ピンク色の研究 1

ロンドンのとある一室のワンルーム。John Watson(以下セリフ: JW)は悪夢にうなされていた。夢の中でJohnは軍隊にいた頃に戻っていて、海外のどこかにいる彼の班は砲火を浴びている。銃弾が飛び交う中、仲間のひとりが彼の名前を叫んだ…

…そこでJohnはハッと目を覚ましたが、まだ恐怖に苛まれ苦しんでいた。目を見開いたままベッドに起き上がり、今は安全な、戦争から遠く離れた場所にいることを自分に言い聞かせながら乱れた呼吸を鎮めようとした。そしてまたごろりと横になって動揺を抑えようとしたが、恐ろしい記憶から逃れることはできなかった。とうとうJohnは堪えきれず、すすり泣きを始めた。

 

 

しばらくしてJohnは再び起き上がり、ベッドサイドのランプを点けた。外はまだ暗い。物思いに耽りながら静かに座っていたが、やがて部屋の少し離れた場所にある机へと視線を向けた。そこには金属製の歩行用杖が立てかけてある。Johnは不快そうに杖を眺め、そしてまたあてもなく宙を見つめて、うつむいた。今日はもう眠れないだろう。

 

 

朝が来た。ようやく日が昇り、寝間着の上にドレッシング・ガウンを羽織ったJohnは杖に重くよりかかりながらよたよたと部屋を歩き、自由な方の手にお茶を入れたマグと林檎を持って机に向かった。マグには英軍医療部隊の紋章がある。マグと林檎を机の上に置き、椅子に腰掛けると引き出しを開けてラップトップを取り出した。そこにはピストルも一緒にしまわれていた。ラップトップの画面を開くと自動的に表示されたWebページー「The personal blog of Dr. John H. Watson」-しかしそのページは空白だった。

 

 

その後、Johnは心療内科医、Ella Thompson(以下セリフ: ET)のもとを訪れ、彼女と向い合って座っていた。

ET: ブログはどう?

JW: ええ、まあ。(気まずそうに咳払いをし)いい感じです。

ET: まだ一言も書いてないんじゃないの?

JW: (Ellaの膝にあるノートを指し)「まだ信用に難あり」ですね。

ET: あなたはわたしの書いたものを逆さまに見てるの。どういうことかわかる?

Johnはきまり悪そうに苦笑いをした。

ET: John、あなたは軍人よね、だから一般の生活に馴染むには時間がかかるの。あなたの身に起こることをブログに書けば、きっと何かの役に立つはずよ。

Johnはあきらめきった眼差しで医師を見つめた。

JW: 僕には何も起こりません。

 

 

----------オープニング----------

 

 

10月12日。良い身なりをした中年のビジネスマンが携帯電話で話しながら混み合うロンドンの駅の中を歩いている。

Jeffrey: 迎えの車がないってどういうことだ?

秘書はJeffrey氏のオフィスを歩きながら電話に応えていた。

Helen: 運転手がウォータールーに行ってまして。申し訳ありませんがタクシーを使ってください。

Jeffrey: タクシーなんか乗れるか。

Helenはあたりを見回し、他の者に聞かれないように用心しながら小声で早口に言った。

Helen: 愛してる。

Jeffrey: (思わせぶりに)いつ?

Helen: (くすくす笑い)タクシーに乗ってね!

笑いながら通話を切り、Jeffrey氏はタクシー乗り場を見渡した。

 

 

高層ビルの一室、何も置かれていないオフィスの窓際にJeffrey氏が座り込んでいた。大きな三粒の錠剤が入った小さなガラス瓶の蓋を回して開ける。中からひとつ取り出し、目を見開きながら上に掲げて眺め、怯えながらそれを口に入れた。その後、彼は激しい苦痛にもだえながら床に横たわっていた。

 

 

警察の記者会見場。Jeffrey氏の妻が報道陣へ心境を述べていた。傍らには警官と、弁護士か親族と思われる男性が並んでいる。

MARGARET PATTERSON: 夫は充実した生活を送る幸せな人間でした。家庭と仕事を愛していました。あの人がなぜこんな形で人生を終えなければならなかったのか理解ができませんし、彼を知る人は皆ショックを受けています。                                    

