二人はタクシーの後部座席に座り、ブリクストンへ向かっていた。Sherlockは考え込みながら窓の外を見つめ、Johnは少し緊張した様子で彼を盗み見ている。ようやくSherlockはJohnに顔を向けた。
SH: いいよ、質問があるんだろう。
JW: うん、どこに行くんだ?
SH: 事件現場。殺人事件があった。次は?
JW: 仕事は何だ?何をしてるんだい?
SH: 何だと思う?
JW: 私立探偵とかかな、でも…
SH: でも?
JW: …警察は私立探偵のとこに来たりしないだろ。
SH: 僕は顧問探偵(consulting detective)なんだ。世界でただ一人の。そういう仕事を創ったんだ。
JW: どういうことだ?
SH: 手に負えないような事件があったとき、まあいつものことだけど、警察は僕に相談する。
JW: でも警察は相談したりしないだろ…(使う言葉を考えてしばらく躊躇いながら)…アマチュアに。
SherlockはしばしJohnを見つめた。
SH: 昨日僕らが初めて会ったとき、僕が「アフガニスタンかイラク」って訊いたら君は驚いたよな。
JW: どうして知ってた?
SH: 知らなかった、観察したんだ。
-Bart's病院のコンピューター室でSherlockがJohnから携帯電話を受け取っている。
SH: ありがとう。
SH: 顔は日に焼けているが手首から上は焼けてない。海外に行っていたが日光浴のためじゃなかった。君の髪型、佇まいが軍人であることを物語っている。部屋に入ってきたときの会話は…
-Mikeに案内されてコンピューター室に入ってきたJohn。
JW: ああ、僕がいた頃とはちょっと変わったな。
SH: …Bartsで学んだと言った、だから軍医だ-明らかに。
Johnはただ驚くばかりだった。
-コンピューター室でSherlockはJohnの杖に注目していた。
SH: 歩くときにはひどく脚を引きずっているが、立ったままで椅子にかけようとしない、まるで忘れてしまったかのように。だから少なくともある程度は精神的なことが関係してる。それは負傷したときの状況をトラウマとして抱えていることを示唆する。だから戦闘中に負った傷だ。ではここ最近で軍医が日焼けをし、戦闘により負傷するような場所はどこか?アフガニスタンかイラクだ。
JW: セラピストのことも言ってたな。
SH: 心身症で脚を悪くしてる-なら当然セラピストに相談してるはずだ。
しばし二人は各々のそばにある窓の外を見つめた。やがてSherlockは鋭く息を吸い込んで再びJohnへ顔を向けた。
SH: それから兄弟について。
-Sherlockに携帯電話を差し出しているJohn。
JW: あの、僕の。良かったら。
SH: ありがとう。
-SherlockがJohnの携帯電話を受け取る。
SH: (Johnの電話を手にしている)携帯電話。高価な機種だ、emailも送れてMP3プレイヤーも付いてる。君はルームシェアをしたがってる-電話に金を費やしたりしないだろう。だから貰い物だ。
携帯電話をひっくり返して眺めながら話を続ける。
SH: 引っかき傷。ひとつどころじゃない、いくつもある。鍵や小銭と一緒にポケットに入れられてたんだ。僕の隣に座っている男はこういう高級品をそんな風に扱ったりしない、だから前に別の持ち主がいたはず。次は少し簡単だ。もうわかってるだろ。
JW: 文字が彫ってある。
Johnの電話にはこのような文字が彫ってあった。
Harry Watson
From Clara
xxx
SH: Harry Watson。明らかに君の家族で古い電話を与えた人物だ。父親じゃない、これは若い男が使うガジェットだ。従兄弟かもしれない、でも君は戦争帰りの英雄だっていうのに生活する場所を見つけられずにいる。親しくしている親戚がいるとは考えにくい。だから兄弟だ。さて、Clara。Claraとは何者か?三つのキス(x)には愛が込められている。電話の値段からして妻だ、ガールフレンドじゃない。そして最近贈られたものに違いない-この機種は半年前に発売になったものだからな。そして結婚生活に困難が生じ-半年後に手放した。もし妻が夫の元を去ったのなら、夫はこれを手放さないだろう。人は皆-感傷的だ。だが違った、夫はこれを手元に残したくなかった。離れたのは夫だ。そして電話を君にやった、君と連絡が取れる状態でいたいと言って。君の身を案じている。
電話をJohnへ返す。
SH: 君は手頃な住まいを探しているが、兄弟に援助を求める気はない。つまり何か問題を抱えているんだ。
Johnは信じられない思いで首を振った。
SH: たぶん君は兄弟の妻に好感を持っているが、兄弟の酒癖を好ましく思っていない。
JW: どうして飲酒癖のことまでわかるんだ?
