るんだ!「ヒューストン、間違いが発覚した(※)」カーディフに急げ、Jennifer Wilsonの家族と友人について調べるんだ。Rachelを探し出せ!
そしてSherlockは階段を降り切ると、視界から消えてしまった。
GL: (後から呼びかけて)もちろんだ、だが間違いって何だ?!
するとSherlockは戻ってきて階段を一、二段上がり、Lestradeへ向かって叫んだ。
SH: ピンク!
そしてまた足早に立ち去ってしまった。Lestradeが混乱しながら部屋に戻ると、次の踊り場で控えていたAndersonと捜査員たちも急いで後に続いて部屋に入っていった。
Anderson: さあ始めるぞ。
みんなに忘れられてしまったJohnは踊り場でしばらくためらっていたが、ゆっくりと階段を下り始めた。そこへ駆け上がってきた数人の警官の内ひとりがJohnにぶつかったので彼はバランスを失い、大きくよろめいて手すりへ寄りかかった。ぶつかってきた男は何の言葉も発しなかったが、一緒にいた同僚が通り過ぎながら詫びるような視線をJohnに投げかけた。Johnは体勢を整えて再び階段を下りた。
※ヒューストン、間違いが発覚した(Houston, we have a mistake)
…1970年にアメリカのアポロ計画において三度目に行なわれる予定だった有人月飛行計画、アポロ13号。その船内で事故が発生したことをケネディ宇宙センターへ報告する際に、ラヴェル船長が言った言葉「ヒューストン、何か問題が発生したようだ (Houston, we've had a problem)」から。
カバーオールを脱いで上着を着たJohnは通りへ出てきていた。あたりを見回したがSherlockの気配は見受けられなかった。それでもあたりを窺いながらテープが張り渡されたところまで行くとDonovanが他の警察官へ何か指示をしていて、Johnがやってくると顔を上げた。
SD: 行っちゃったわよ。
JW: Sherlock Holmesのことか?
SD: ええ、たった今。行っちゃった。
JW: 戻ってくるかな?
SD: それは無さそうね。
JW: そうか。
Johnは考え込みながらまたあたりを見回したが、どうするべきかわかりかねていた。
JW: そうか…うん。
するとDonovanに向かって尋ねた。
JW: あの、僕はどこにいるんだろう?
SD: ブリクストン。
JW: そうか。ええと、どこに行けばタクシーを捕まえられるか知ってるかな?それはその…ええと…(気まずそうに杖へ視線を向けて)…脚が。
SD: ああ…(前へ進んでJohnのためにテープを上へ持ち上げた)…メインの通りなら。
JW: (テープをくぐり抜けながら)どうも。
SD: 友達じゃないわよね。
JohnはDonovanへ顔を向けた。
SD: あいつに友達なんかいない。そうすると、あなたは何者なの?
JW: 僕は…何でもない。会ったばかりだし。
SD: わかった、忠告しておくけど、あいつとは距離を置いた方がいい。
JW: どうして?
SD: あいつがなぜここに来たかわかる?報酬も何もないのに。好きだからよ。夢中になってるわけ。犯行が奇妙になればなるほど夢中になるの。そしてどうなるか?いつかあいつはひけらかすことじゃ満足できなくなる。いつかわたしたちは死体に向き合うことになる、それはSherlock Holmesによって置かれたものなのよ。
JW: なぜあいつがそんなことを?
SD: サイコパス(精神病質者)だからよ。サイコパスは退屈するの。
GL: (家の玄関から)Donovan!
SD: (振り返って警部へ)すぐ行きます。
Donovanは家へ向かいながらJohnに念を押した。
SD: Sherlock Holmesとは距離を置きなさいね。
Johnは少しの間Donovanが去るのを眺めていたが、やがて脚を引きずりながら道を歩き始めた。すると彼の右手にあった公衆電話ボックスの電話が鳴り出した。Johnは数秒間それに気を取られたが、腕時計に目をやると首を振ってまた先へ歩き出した。電話は鳴るのを止めた。
それから間も無くしてJohnはブリクストン・ハイ・ロードらしき道を歩き、通り過ぎるタクシーを捕まえようとしていた。
JW: タクシー!タクシー…
タクシーは去っていってしまった。JohnはChicken Cottageというファストフード店の前に立っていたが、そのときなぜか店の外側に設置してある公衆電話が鳴り出した。Johnが振り返って音のした方を見ると、店のスタッフが電話へ向かい受話器を取ろうとしていたが、ベルは止まってしまった。
また道を少し先へ進むと別の公衆電話ボックスがあり、中の電話がまた鳴り出した。Johnは狐につままれたような気持ちでボックスのドアを開けると中に入って受話器を手に取った。
JW: もしもし?
すると電話の向こうから男が応答した。
男: 君の左手にある建物に監視カメラがある。見えるかな?
JW: (顔をしかめて)誰なんだ?誰が話してる?
男: カメラが見えるかい、Doctor Watson。
Johnが電話ボックスの窓から近くの建物へ目をやると、男の言うとおり高い位置にCCTVカメラ(※)があった。
JW: ああ、見えるよ。
男: よく見るんだ。
男がそう言った途端、電話ボックスを見ていたカメラは旋回して別の方を向いてしまった。
男: 向かいにあるビルに別のカメラがある。見えるかな?
Johnがまたカメラの方に目をやると、そのカメラも電話ボックスを見ていた。
JW: ふむ…
そしてそのカメラもまたすぐに別の方へ旋回してしまった。
男: そして最後に、右手にあるビルの上だ。
三つめのカメラをJohnが見つめると、彼を見ていたカメラはまたそっぽを向いた。
JW: (電話に)いったいどうやってこれを?
男: 車に乗り給え、Doctor Watson。
そう男が言うと電話ボックスのそばに黒い車がやってきて停まり、中から男性の運転手が降りて後部座席のドアをJohnのために開けた。
男: わたしはちょっと脅しめいたことをするだろうが、君も置かれている状況はよくわかっているだろう。
そして電話は切れた。Johnは受話器をしばらく考えこみながら眺めていたが、他に自分にできることはないようだと観念したのか、電話ボックスを後にした。
※CCTV
…英語では監視カメラをSurveillance cameraといい、映像監視システムのことを その映像信号伝送方法であるClosed-circuit Television(閉鎖回路テレビ)の略語を使って「CCTV」と呼ぶこともある。イギリスでは犯罪の抑止、探知、調査などに役立てるために数多くのCCTVが設置されており、空港や鉄道の駅、レストランやパブ、スーパーマーケットなど人の集まる場所はもちろん、小規模な雑貨店でも「CCTVで監視中」という表示を見かける。現在イギリスにあるCCTVは420万台、14人に1台の割合で存在することになる。