部屋に立っていたもうひとりの女性はHelenで、感情を抑えることができずに目を閉じた彼女の頬に涙が伝った。

 

 

11月26日の夜。10代後半らしい少年二人が激しく雨の降りしきる中、通りを走っていた。Garyは折りたたみ傘を風に飛ばされないように保つのがやっとで、傘が無いJimmyは上着を頭からかぶっている。するとそこへ一台のタクシーが通りかかった。空車を表す黄色のサインを目にしたJimmyは意気揚々と叫んだ。

Jimmy: やった、やった、タクシーだ、よし!

彼はタクシーへ向けて口笛を吹き、手を振って客がいることをアピールしたが、運転手は気付かなかったのか、タクシーは走り去ってしまった。Jimmyは憤激して来た道を戻り出しながら友人へ顔を向けた。

Jimmy: 二分で戻ってくるからさ。

Gary: は?

Jimmy: 家に帰って母さんの傘を取ってくる。

Gary: 俺のに一緒に入れよ!

Jimmy: 二分で戻るから、な?

そしてJimmyはその場を離れた。

それからしばらく経ち、Garyは腕時計を見ながらまだ道端に立っていた。なかなか帰ってこない友が心配になり、とうとう来た道を戻り出した。

 

 

どれほど後か不明だが、スポーツセンターの屋内、下の階のコートを見下ろすことができるよう床までガラス張りになっている窓がある。そこへ寄りかかるようにして、びしょぬれのJimmyが泣きながらしゃがみ込んだ。三粒の大きな錠剤の入ったガラス瓶を握りしめている。すすり泣きながら震える手でその蓋を回し開けた。

 

 

翌日、The Daily Expressのヘッドライン。『18歳の少年、スポーツセンターで自殺』(※)

 

※Jimmy

原作「ソア橋」の冒頭でWatsonが解明に至らなかった過去の事件を挙げている中に、James Phillimore(JimmyはJamesの愛称)という人物が雨傘を取りに家に帰ったまま姿を消したという事件があるが、詳細は述べられていない。

 

 

1月27日。あるクラブでパーティーが催されていた。大きなポスターが貼り出されていて「あなたの町の議員、Beth Davenport運輸副大臣」とある。奥からダンス・ミュージックが聞こえてきて、Bethの補佐官のひとりである女性が部屋から出てきた。バーに立っている男性の同僚へ歩み寄る。彼はイライラしている様子だった。

男補佐官: まだ踊ってるのか?

女補佐官: ええ、あれをそう呼ぶなら。

男補佐官: 車の鍵はもらってきたか?

女補佐官: (鍵を見せながら)バッグから取ってきちゃった。

男補佐官は満足気に微笑んで再び奥の様子を窺い、顔をしかめた。

男補佐官: どこに行ったんだろう?

 

 

どれほど後か不明だが、建築現場の小屋に囲まれた場所でヒステリックにすすり泣いていたBethは、三粒の大きな錠剤の入ったガラス瓶へ震える手を伸ばした。

 

 

警察の記者会見。Lestrade警部(以下セリフ: GL)は記者たちを前に困りきった様子で座っていた。隣にはSally Donovan巡査部長(以下セリフ: SD)がいて、集まった報道陣へ向けて状況を説明している。

SD: Beth Davenport運輸副大臣のご遺体は昨晩遅くGreater London(※)の建築現場で発見されました。予備調査では自殺であったと考えられています。この明らかに自殺とみられる方法はJeffrey Patterson氏やJames Phillimoreさんの件と酷似しています。この観点からこれらの事件には繋がりがあるものと考えられています。捜査は進行中ですが、Lestrade警部が只今からご質問を受け付けます。

記者1: 警部、自殺に繋がりがあると?

GL: ええ、それは同じ薬物が使用されていたからで、それと、みなそれぞれ縁のない場所で見つかったこと、自殺を図るような兆候が見られなかったこと…

記者1: (イライラしながら)でも自殺が連鎖するなんてことありますか。

GL: まあ、でも実際そうみたいだから。

記者2: この三人の人物、何かしら繋がりはないんですか?