SH: 当てずっぽう。でも合ってたみたいだな。
-Johnの電話を受け取っているSherlock。
SH: ありがとう。
SH: 電源を繋ぐところ、コネクタの周りに小さな引っかき傷がいくつもある。
Johnは電話のコネクタのあたりを見てみる。
SH: 毎晩充電するために繋ごうとするが、手が震えてるんだ。しらふの男の電話には見られない、酔っぱらいには付き物の傷。
Johnは首を振りながら電話をポケットにしまった。
SH: そんなところだ、わかっただろ-君は正しかったな。
JW: 正しいって?いったい何が?
SH: 警察はアマチュアに相談しない。
Sherlockは窓の外を眺め、どういう反応をされるのかを待つ。Johnがそれを示すのには数秒間掛かった。
JW: そりゃ…見事だった。
それを聞いてSherlockはJohnへ振り返った。どうやら驚いている様子だ。
SH: そう思う?
JW: もちろんだよ。並外れてる!まったくずば抜けてるよ!
SH: (動揺しながら)みんな普通はそんな風に言ったりしない。
JW: みんな普通はなんて言う?
SH: 「失せろ」!
Johnは笑いながら窓の外を眺める。車は現場へ向かって走り続けた。
ブリクストン。タクシーはローリストン・ガーデンへ乗り付け、SherlockとJohnは車から降りて警察によって「立ち入り禁止」のテープが張り渡された道路へ向かって歩いていった。外は雨が降り出している。
SH: 何か間違いはあったかな?
JW: Harryと僕はうまくいってない、いってなかった。HarryとClaraは離婚手続き中-三ヶ月前に仲違いになった、Harryは飲酒癖がある。
SH: (自分のやったことに感動して)言った通りだ。まさか全部当ててしまうとは思わなかった。
JW: HarryはHarrietの愛称なんだ。
Sherlockはそれを聞いて振り返った。
SH: Harryは女兄弟?
JW: なあ、僕はいったいここで何をしたらいいんだ?
SH: (まだ動揺しながら)女だった!
JW: いや、まじめに、何で僕はここに?
SH: (憤慨したまま)ああ!いつも何かしらあるよ!
二人がテープが張られたエリアへ辿り着くと、Sally Donovan巡査部長が立っていた。
SD: どうも、変人さん。
SH: Lestrade警部に会いに来た。
SD: どうして?
SH: 呼ばれたからだ。
SD: どうして?
SH: (皮肉を混じえて)僕に現場を見てほしいんだろ。
SD: (嫌々テープを持ち上げながら)ふうん、わたしが考えてることはわかってるわよね?
SH: (テープの下をくぐりながら)いつもね、Sally。(彼女の方へ振り返って)君が昨日の夜、家に帰らなかったことだって知ってる。
SD: (Johnの前でテープを落として彼を見ながら)こちらは?
SH: 僕の仕事仲間だ、Doctor Watson。Doctor Watson、Sally Donovan巡査部長だ。(また皮肉を混じえて)旧い友人なんだ。
SD: 仕事仲間?あんたが仲間なんてどうしたの?!
驚いたDonovanはJohnへ問いかけた。
SD: この人に家までつけられたりした?
JW: もし帰った方がいいんだったら僕は…
SH: (戻ってJohnのためにテープを持ち上げてやりながら)だめだ。
Johnがテープをくぐり抜けると、Donovanは無線を取り上げて話し出した。
SD: (無線へ)ええ、変人が来ました。中に案内します。
そして彼女は二人を現場の家へ案内した。Sherlockは家から現場保護のためのカバーオールを着て出てきたAndersonへ大声で挨拶する。
SH: ああ、Anderson。また会ったな。
Anderson: 事件現場なんだ。汚れを持ち込んで欲しくない。やましいところはないだろうな(clear)?
SH: ちっともない(clear)。
Anderson: お前の怪しげなトリックが(Lestrade)警部を惑わしてもな-俺は騙されないぞ。
SH: ところで奥さんは長く家を空けてるのか?