GL: まだ見つかってませんが、いずれ見つけますよ。必ず繋がりがあるはずです。

するとそこにいた全員の携帯電話がメールを受信して同時に音を鳴らした。メッセージは…

Wrong! 

[違う!]

Donovanも自分の電話に同じメッセージが届けられたのを確認した。

SD: みなさんもメールを受け取ったと思いますが、無視してください。

記者1: 「違う」と。

SD: ああ、その、無視してください。では、Lestrade警部へのご質問がもう無いようでしたらこの会見は終了とさせていただきます。

記者2: 自殺だとしたら何をそんなに捜査なさってるんですか?

GL: 申し上げたように、明らかに何かしらの繋がりがあります。ああ、その…ちょっと普通ではない状況なので。捜査には万全の体制をとっており…

するとまた携帯電話たちはメッセージを受信した。同じく“Wrong!” と。

記者1: また「違う」とのことですが。

LestradeはうんざりしたようにDonovanの方を見やった。

SD: (記者たちへ)もうひとつだけどうぞ。

記者3: 他殺の可能性はあるんでしょうか。もしそうだとしたら連続殺人犯の仕業でしょうか?

GL: ああ…そのような記事にしたいのはわかりますけどね、自殺としか考えられません。違いは歴然でしょう。それに、あの、薬物は明らかに故人が自ら服用してますからね。

記者3: はい、でももし殺人だとしたら市民はどのように身を守るべきとお考えですか?

GL: まあ、自殺はしないことですな。

記者は驚いて警部を見た。Donovanは口元を手で隠しながらLestradeに耳打ちした。

SD: “Daily Mail”。 (※The Daily Mailは1896年創刊のイギリスでもっとも古いタブロイド紙)

Lestradeはしかめっ面をして再び記者たちへ顔を向けた。

GL: たしかに人々を恐怖に陥れるような事件ですが、理性を持って警戒をするべきです。そう望めばそれだけ安全でいられるんですよ。

再び携帯電話の受信音が鳴り響き、“Wrong!”というメッセージが届けられた。しかしLestradeの電話だけは他より遅れて受信を知らせ、異なったメッセージが届けられていた。

You know where

to find me.

SH

[僕の居場所は知ってるよな。 SH]

Lestradeは憤慨した表情で電話をポケットにしまい、立ち上がりながら記者たちへ告げた。

GL: では失礼。

 

 

しばらくしてLestradeとDonovanはスコットランド・ヤード(ロンドン警視庁)のオフィスを歩いていた。

SD: あいつにやめさせてください。これじゃわたしたちがバカみたいじゃありませんか。

GL: ああ、その方法を教えてくれるんなら、俺だってそうしたいさ。

 

※Greater London…

1965 年以降,旧ロンドンに 旧ミドルセックス州および旧エセックス、ケント、ハートフォードシャー、サリー各州の一部を合併させた行政地区で、現在のロンドンといえばほぼこの地域を指す

 

 

ラッセル・スクウェア公園。(※ロンドン市中心部、カムデン区ブルームズベリーにあるロンドンで二番目に大きなスクウェア<正方形の広場>)

Johnは杖に重くよりかかりながら早足で歩いていた。途中通り過ぎたベンチに座っていた男性(以下セリフ: MS)がJohnに気付いて、彼に呼びかける。

MS: John!John Watson!

Johnが振り返るとMikeは立ち上がり、笑いかけながら駆け寄ってきた。

MS: Stamford、 Mike Stamfordだよ。Barts(※)で一緒だっただろ。  (※ST BARTHOLOMEW病院)

JW: ああ、ごめん、そうだった、Mike。(Mikeが差し出した手を取り、握手をした)やあ、どうも。

MS: (ニヤニヤしながら)ああ、わかってるよ、僕は太ったからな。

JW: (打ち消そうとしながら)そんな。

MS: どっか海外に行ってたんだよな、当てずっぽう(getting shot at)だけど。何かあったのか?

JW: (きまり悪そうに)…撃たれたんだ(I got shot)。

二人の間にぎこちない空気が流れた。

 

 

しばらくして、二人はそれぞれテイクアウトのコーヒーを手にして公園のベンチに並んで腰掛けていた。MikeはJohnを心配そうに見ている。Johnはそれに気付かずちびちびとコーヒーを飲んでいたが、やがて旧友へ顔を向けて話しかけた。

JW: まだBartsにいるんだね?

MS: 今は教えてる。かつての僕らみたいな若い奴らに。ああ、あいつらほんと憎たらしいよ!

二人は笑った。

MS: 君はどうしてる?配置に着くまで待機してるとか?

JW: 軍の年金だけじゃロンドンでやっていけないよ。

MS: ああ、でも他の土地で暮らすなんて無理だろう。そんなの僕の知るJohn Watsonじゃないもんな。

JW: (不快そうに)ああ、僕はもうかつてのJohn Watsonじゃ…

そこでJohnは口をつぐんだ。Mikeは気まずそうに視線を逸らし、コーヒーを飲んだ。Johnはコーヒーを右手に持ち替え、左手を見下ろした。拳を握り、震えを止めようとしている。Mikeは再びJohnの方を向いた。

MS: Harryに頼るとかは?

JW: (皮肉な様子で)ああ、そんなのありえないね!

MS: (肩をすくめ)そうか-部屋をシェアするとか、そういうのは?

JW: おいおい-誰が僕なんかと同居する?

それを聞いてMikeは何かを思い出したのか、くすくす笑い出した。

JW: 何だ?

MS: ああ、今日僕にそれを言ったのはね、君が二人目なんだ。

JW: 一人目は?

 

 

ST BARTHOLOMEW病院の死体安置室。Sherlock Holmes(以下セリフ: SH)はジッパーを開けて覗き込み、中の物体を凝視していた。それは台の上に横たわる遺体だった。

SH: 新しいのか?

安置室には病院で助手を務めるMolly Hooper(以下セリフ: MoH)がいた。

MoH: 届いたばかり。67歳で老衰死。ここで働いてた人なの。わたしも知り合いで。いい人だった。

袋を閉じてSherlockは起き上がり、Mollyへ向けて笑顔を作った。

SH: よし。鞭の時間の始まりだ。

 

 

しばらく経って遺体は袋から出された状態で台に置かれていた。Mollyは隣接する展望室から中の様子を窺っていた。中ではSherlockが遺体を何度も乱暴に鞭で打ち付けている。Mollyはたじろぎながらそれを見守っていたが、その表情には感嘆も混じっていた。Sherlockが作業を終え、息を切らしながら姿勢を正すとMollyは部屋へ戻り、彼に歩み寄って冗談混じりに話しかけた。

MoH: なんか嫌なことでもあった?

しかしSherlockは彼女の冷かしを無視して手帳を取り出し、書き込み始めた。

SH: 20分後の傷跡の様子を確認しないと。それにある男のアリバイがかかっている。メールをくれ。

MoH: あの、もし良かったらなんだけど、後で終わったら…

Sherlockは書きながらMollyを一瞥すると、はっと驚くような素振りをして顔をしかめた。

SH: 口紅を塗ってるのか?いつもはそんなことしないのに。

MoH: (緊張しながら)あ、ええと、ちょっと化粧直しを。

Mollyは少し媚びるように微笑んでみたが、Sherlockは無関心にそれを眺め、また手帳へと意識を戻した。

SH: ごめん、何か言おうとしてた?

MoH: (熱心に見つめながら)コーヒーでもどうかな、と思ったの。

するとSherlockは手帳をしまって彼女に告げた。

SH: ブラック、砂糖は二つで。僕は上にいる。

そう言い残して彼はさっさと部屋を出ていってしまった。

MoH: …はい。

 

※死体を鞭で打つ…

原作「緋色の研究」でStamfordがWatsonにHolmesがどんな人物か語る場面。「(…)しかしそれがちょっと極端かもしれない。解剖室で死体を杖で打つとなると、間違いなくかなり異様なところまでいっている(…)死後、どの程度アザが出来るかを確かめるためだ。僕は彼がそうしているのをこの眼で見た」