Anderson: おい、自分でそれを見破ったなんて言うつもりか。誰かが告げ口したんだろ。
SH: 君のデオドラントが物語ってる。
Anderson: デオドラント?
SH: 男性用だな。
Anderson: なんだよ、当たり前だろ、俺は男なんだから!
SH: それにDonovan巡査部長も。
そばに立っていたDonovanはぎくりとした。Andersonが目を見開いて彼女へ視線を向けると、Sherlockは鋭く匂いを嗅いだ。
SH: ああ、ただそんな匂いがしたもんだから。入ってもいいかな?
Anderson: (怒りながらSherlockを指さし)お前-俺の言うことを聞くんだぞ?
Sherlockは構わずJohnを連れて家の玄関へ向かう。Andersonは慌てて追いかける。
Anderson: お前が何をほのめかそうとしたって…
SH: (立ち止まって振り返り)僕は何もほのめかしてなんかいない。Sallyは楽しくおしゃべりでもしようとやってきたんだろう、それから泊まることになった。
一旦言葉を止める。
SH: 彼女は君の家の床を拭いたんだろう、膝の様子からそれがわかる。
Anderson: (怒りを爆発させながら)そうかい-わかった、行けよ。もう行け。
二人が家に入っていくとAndersonは溜め息をこぼしながらDonovanへ視線を向ける。Donovanは憤然としながら顔を背けた。
家に入るとLestradeがカバーオールを身に着け、ラテックス製のゴム手袋を装着しているところだった。中へ入ってくるSherlockへ呼び掛ける。
GL: 二分やる。
SH: もっと掛かるかもな。
するとSherlockと一緒に入ってきて彼からカバーオールを受け取るJohnに気付いたLestradeは困惑した。
SH: (Johnに)これを着て。
GL: そいつは誰だ?
SH: (自分の分のカバーオールを手に取りながら)一緒に行動する。
GL: ああ、だが誰なんだ?
SH: 言っただろ、一緒に行動する。
そしてカバーオールの中に足を入れる。
SH: で、どこなんだ?
GL: (手袋を嵌めながら)上の階だ。
しばらくしてLestradeは足元を懐中電灯で照らしながら二人を連れて階段を上がっていった。
GL: 足跡の鑑定結果によると、直近12時間の間にこの部屋にいた唯一の人間は身長5フィート7(※インチ=約170cm)の男だ。そいつと被害者の女は車で一緒に来たらしい。身元が特定できるようなものは遺体から失われている、他の奴のようにな。この女が何者か、何処から来たのか見当もつかない。
寝室のドアを開け、中にある遺体へ案内する。Johnは目の当たりにした光景に尻込みしてドアのあたりで立ち止まった。鮮やかなピンク色のコートを纏い、ピンクのハイヒールを履いた女性の遺体が部屋の中程で床にうつ伏せになっていた。左腕は床の上で頭のそばに置かれ、右腕は身体に沿って伸びている。Johnは苦痛と悲しみを顔に表した。
SH: ふむ、他所からやって来たんだな、明らかに。家に戻る前にロンドンで一晩過ごそうと目論んでいた。今のところ、間違いないな。
GL: 「間違いない」?
SH: ああ、間違いない。右脚の後ろ。
女の脚の方を指差すとSherlockはJohnへ身体を向けた。
SH: Doctor Watson、君はどう考える?
JW: どう考えるって?
SH: 君は医療に携わる人間だろ。
GL: 必要な人材はすぐ外にいるぞ。
SH: (苛立ったように)僕とは仕事をしないだろ。
GL: おい、あらゆる規則を破って君をここにいさせてるんだぞ。
SH: (少し挑発的に)ああ…だって僕が必要なんだろ。
Lestradeはしばし彼を見つめ、為す術がなく視線を落とした。
GL: ああ、そうだよ。情けない。
SH: John。
遺体を顎で示されたJohnは、許可を求めるようにLestradeへ視線を向けた。
GL: (少し苛立ちながら)ああ、こいつの言う通りにしてやってくれ。
Sherlockが遺体の右手側に片膝を突くと、Johnは痛みをこらえながら重く杖に寄り掛かり、反対側に片膝を突いた。杖を傍らに置いて片手で身体を支えながら遺体へ屈み込む。
SH: どうだ?
Johnは少し身体を起こして小声で話し出す。
JW: 僕はここで何をしてるんだ?
SH: (小声で)僕の捜査の手伝い。
JW: (小声で)僕はただ一緒に部屋を借りるってだけのつもりで。
SH: (小声で)ああ、こっちの方が楽しいだろ。
JW: (小声で)楽しい?女性がひとり亡くなってるっていうのに。
SH: (小声で)いや、二人の女と三人の男が亡くなってる。話を続けろよ、もっとあるだろう。(声を上げてLestradeにも聞こえるように)さあ、死因はどうだ。
新たな要求を受けてしばらく相手を見つめた後、Johnは仕方なく再び遺体へと屈み込み、顔を寄せて被害者の口元のにおいを嗅ぎ、起き上がってSherlockへ告げた。
JW: 窒息死だな、恐らく。意識を失って、嘔吐物が喉に詰まったんだ。アルコールの臭いはない。何か発作を起こしていた、薬物かもしれない。
SH: 毒物だ。
JW: どうしてわかる?
SH: 全員毒物を摂取させられたからだ。
JW: 誰に?
SH: 自分自身で。
JW: 自分自身?
GL: その薬物を特定したんだが…
SH: (言葉を止めさせるため片手を掲げて)それはどうでもいい。毒物だった。
Lestradeは目を回す。
SH: いずれの件でも同じパターン。
遺体の右手を持ち上げて間近に見る。
SH: どの被害者も普段の生活から行方をくらます…(身体を前に傾けて女の手の平と爪のにおいを嗅ぐ)…劇場から、家から、職場から、パブから…
立ち上がり、遺体の反対側へ移動する。Johnが立ち上がって空けた場所にひざまずく。
SH: …そして数時間後、縁もゆかりも無い場所に姿を現し、そこで…
遺体の左手を取り、薬指に嵌められている指輪を観察し、においを嗅ぐ。
SH: (小声で)…死ぬ。
遺体のコートの袖を引き上げて手首を眺めてから自分の身体の向きを少し変え、遺体のコートの襟を引いて首にあるネックレスを眺める。
SH: 遺体には乱暴された痕跡は無く、強制を示唆するものも無し。
遺体の顔にかかっている髪を持ち上げて耳にあるイヤリングを眺め、そっと髪を戻す。遺体のコートの左ポケットに手を入れ、ピンク色の折り畳み傘を取り出す。
SH: それぞれ同じ毒物を服用していた-そして言える限りでは、それを自発的に服用した。
GL: Sherlock-二分だと言ったよな。わかったことを教えてくれ。
立ち上がったSherlockは携帯電話を取り出して何か入力していた。画面に表示されたものを見てニヤついた笑みを浮かべ、電話をしまう。
SH: よし、書き取ってくれ。
GL: (苛立ちながら)いいからわかったことを言えよ。
SH: 僕は書いてやらないぞ。
GL: (腹を立てて)Sherlock!
JW: (手帳とペンを取り出しながら)いいですよ。僕がやります。
SH: ありがとう。被害者は30代前半。専門職に就く人間だ、服装からして。メディア関係だろう、このピンク色の姿が率直に訴えかけている。ロンドンで一晩過ごすためにカーディフから今日やって来た。スーツケースのサイズからしてそれは明らかだ。
GL: スーツケース?
SH: そう、この女のスーツケース。
Johnは部屋を見渡したが、どこにもスーツケースなど見当たらないので眉をひそめた。
SH: 数年間結婚生活を営んでいたが、うまくいっていなかった。次々相手を探して浮気をしていたが、誰も結婚していることを知らなかった。
GL: いい加減にしろ、もしそれがでっち上げなら…
SH: (遺体の左手を指して)結婚指輪-見てみろ。キツそうだ。指輪をし出した頃はもっと痩せてたんだ、そこから結婚してしばらく経っていることがわかる。それに石の嵌められているところに汚れがあるだろう。他のアクセサリーは最近掃除されているのに。この女の結婚生活について知るべきすべてのことがそこに表れている。
手帳に書きとめながらJohnは感嘆の笑みを浮かべ、首を振った。
SH: (再び遺体のそばにひざまずき、遺体の手を取ってJohnに指輪を見せる)指輪の内側は外側よりキレイになっている-頻繁に外されていたからだ。磨かれるのは指から外されるときだけだが、そんなに楽な作業ではない、だから何かワケがあったはず。仕事のためじゃない、爪を長く伸ばしてるからな。手を使う仕事ではないとすると、「何が」もしくは「誰が」この女に指輪を外させるのか?明らかにひとりの恋人だけではない、長い期間に渡って独身のフリをしていられないだろう、だから何人も相手がいたはずだ。単純だな。
JW: (感嘆して)すばらしい。
Sherlockは驚いてJohnを見た。
JW: (申し訳無さそうに)失礼。
Johnが手帳に視線を戻すとSherlockは動揺した様子でLestradeへ顔を向けた。
GL: カーディフは?
SH: (立ち上がりながら)明らかだろう?
JW: 僕にはさっぱりわからない。
SH: おいおい、そのご立派な頭の中にはいったい何が詰まってる?どうせくだらないものばかりなんだろ。
再び屈み込んで遺体を指す。
SH: コート、わずかに湿ってる。最後の数時間、激しい雨の中にいたんだ。数分前までロンドンでは雨は降っていなかった。コートの襟の裏も湿っている。風を避けるために襟を立てていたからだ。
Johnは書き留めながら、再び魅せられたように首を振っている。
SH: 左のポケットに傘が入っているが乾いていて使われていない。ただの風じゃない、強風だ-傘を使うには風が強すぎた。スーツケースから一晩過ごすつもりだったことがわかっている、だから離れた場所からやって来たはずだが、ニ、三時間以上かかるところではない。コートはまだ乾いてないからな。では、激しい雨と強風という天候で、それくらいの移動時間の範囲内にあった場所は?
すると立ち上がってポケットから電話を取り出してLestradeに先程見ていたWebサイトを見せる。それはウェールズ南部の今日の天気を知らせるページだった。
SH: カーディフ。
JW: (書き続けながらニヤついて)すごいな!
SH: 声に出してるのをわかってるのか?
JW: (彼に向かって顔を上げて)ごめん。黙るよ。
SH: (電話をしまいながら)いや、別に…いいけど。
GL: スーツケースなんて無かったぞ。
SH: 何だって?
GL: (わずかにしたり顔をして)「スーツケース」って言ってるけどな、そんなもん無かった。
SH: (驚きながらあたりを見渡して)そんな。あんたがどっかにやったかと思ってたのに。
GL: ハンドバッグはあったがな。何でスーツケースを持ってたなんて言うんだ?
SH: 持ってたからだよ。ハンドバッグに-携帯電話はあったか?
GL: いや。
SH: それは妙だな。すごく妙だ。
GL: どうして?
SH: 気にするな。スーツケースを探さないと。
JW: どうしてスーツケースを持ってたってわかる?
SH: (遺体の右脚の下の方にある、黒い斑点となっている小さな汚れを指して)右脚の後ろ、踵の上とふくらはぎに小さな斑点がある、左には無い。キャスター付きのスーツケースを右手に持って引いていたんだ。他の方法ではそんな汚れは付着しない。飛び散っている状態からして小さなケースだ。そのサイズのケースは、こんな風に服装に気を遣う女性としては一泊用にしかならない。だから一晩過ごすつもりだったことがわかる。
JW: ホテルにチェックインして、そこにケースを置いてきたのかも。
SH: ホテルには行っていなかった。髪を見ろ。口紅と靴の色をコーディネートしてる。そういう女がこんな髪の状態のままホテルから出てきたりしない…
そこで何かをひらめいて言葉を止めた。
SH: ああ。
目を見開いて、顔を輝かせる。
SH: ああ!
振り返って部屋を出ていこうとする。
JW: Sherlock?
GL: (Sherlockの後を追い、階段の頂上で立ち止まり)何だ?どうした?何だ、何だ、何だ?
SH: (振り返って手袋とカバーオールを脱ぎながら)連続殺人犯-常に困難だ。間違いを犯すのを待たなくちゃいけない。
GL: おい、待ってるだけなんて出来るか!
SH: おい、待つのはもう済んだよ!見つかったとき、その女はここに来てそんなに時間は経ってなかったんだよな?
GL: ああ、そんなに長くない-まあ、せいぜい一時間だな。
SH: (考え込みながら)せいぜい一時間。(目を見開いて)一時間!
顔を上げてLestradeを見る。
SH: 報道管制を命じてくれないか?女が発見されたことを発表するな、一日黙ってろ。
GL: どうして?
SH: 女を見ろ、よく見るんだ!「ヒューストン、間違いが発覚した」
思わずLestradeとJohnが被害者の方を振り返ると、Sherlockは階段を駆け下りていった。
SH: すぐ戻る!
GL: (振り返って呼び掛ける)だが「間違い」って?!
SH: (振り返って階段の上へ向かって叫ぶ)「ピンク」!
するとSherlockは外へ飛び出していった。Lestradeは腹立たしげに溜め息をこぼし、声を上げて部下を呼ぶ。
GL: Anderson!
既に下の階からやって来ていたAndersonと捜査員たちが階段を上がっていく。
Anderson: いますよ。
階段を上がって立ち止まる。
Anderson: で?あれは一体何だったんです?
GL: 俺たちはサイコパスを追う。
Anderson: 別のサイコパスに手伝いをさせようって言うんですか?!
GL: そうする他ないなら。
部屋を部下に示す。
GL: お前に任せる。
部屋の入り口にいたJohnはAndersonが捜査員を部屋へ引き入れると脇へ退いた。
Anderson: よし。入れ。
捜査員たちが中へ入っていくとLestradeも後に続こうとする。
JW: 僕が書いたのは-必要なんでしょうか…
GL: 失礼、あんたは…?
JW: Doctor Watsonです。
GL: そうか、あんたも出ていってくれ、Doctor Watson。それは要らないから。
そう言うと捜査員たちに続いて部屋の中へ戻っていった。
GL: よし、調べ上げるぞ。
階段の踊り場でしばらく躊躇っていたJohnは、ゆっくりと階段を降り始めた。
しばらくしてカバーオールを脱いだJohnは舗道へ出ていった。まだ雨が降っている。Donovan巡査部長がそばに駐めてあるパトカーの窓に屈み込み、中にいる運転手と話していた。
SD: わかった、ねえ、JonesとAdamsを道路の警護に当たらせないと。ものすごい人が集まって…
Johnはあたりを見回すがSherlockの気配は無い。Donovanは起き上がると彼に気付いた。
SD: 行っちゃったわよ。
JW: え、Sherlock Holmesが?
SD: どっか行った。そういう奴なの。
JW: 戻ってくるかな?
SD: そうは見えなかったわね。
JW: そうか。
うなだれて腹を立てながら首を振る。
JW: なるほど…そうか。
脚を引きずりながらDonovanへ歩み寄る。
JW: あの、僕はどこにいるんだろう?
SD: (通れるように現場保護のテープを持ち上げながら)ブリクストン。
JW: そうか。どこに行けばその、タクシーを捕まえられるか知ってるかな?その、脚が。
SD: (テープを持ち上げたまま)そうね、メインの通りなら。
Johnは溜め息をついてテープをくぐり抜け、道を進み始める。
SD: ねえ。
JW: (立ち止まって振り返る)はい?
SD: 友達じゃないわよね-あいつに友達なんかいない-じゃああなたは何者なの?
JW: 僕?僕は…何者でもない。あいつとは会ったばかりだし。
SD: そう、じゃあちょっと忠告しておく。あんな奴とは距離を置きなさいね。
JW: どうして?
SD: あいつがなぜここに来たかわかる?報酬も何もないのに。好きだからよ。夢中になってるわけ。犯行が奇妙になればなるほど夢中になるの。そしてどうなるか?いつかあいつはひけらかすことじゃ満足できなくなる。いつかわたしたちは死体に向き合うことになる、それはSherlock Holmesによって置かれたものなのよ。
JW: 何故あいつがそんなことを?
SD: サイコパスだから。サイコパスは退屈するの。
GL: (家の玄関から呼び掛ける)Donovan!
SD: (振り返って応える)はい、行きます。
Johnの方へ振り返り、念を押す。
SD: Sherlock Holmesとは距離を置きなさいね。
そう言うとDonovanは家の方へ向かっていった。Johnはしばらくそれを見届けてから振り返って道を見下ろし、再び彼女の方を向いて呼び掛けた。
JW: どうも。
SD: どういたしまして。
Johnは再び振り返って杖に寄り掛かり、脚を引きずりながら道を進む。左の空を見上げ、右手にある家の屋根へ目を向ける。そこで視界に入ってきたものを見ながら立ち止まった。近くにあるヴィクトリア調の建物-たくさんのチムニーポットが並んでいる屋上で、Sherlockがほぼ満月となっている月の光に照らされて立っていた。しばしその光景に見惚れていたJohnは、やがて警察官に見られていないかとコソコソとあたりを窺ったが、幸い周りには誰もいなかった。再び屋上を見上げると、Sherlockは彼のいる高い位置から見えるすべてのものを見渡していた。そして振り返ってその場を離れていった。